第二十一話 露西亜
次週は諸事情により多分休載いたします。
申し訳ございません。
寒さが強くなり、帝都にも木枯らしが吹き始めた神無月の下旬。桜子は国防省の官僚である左と共に、弱い吹雪の中を大きな黒い車で進んでいた。後ろに大きな箱型の荷台が付随している車——小型のトラック車が、まだ前が見える程度の吹雪を中を突っ切っていく。そうしてしばらく走った末に、車はブレーキを踏んだ。雪の上だからか、車体は思ったより先に進んでいる。到着を悟った左は隣にいる桜子に目線を送った。
「……」
車の外に出ると、桜子は天を仰いで息を吐いた。——人が居ない土地故か、その息は白くならず、吹雪の中に消えていく。
桜子は黒装束と少し厚い羽織を身に纏い、腰にある黒い刀の鍔に手を掛けている。強い吹雪に靡かれないよう、腰まである黒い髪を1本に纏めている。強い風が纏めた髪の代わりに、首の襟巻きをふわりと浮かせる。
厚手のコートに身を包んでいる左は、冷たい風に吹かれる桜子の横顔に目を向ける。——虚ろとも違う、何処か覇気のない瞳で遠くを見つめる桜子に対して問い掛けた。
「……大丈夫か?」
桜子は左のその質問に対し、俯いて自分の装備を見る。金属製の臑当に巻き込んだ黒い袴に、着込んでいる黒い和服と羽織。襟巻きによって幾らか寒さが軽減している。普段背に付いている髪の毛達が纏められている故か、動き易さがあるように感じた。——それと同時に、髪の短かった10年前を思い出す。
「——えぇ」
桜子は1歩前に踏み出して、ゆっくりと溜息を吐く。左はそれを見ると、桜子にごく小さな発信機を渡した。
「戦闘が終わったらこれで連絡してくれ。事後処理用だ」
桜子はそれを手に取ると、手に置かれたそれをしばし見つめた後にひっそりと呟いた。
「……私が死ぬとしたら、『ここ』か、ローズとの戦いだと思う」
掌にあった発信機を、和服の帯辺りに突っ込むと、桜子はそのまま前に足を進める。そうして、彼の方を振り向いて告げた。
「そうなったら、緑川さんに伝えておいて」
桜子の言葉に、左は静かに頷いた。それを見届けた桜子の表情は、無表情ながらも安堵したようなものであった。
そうして、彼女は目の前に広がる雪の大地の中に入っていった。青白い雪の中、真っ黒な少女が1人、樺太の地を進んで行く。
桜子は現在、北海道は樺太の大地を踏んでいる。ロシア連邦国からの宣戦布告により、桜子はパトソルチェとの決戦を受け入れる形となった。今回の戦場は蝦夷地——北海道の離島である、樺太。この地での決戦は、両国にとって重要な進退を賭けたものであった。桜子はいつになく肩にのし掛かる重圧と共に、新しく積もる雪の上に足跡を付けて行く。
しばらく歩いた先に、桜子はとある人影を捉えた。岩と思しき場所に腰を置いている人影は、手に持っていたボトルを仰ぎ、中の液体を口に入れている。人影は雪の白とは異なる、薄い色味の背広を身に纏っていた。彼女は桜子の存在に気が付くと、その方へ首を動かした。
「——来たか、サクラコ」
薄い鼠色の背広を身に纏っている、灰髪の女——パトソルチェは桜子の姿を見ると、座っていた岩から腰を上げ、不敵な笑みを浮かべていた。そのまま、袖を捲って金属製のガントレットを露出させ、彼女は桜子の方へ足を進める。
「えぇ、少し待たせたかしらね」
桜子は目の前に居るパトソルチェと対峙すると、指に掛けていた鍔を押し出し、そのまま刀を抜いた。桜子は自分の鼻先と同じ高さに切先を置き、数尺先にいる彼女にそれを向ける。
パトソルチェは向けられた白いそれを見ると、金属音を鳴らしながら手を捏ねるように合わせて桜子に答えた。
