第二十四話 英吉利
最近初めてミステリ小説を読みました。
車の中から、真っ赤な枯葉が一面を覆っている、広葉樹の森が見えた。後部座席に乗っていた桜子は、日本とはまるで植生の違うこの地の紅葉に驚いた。
車の運転席には、そんな景色に目もくれず黙って運転している男——葛葉が居る。葛葉は桜子が外を見ているのをミラーで確認すると、話しかける事もなく再び視線を前に戻した。
しばし走り続け、紅葉の景色から車が抜け出した頃合いに、桜子は隣の広場に目を移した。
広大で色味の褪せた落葉に覆われている広場には、幾つかの広葉樹が立っていた。広場の巨木達の配置は人の手が加えられたようなものではなく、落ち葉が無数に落ちているのを見るに管理をしている者は僅かであり、そう頻繁に使われている訳でもないようだった。
等速で動く紅葉の景色——秋の英国を見た桜子は、真っ先に綺麗だと感じた。からりとした青空、紅葉の植生、遠くに見える町それぞれが、日本のものではなかったからである。
これから決戦だというのに、随分呑気に景色を見ている自分に驚いた。生憎、その景色とやらは正確な遠近を失っている為に、幾分か見にくいものになっていた。
「……」
桜子は、自分の右目に取り付けられた眼帯を静かになぞる。傷は癒えたので良いものの、やはり視界の制限は厳しいものに感じた。なぞる手を、眼帯全体に添える。俯きながら、桜子は右目に残された吹雪の景色を思い出す。
「……何か、あったのか」
葛葉は運転席から桜子に問い掛ける。桜子はその問い掛けに僅かな動揺を見せて、ゆっくりと口を開いた。
「何もないわ。でも……色々なものがズレているように感じる……景色が単純になったように感じるわね」
桜子の弱々しい声色に、葛葉は感情の見えない声色で答えた。
「そうか。不調でないなら俺は何も言わない。……お前さんの健闘を祈る」
葛葉はそれ以上何も言わなかった。桜子は向けていた外の景色から目を逸らし、真正面の車の硝子に視線を戻した。
葛葉と桜子を乗せた車は、そこから数分で広場に辿り着いた。桜子は車から降り、色の褪せた芝生の上に立つ。
——真っ直ぐにやって来る、冷たくて乾いた風。頬に当たるその風圧に、桜子は目を閉じた。広がった髪の毛を少しだけ整えて、桜子は持っていた刀を腰に差した。
「……行ってくる」
葛葉の方を振り向いた桜子は、立っていた位置から歩き始めた。葛葉は小さくなる黒装束の少女の背を見ながら、冷たい異国の風に目を閉じる。
桜子はしばし歩いて、広場の中央付近に辿り着いた。そうして、一度辺りを見渡す。
——広かった。褪せた芝生の上にぽつぽつと転がる、枯れた広葉樹の葉。向こうに見える背の高い木の群生は、大半の葉を落とし切っていた。空は突き抜けるような澄んだ青であり、流れる風の匂いも僅かに違う。
ここはやはり、異国なのだと感じる。桜子の心臓を、漠然とした寂しさが突き刺した。
桜子は深い溜息と共に、視線を前に戻す。すると、景色の向こうから動く影のようなものが見えた。
「やぁ、サクラコ」
芝生の色とごく近い、褪せた色のトレンチコートにハットを被っている、杖を突いた淑女が、桜子の前に立っていた。
「貴女の方から来るなんて珍しいわね、ロザリオ」
ロザリオと呼ばれたコートの淑女は、微笑みながら答える。
「何、客人なのだからボクが出向くとも。……それに、いずれにしろこうして会うのは最期だろうしね」
何か含みのある言葉で、ロザリオは桜子にそう言った。そうして、言えずにしたその言葉を含めながら、ロザリオは溜息を吐く。
気まずそうに笑いながら、ロザリオは着けていた帽子を摘んで頭から外した。流れる金髪と、冷たく青い瞳が桜子の視界に映る。
「…………」
再び帽子を着ける動作と共にロザリオはしばらく黙ったままだった。5秒程度の沈黙の後に、帽子に置いていた手を退けて、目線を桜子に向けながら口を開いた。
「なぁサクラコ、少し話したい事がある——」
ロザリオはそう言って、獅子の刻印がされた取手を握り直しながら、言葉を続けた。
