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鬼之櫻子  作者: 犬神八雲
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第二十話 林檎

本編が終わったら設定集を投げるかもしれません。

現行で追って頂いてる方々にも、最初から読む人に向けてという形になるかもしれません。

 夏の気配が鳴りを潜め、緩やかな寒さが辺りを包むようになった長月(くがつ)の朝の事。桜子は茶の間にある背の低い机の前に正座して、びっしりと文字の書いてある灰色の紙を眺めていた。

 桜子は手に握られた紙——新聞に載っている自分とコルンブルメの写真、そして堂々と見出しに書かれた「櫻子、快進撃止らず」の文字を見て、新聞を握る力を強くした。

「痛ッ……」

 それと同時に、力を込めた右肩に走る痛みを感じ取る。しばし動きを止めた後、溜息を吐きながら包帯の巻かれた首を撫で、桜子は机に新聞を音を立てずに置いた。

 ——コルンブルメとの決戦で、桜子は首を負傷した。『暈』による深手の傷を負ったのは久々であった事も手伝い、ドイツで応急処置を受けてそのまま帰国したものの、国防省からの念押しもあり、日本でも傷の状態を診てもらう運びとなった。

 首という急所を抉られた為に、桜子の傷は普段よりも塞がるのが遅かった。今は掛かりつけ医である宝生の治療と少々寝た事による回復で痛みはある程度治ったものの、全快には程遠い回復度合いであった。

 桜子は久しく負っていなかった傷と痛みを感じながら、近付いて来る足音を聞き拾う。その直後、茶の間の障子が開けられたのを認めると、目の前に立っている女性に視線を合わせる。

「おはよう桜子ちゃん、ご飯出来てるから待っててね」

 割烹着に身を包み目元の皺が見える日本人らしい顔つきの女性は、起きていた桜子に向けてそう言うと、そのまま台所の方へ戻った。桜子は茶の間まで広がる芳しい朝餉の香りに鼻を動かした。

 微かに酒精を感じる味噌の匂いと、焼けた脂が焦げる香り。そこに混じる甘い米の匂いが、桜子の居る茶の間に少しずつ近付いて来る。

 再び開いた茶の間の障子から、先程の女性が盆に食事を乗せて戻って来た。白い米と味噌汁、良く焼けた半身の鯖、葉物野菜の白和えと新香の小皿が乗ったそれを、背の低い机の上に置いた女性はそのまま座布団に腰を下ろし、桜子の向かいに座る。

「ありがとうございます、緑川さん」

 桜子は目の前の女性——緑川にそう言うと、彼女は静かに、それでいて優しく微笑みながら静かに答える。

「……いいのよ。それじゃ食べましょうか。いただきます」

 桜子と緑川は湯気の立つ温かな朝餉の前で手を合わせ、目の前の箸を手に取った。


 ——コルンブルメの遺体は、待機していたナチス軍所属の兵士達によって無事に回収され、そのまま国内で弔われた。

 桜子がその報告を受けたのは、彼女がドイツから日本に戻り、宝生の治療を受けた後の事である。

 桜子は川から彼女の体を引き上げた直後、光のない彼女の瞳と目が合った。虚ろであり、生者であった温かさが無くなったその体を見下ろしながら、桜子はコルンブルメの瞼に触れた。まだ体温が残っていた彼女の体に触れた瞬間、桜子は自分が感じていた強い自己嫌悪が蘇った。

 ——自分は、紛れもない人殺しである。

 互いに国を背負って戦争をしていた。争いを娯楽にする人ではなかった。人間としての側面が確かにあった。それ故に、自分が(ころ)してしまったものが、兵器(にんげん)である事に気付いてしまう。

 脈がなくなった彼女——であったモノに触れた瞬間。自分は人を殺したのだと、改めて気付かされる。

 ——桜子はいつの間にか、目の前に置かれた朝餉を食べる手を止めてしまう。箸で崩された鯖の背が、途端に味気のない物に見え始めた。桜子は手に持っていた茶碗を置き、少しだけ温くなった味噌汁に手を伸ばして口を付ける。