「とんでもねぇ」
そう言うと、女は両手を握り込んで顔の位置で拳を構える。それを見た桜子は、込めていた肩の力を、ゆっくりと抜いた。
白と黒の『天使』は、風の音が響くこの空間で、戦いの火蓋が切られたことを理解した。
風が走る。冷たい音が響く事によって、この場には2人しか居ない事が理解出来た。両者は殆ど同時に雪を踏み込み、その武器を振るう。桜子は刀を振り翳し、パトソルチェはガントレットの腕を振り被った。
刀身と鉄腕がぶつかり合った瞬間、両者は全く同時にその『暈』を弾かれ、再びそれをぶつけ合う。切先を弾くようにずらし、片方の腕で顔を狙う。刀の向きを変え、顔に来た片腕を弾き返す。そのまま身体をのけ反らせ、刀身を相手の頭目掛けて振り下ろした——。
その瞬間。頭を防いだパトソルチェが、桜子の刀を跳ね除けるように弾き返す。桜子は負荷を逃す為、そのまま後ろに下がった。両者の間に、再び距離が出来る。
パトソルチェは手を払うように叩くと、退屈そうに首を回す。どこか腑に落ちない表情をした彼女は、少し先に居る桜子に問い掛ける。
「なぁ、ガソリンってあるか?」
桜子はその言葉に、思わず顔を顰める。パトソルチェは意図が伝わっていない事を悟ると、面倒臭そうに答えを返した。
「ただ叩き合ってもつまんねぇんだよ、どうせなら『暈』でも燃やさねぇか?」
桜子は当たり前だと言わんばかりに言葉を話す彼女に、深い溜息を吐いて答える。
「持ってる訳ないでしょ、頭おかしいんじゃないの?」
桜子の回答に、パトソルチェは明らかな落胆を見せる。
「ったく……しょうがねぇな」
パトソルチェは懐に入れていたボトルを取り出し、その中身をひっくり返して両腕のガントレットに浴びせた。パトソルチェはポケットにあったライターを使い、ガントレットに火を移す。
ガントレットに付着したアルコールが引火し、彼女の腕は青と赤の炎に包まれた。
「まぁこんなもんでいいだろ、持続はせんだろうが」
炎を纏ったガントレットを眼前に構えながら、パトソルチェは桜子と対峙する。桜子は燃え盛る灰色の狼を見ながら、刀を真正面に構えた。
走り出した2人が、互いの間合いに入る。
桜子は刀を振い、首辺りを狙った。パトソルチェは飛んでくる刀を腕で受け止め、跳ね除けた後に握り込んだ拳を桜子に突き出す。
桜子は炎の音を聴きながら刀を平行に動かし、パトソルチェの拳を受け流した——その束の間、パトソルチェはすぐに拳を振り上げ、次撃を構えていた。
そのまま、パトソルチェは桜子の顔目掛けて拳を振り翳し、凄まじい速度でそれを放つ。桜子はそれを見ながら、腰を一気に沈めてパトソルチェの脇を叩くように刀を振るった。上から聞こえる拳の音を聞きながら、転がるように相手の右手の方へ身体を動かし、パトソルチェと距離を置く。
桜子は後ろを振り向き、こちらを見つめるパトソルチェと視線を合わせた。
パトソルチェは桜子を見ながら、まだ燃えているガントレットを握り込む。そのまま、1歩ずつ桜子の方へと近付き、走り出して接近する。
桜子は持っていた刀を耳の横に垂直に構え、息をゆっくりと吐きながらパトソルチェを待つ。刹那、パトソルチェの腰が思い切り捻られ、その拳が放たれんとした瞬間——パトソルチェが間合いに入った桜子は、構えていた刀をパトソルチェの肩に向けて振り翳した。
鋭く細い刃が、パトソルチェの肩に入り込んだと分かった拍子、桜子は僅かな高熱と衝撃が顔に走った事が分かった。
倒れ込むと同時に、冷たい雪の質感と、暖かい液体の質感が混じり合い——その赤さに驚いた。
「ッ……!」