「——ボクと一緒に、何処かへ逃げないか?」
桜子は動きを止めた。問われた言葉の意味を理解する為に、止まらざるを得なかった。指を掛けていた鍔を静かに緩め、しばらく考えるように視線を動かし、少々の沈黙を経て、やっと問い返した。
「……どういうこと?」
「そのままの意味だ、ボクはキミと戦いたくない。そしてボクが知る限り、キミも『天使』と戦いたい訳じゃない。なら、もう逃げてしまった方が良いと思うんだ」
ロザリオは真正面にいる桜子から目を逸らし、遠くに見える町の方へ視線を動かした。
「ボクはもう面倒なんだ。もっと言ってしまえば、どうでも良い。ボクは戦いが嫌いだし、もう倒すべき敵も居ない。それなら、こんな形で生を無碍にするより、ひっそりと、転々としながら生きる方が、余程健全で有意義だと思わないかい?」
ロザリオの視線は、相変わらず町に向いていた。町を見るその目は、確かな悲壮と弱々しい希望を湛えている。その瞳は、桜子から見ても明らかに息苦しさを感じさせるものだった。
桜子は、遠くを見つめるロザリオの横顔を眺めながら、少々考えていた。
多くの人の表情を見る中で、桜子は『嘘を吐いている人間』が分かるようになった。声色や目の動きなど要素は様々あるが、桜子は自分なりに人の言葉にある真偽を読み取れるようになっていた。
そうした思索の中で、桜子は改めてロザリオの表情を見る。——彼女の悲壮感ある目には、嘘の色が見えなかった。つまり、ロザリオは本心からこの誘いを自分にしているという事になる。
「……それは、貴女は私と戦いたくない、と捉えていいのよね?」
「あぁ。出来る事なら、ボクはキミと会いたくすらなかった」
桜子はロザリオに対する意思の確認を行った後、しばらく考えるような表情を浮かべる。冷たく渇いた風が、帝国の淑女と少女に流れる。桜子は親指に掛けていた鍔を撫で、沈黙したままであった。
「……えぇ、そうね」
桜子はそう呟くと、鍔を撫でていた左手で柄を握り込んで、鞘から白刃を抜刀する。
「悪いけれど、お断りするわ」
ロザリオは酷く驚いた表情を浮かべた後、困った表情で溜息を吐いた。
「……本気かい?」
ロザリオの一言に、桜子は唇を軽く噛んで答えた。
「確かに、私の目的は貴女の言う通り。でも、私の『それ』は貴女じゃなくて国が叶えてくれる。……『貴女達を殺す』という契約を守り切って初めて、私の目的は達成されるの」
桜子は切先をロザリオに向けて、身体を正対する。ロザリオはそれを認めて、俯きながら聞き返した。
「……なら、国が契約を守ってくれなかったら?」
桜子は少しだけ微笑みながら、ロザリオに切先を向け、彼女に言葉を返す。
「その時は、私は国へ反旗を翻す。私の平和の為に、私は国を棄てる選択を取る」
桜子の据わった視線——まるでその行為が当たり前であるかのような言葉使いに対して、ロザリオは深い溜息と、閉口した声色の笑顔と共に答えた。
「……はーあ、やっぱダメかぁ」
ロザリオはそう言って、被っていた茶色いハットを頭から外し、髪を振るって呟いた。そのまま彼女は帽子を被り直して、静かに呟いた。
「——なら、もう始めてしまおう」
ロザリオが放った末尾の言葉と共に、桜子は刀で防御の姿勢を取った。
ハットの鍔から見えた青い眼光と視線が合ったと感じた刹那、刀と金属がかち合う甲高い音が一帯の広場に響く。
「ッ……!!」
ロザリオは持っていた『暈』——黄金の獅子の彫刻が持ち手に刻まれた、金属製の杖である『アゼルスタン』を振るって、桜子の雲絶にぶつけた。
刀よりも遥かに軽い構造を持つはずの杖が、僅かであるが押されている。桜子は叩き付けられた衝撃を流しながら、刀を翻して下から上へ振り上げた。
それがロザリオのアゼルスタンに当たったらしく、再び甲高い音が響く。反発と同じ拍子に、桜子とロザリオの距離は開いた。
ロザリオが、宙に舞うように着地して、脚に力を込めた。桜子はそれを認めると、身体を前に傾けて足を踏み込み、その動きに合わせる。