「……桜子ちゃん、大丈夫?」

 緑川は顔色が悪く、箸の進まない桜子に対し、そう問い掛ける。桜子は自分の考えが見抜かれた事に、ややばつが悪そうな表情をし、1度息を呑む。

「ごめん、なさい。この子達は、ちゃんと食べます。……すみません。後で出掛けて良いですか?」

 緑川はその質問の意図を理解すると、静かに頷いて答える。

「えぇ。……辛いわよね」

 桜子は、緑川の発したその言葉に、思わず俯く。そのまま、両目をしっかりと閉じながら何度か頷くと、桜子は一言だけ返した。

「……はい。少し、辛いです」

 緑川はそれに対して頷くだけであった。何も言わず、手に持っていた箸で焼かれた鯖を崩していた。

 桜子は静かな茶の間に響く食器の音が、少しだけ自分の心を軽くしてくれる事に気付くと、持っていた味噌汁の茶椀を机に戻し、白米が盛られているそれを手に取った。


 食事を終えた桜子は、緑川に頼み国防省から車を出して貰った。セーラー服に着替え、中身の入った刀袋を持ちながら、階段の前の駐車場で公用車を待つ。

 10分もしない内に、国防省からの公用車がやって来て、方向を変えながら停車する。運転席の扉が開き、そこから黒い背広の男が出てきた。

「待たせたか、すまない」

運転席の男——桐生は時計を見ながらそう言うと、後部座席の扉を開ける。桜子は後部座席に刀袋を置いて、その席に座った。

「ありがとう、病院までお願い」

 桜子は桐生にそう言うと、彼は後部座席の扉を閉めて運転席に戻ると、車を緩やかに発進させる。


***


 ——脈動する血の音。安定した鼓動。小さな呼吸。目の前にいる少女の体内の動きを、白衣の男は目を瞑って漏らさずに聞き取っていた。胸に巻かれた晒越しに聞こえる少女の身体は、正に健康そのものと言って差し支えないものである。……ただし、首部分に巻かれた包帯の場所を除いて。

「……ッ、」

 肩甲骨あたりに聴診器を持って行った拍子に、少女の身体は僅かに動く。肩甲骨から首筋に向かって、強い血流の動きが聞こえる。心臓とは違う、患部への血流の動きである。

 少女の反応が、痛む部分に対する防衛本能だと察した白衣の男は、聴診器を耳から外し、少女に向けて言った。

「傷の状態を見るから、包帯外せる?」

 少女は言われるがまま、首に巻いていた包帯を外す。解かれた包帯の先に見えた皮膚には、赤黒い生傷とそこに縫われた糸が見えた。皮膚が鋭利なモノで裂かれ、骨まで後少しという所まで付けられたその傷に、白衣の男は触れないよう眼鏡を掛けてじっと観察をする。

(……まだ完全には塞がってないけど、やっぱり塞がり方が早過ぎる。まるで細胞同士が急速に結び合ってるみたいな……)

 男は傷の細部まで目に焼き付けるように凝視しながら、指を空で動かしていた。

「……うん、もう巻いて良いよ。これ、新しい包帯ね」

 ぶつぶつと何か言っている男を側に、桜子は差し出された新しい包帯を首の傷辺りへ巻き直し始める。彼女は脱いでいたセーラー服を着直し、髪を纏めて後ろに持ち上げてある程度の体裁を整える。それから後ろを向いていた椅子を回して、白衣の男と対面した。