鼻をへし折られたらしく、人中に温い血が伝っているのが理解出来た。パトソルチェの方を見ると、薄灰色にスーツが濃ゆい血の赤が染み込んでおり、飽和した血が白い雪の上に落ちている。
「どうしたよ、サクラコ。殴られるのは久しぶりか? 随分弱くなったな」
パトソルチェは痛みをまるで見せず、桜子の表情を眺めながらそう言った。桜子は溜息を吐きながらゆっくりと立ち上がる。
「えぇ、殴られるより前に斬ってるもの。結構痛いのね」
桜子は人中に付いた血の拭き残しを親指の付け根辺りで拭き取り、刀を両手に持ち直した。パトソルチェはそれを見ながら、まだ炎が生きている両腕を合わせ、桜子の方に歩き始める。桜子もまた、刀を下に向けたままパトソルチェの方に近付く。
雪を踏む音が、徐々に速くなった。桜子とパトソルチェは再び間合いに入ると、戦闘を続ける。桜子は下から刀を振り上げ、相手の横腹に一太刀を狙った。パトソルチェはそれを見て、脇腹に来た刀をガントレットで受け止めた後、空いた片手で、桜子の顔目掛けて裏拳を入れる。桜子はそれを見て、刀を1度相手の手の中から引き抜き裏拳を躱す。そしてそのまま腕を上げ、肩から袈裟斬りの予備動作を行った。パトソルチェは瞬間、口元を歪めて上から来る刀を鉄腕で受け止める。その直後、パリィの要領で刀を弾き返すと、拳を低い位置で突き、桜子の腹——丹田あたりに1撃を食らわせた。
「っ……!」
桜子は防ぐ間もなく受けた打撃に、倒れ込んでしまった。雪の上に放り出された桜子は、その冷たさを全身に味わっている。
「……おい、お前舐めてんのか」
パトソルチェは酷く不機嫌そうな声色で、倒れ込む桜子にそう言った。首を鳴らしながら、相手に1歩ずつ近付いていく。彼女の腕に纏っていた炎は、先程の打撃を機に消えていた。
「他の『天使』とオレを同じだと思ったか? あんな腑抜けた連中と」
パトソルチェは桜子の目の前に立つと彼女の羽織の襟を掴み、勢いよく持ち上げた。普通の女性より遥かに軽い桜子の体は、苦労せず持ち上がってしまう。
「オレはお前が殺ったあの女共とは出来が違う。適当に刀振って勝てる訳ねぇだろ」
パトソルチェは桜子の軽い身体を揺らしてそう言った。自分よりも背の低い彼女の表情は見れなかったが、この身体に感情を感じなかったパトソルチェは、更に苛立ちを募らせる。
「本気で来い、オレに勝ちたいならな」
パトソルチェはそう言って、持ち上げていない方の腕を振りかぶり桜子に向けて放った。
——瞬間。桜子は持ち上げられている事を利用し、パトソルチェの胸辺りを思い切り蹴り上げた。直後、パトソルチェは思わず手を離してしまい、そのまま後ろに僅かに下がる。桜子はそれを見逃す事なく、1歩踏み込んで彼女の肩から腹に掛けて刀を斜めに振り下ろした。
「グッ……!」
肩を強く切り付けられ、後撃を上手く下がって受け流したパトソルチェは声を上げる。彼女は突如凄まじい反撃をかました桜子の方に視線を移した。
「……煩い」
桜子は一言だけそう言うと、相手の方を見る。赤く鋭い目が、彼女を睨み付ける。
——パトソルチェはその視線と目が合い、言いようの無い高揚を抱いた。目の前に、10年前の彼女が居る。殺意と力量が見合った、恐ろしい黒い『天使』がいる。2つ名すら通り越した、赤い眼をした『鬼』が居る。——自分は、恐ろしい相手と対峙している。
(…………あぁ、そうだ)
パトソルチェは恍惚とした表情で、静かに一言だけ呟いた。静かな吹雪。その冷たさの中に、強い熱を帯びた殺意が一気に放たれた。