両者は、ほとんど同時にその場から脱した。桜子は腰を捻りながら、刀を身体で隠すように構え、ロザリオに接近する。ロザリオは桜子が自分の間合いに入った瞬間に、隠していた刀を振り翳すだろうと予測し、桜子との距離を縮める。
互いに間合いに入った瞬間、ロザリオの予測通り、桜子は刀を握っていた手に動きを見せた。ロザリオはそれを認めると、桜子が間合いに踏み込み辛くする為に、牽制としてアゼルスタンを真っ直ぐに伸ばす。
桜子は鼻先辺りに伸びてきた杖を、反射で躱すと、腰を一気に落としてロザリオの脛辺りに刀を一太刀入れる。
「げっ!」
ロザリオはその一手に怯み、思わず声を上げた。そのまま、下にいる桜子へ杖を振り下ろす。桜子はそれを認めると、膝を地面に突いて杖を受け止める。刀は地面と平行に、寝かせる形で杖を受け切ると、刀を滑らせるようにそれを弾いた。
ロザリオは桜子から素早く離れて距離を置き、打ち付けられた部分に目を遣る。切られた傷と溢れる血に、ロザリオは悪態を吐いた。
「ハーッ、痛ッ!容赦とかないのかい!?」
「ある訳ないでしょ」
桜子は簡潔に答えると、地面に膝を突いた姿勢から立ち上がって、刀に付いた血を振い落とす。ロザリオは溜息を吐きながら、幽霊のように立ち上がる相手に視線を合わせる。
ロザリオは手に持っていた杖を、シャフトが身体の後ろに来る形に持ち変える。逆手に杖を持ちながら、ロザリオは脚に力を込めた。
桜子はそれを認めると、正面に刀を構えてロザリオと相対する。
——ロザリオの身体が、浮遊するように動いた。桜子はそれを視認すると、刀を胸前に構える。目の前から飛んでくるロザリオは、しなやかな動きのまま、手に持っていた杖を思い切り振り上げる。
桜子は胸前に構えていた刀でそれを抑え、そのまま杖の軌道を下げる。桜子が足に力を込めてロザリオを押し込むように走り出す拍子に合わせ、ロザリオは後ろ向きに走り始めた。機を伺いながら、一瞬の隙に彼女は杖を弾いて、相手の刀を大きく逸らした。
弾かれた事で刀が空振った桜子は、僅かに遅く感じた時間——1秒にも満たないその中で行動を選択する。
よろめいた身体を足で止め、その反動から身体を前に傾けた。同時に、桜子は腰を捻って刀を隠すように持ち変え、足の軸を中心に身体を回す。その状態で刀を振り翳して、迫っていたロザリオに斬撃を与える。
1度の瞬きにすら満たない動作に、ロザリオは瞬間的に杖で受け止め、力を逃す為に後退した。
衝撃に抵抗する事なく受け止めた事も手伝い、ロザリオは芝生の上へ前転しながら転がる。桜子は彼女の後を目で追い、そのまま足の向きを変えてロザリオに向かう。
ロザリオは最終的に、前転から膝立ちの姿になった。桜子に背を向けた状態で、手の中にある杖を見つめる。そうして、1度目を閉じた。
(……ボクは、勝つ為にここに来た)
後ろに桜子が迫っているのを、肌で感じる。枯葉の季節だというのに音はごく少ないが、自分には理解出来た。ロザリオは瞑っていた目を開き、口元に笑みを浮かべた。
「——そう。この一手の為にね」
聞こえるか否か。ロザリオは桜子に背を向けたままひっそりと呟き、アゼルスタンの持ち方を僅かに変えた。
桜子はロザリオの僅か数歩後ろに居る。そして刀を振り上げ始めていた。ロザリオはそれを察すると、腋の下に杖のシャフト部分を構え、1歩後ろに居る桜子に向ける。そうして、獅子の取手を親指で押し込んだ。
「チェックメイトだ」
瞬間、桜子とロザリオの耳に、空間に響く乾いた破裂音が入った。ロザリオはその反動のままに、前転しながら桜子と距離を取り、ズレた帽子を整える。
桜子はその音と一緒に、右胸下辺りの鳩尾から強い痛みを感じた。皮膚と肉を貫くような、強い痛み。
「ッ……!!」
思わず手を、痛みの部分に押し当てる。そうして掌を見ると、真っ赤に染まっていた。その瞬間に、桜子は長らくまともに受けて来なかったその痛みの正体を理解する。
(仕込み銃ッ……!!)
——桜子を貫いたそれは、銃弾であった。
少しずつ終わりに近づいていて、安堵しております。
もうソロソロゴールが見えてきました。