2つの形を帯びた殺意は、互いに構え合う。銀の籠手を嵌めた女——パトソルチェは、頭よりやや上の位置で腕を構える。黒い刀を持った女——桜子は、腰辺りに刀を添える形で構える。距離を置いた状態で、互いをしっかりと視認した両者は、自分の得物を強く握り込んだ。
そうして、足を踏み込んだのはパトソルチェの方であった。柔らかい雪を蹴り上げ、その場から弾丸の如く発射されるパトソルチェに、桜子は刀を振り翳した。横1文字に描かれる刀の軌道、パトソルチェはそれを認めると、姿勢を低くしながら桜子に突っ込み——歯を使って刃を受け止めていた。
振れが起こりづらい桜子の的確な斬撃は、見極めさえすれば容易に、且つ振動も抑えて受け止める事が出来る。それを知っていたパトソルチェは、敢えて腕で弾き返さず刀を噛む形で受け止めていた。
歯と刃が擦れる鋭い音を響かせながら近付く狼に、桜子は若干気後れしてしまった。パトソルチェはその『迷い』を見逃す事なく、口で防いでいた刀を弾き飛ばす。そのまま、桜子の腹と鼻を再び叩き、白い雪の上に鮮血を飛ばさせる。
「おいおいどうしたよ!サクラコォ!」
——静かな雪の戦場に、怒号が響き渡る。桜子は寒さと痛みで手放したくなる意識を握り込みながら、劈く怒号に青筋を立てる。
「——ッ」
桜子は倒れ込みそうになった身体を立て直し、僅かな隙に腰の鞘へ刀を納めた。パトソルチェはそれに気付く事なく、低い位置に居る彼女へ近付き、腕を振り上げる。
——刹那。桜子は刀を抜いた。そのまま握り込むと同時に、パトソルチェの右腹に深く刃が刺さる。桜子はその肉の感触を感じ取ると、彼女の左肩まで斜め1文字に刀を振り上げた。
「ゔっ……!」
パトソルチェの低い声が響くと、桜子はそのまま刀を切り返しながら振り下ろした。切先がパトソルチェの顔面に伝い、上眉から口元に記された傷の血が口に垂れる。
桜子は怯んだパトソルチェに追撃すべく、刀を身体に添え、足を踏み込んで近付いた。それを認知したパトソルチェは、近付いてきた桜子が振り上げる刀を片手で受け止め、流れるように空いた手で桜子の頸をがっしりと掴んだ。
「ッ!」
桜子はそれから逃れようとするも、パトソルチェとの体格差故に抜け出しにくくなっていた。パトソルチェは桜子の頸を掴んだまま、膝で桜子の腹を蹴りあげる。3度蹴り上げた所でパトソルチェは桜子の首から手を離すと、彼女は腕を振り上げて腰を捻った。
顔を上げさせられた桜子は、痛みを食いしばって耐えているような表情をしていた。パトソルチェの迫り来る拳を見ながら、桜子は身体を動かす。手に持っていた刀を彼女の腹に当て、そのまま足を峰の部分に当てがって思い切り押し込んだ。
押し込まれたパトソルチェは刀の軌道に沿って腹を切られる流れで、雪の上に倒れ込む。桜子は雪の上に転がったパトソルチェの上に跨り、刀を振り下ろした。
——その最中で、パトソルチェは強く感じた。心臓の強い鼓動と、殴り合いの高揚。自分と対等の相手と戦う事が、彼女の興奮という炎に薪を焚べ続けている。
振り下ろされた刀を籠手で受け止めたパトソルチェは、拮抗する状況で起き上がりながら静かに口角を上げる。押し込まれる刀を押し返しながら、上半身を時間を掛けて起こしていく。パトソルチェはその最中で、確かに笑みを浮かべていた。
——不意に、パトソルチェの顔の傷に雫が沁みる。彼女は相手の刀を弾き返し、雪の上から立ち上がった。そうして、目の前にいる女と視線を合わせる。
「……おい、どうしたよ」
見据えた先。刀を持った黒い服の『天使』は、歯を食い縛りながら涙を流していた。
パトソルチェは一部の人にめちゃくちゃ刺さるタイプの女だと思います(N度目)。
てか字数少なくね?