「いやー、興味深い。このペースなら、あと2週間もすれば完全に塞がるだろうね」

 白衣の男はそう言うと、持っていたペンの上部分で頭を叩きながら、カルテを記入し始める。その所作のまま、背凭れに身を預けて桜子に質問をする。

「……それで、今日はどうしたの?」

 宝生は既に、桜子が来た理由を察していた。桜子もそれを理解すると、言葉を紡ぎ始める。

「……コルンブルメと戦った。首の傷は、その時のモノ。この傷の代わりに私は彼女を討てた。彼女の体を引き上げて、目を瞑らせた」

 ポツポツと、纏まりのない言葉で宝生と自分だけの空間に言葉を放つ。室内の温度が少しだけ下がった錯覚に、桜子は腕を摩った。

「その時に、私が殺したんだって、分かってしまった。アイリスの時も、マルゲリータの時も、……梅の時も。自分で殺したんだ、って」

 桜子はそう言って、俯く角度を深くした。そうして、静かに息を吐きながら言葉を続ける。

「貴方は前に、私が『天使』をどう思うかって聞いた事があったわよね。…….私の答えは、何も変わってない。『天使』は、人間と変わりがないはずなの」

 桜子はそう言うと、摩っていた腕とセーラー服の肘を握り込み、細い声でひっそりと呟いた。

「……出来る事なら、私はもう戦いたくない。私には、人を殺せない」

 桜子の言葉に、宝生は若干顔を顰めてから、動きを止めていたペンとカルテを机の上に置く。

「……言おうか迷ってたんだけどね、それは君の考える事じゃないよ」

 宝生は珍しくはっきりそう言い切ると、そのまま言葉を続けた。

「今から言うのはただの戯言で、君の励みになんかならない事は分かってるんだけど、僕の意見を言う。……君の責任の所在は、国にある」

 桜子は顔を少しだけ上げて、宝生の顔を見る。白衣の彼は変わらず、やや辛そうな顔付きで桜子に言葉を続けた。

「君はただ、国から『殺せ』と言われて従ってるに過ぎない。だから君の責任は国が負うべきもので、君のその苦しみも、国が背負うべきものだ」

 宝生はそう言って、桜子の暗い視線を受け止める。桜子は黙ったまま、彼の言葉を待っていた。

「君は悪くない……って、気安く言えはしないけどね。でも少なくとも、僕は君が悪だとは思わないよ。君も僕からすれば、単なる被害者でしかない」

 そこまで言い切ると、宝生は1度溜息を吐いた。桜子は言葉の続きがない事を悟ると、宝生に対して言葉を漏らした。

「……ありがとう」

 宝生は引き出されたその言葉に、強い無力さを感じつつも、僅かに彼女へ手を差し伸べられたかもしれない、という安堵を感じた。

「僕が言えるのは、これくらいかな。早く君が、こんな事を考えないようになって欲しいよ」

 宝生はそう言うと、やや強い鎮痛剤と共に桜子を送り出した。

 桜子が扉を開けると、宝生の診察室の外で待機していた桐生と目が合った。桐生は桜子の前を歩き、両者は清潔で無機質な白亜の城を進み始める。先程まで自分という異物を監視していたような病院の白い壁は、今や自分から目を逸らしていた……そう感じた桜子は、幾らか軽くなった気分で、窮屈な院内を後にするべく、その足を進めて行く。


***


 吹雪が止まない極寒の地に鎮座する建物。病的なまでに無機質で白いその建物の廊下を、1人の女が銜えた煙草の穂先に火を灯しながら歩いている。濃ゆい灰色のスーツに身を包んでいるその女は、ネクタイを緩めて口に溜まった煙を一気に吐き出した。

 ——指で挟まれた煙草の吸口には、赤黒い血がべっとりと付いており、彼女の後ろには壁を背に倒れている白衣姿の研究者達がズラリと倒れている。

 ここは南極連盟本部の研究棟であり、現在は4国——アメリカ、イギリス、日本、そしてロシアの国——から派遣された研究者達が集う場所である。

 灰色のスーツの女は煙草を咥えながら、白い壁に手を付いたまま引き摺った。真っ直ぐに描かれた赤い線は、手に付いたインクが切れるまで伸びていく。

 乾いた手で、女は若干荒れた髪をグイッと掻き上げる。そのまま、女はとある部屋の前まで辿り着くと、等級の高い職員から強奪したカードで目的の為に部屋の中に入る。

 自動的に開かれたドアの向こうには、殆どが白いもので統一された部屋と、その中心に居る、車椅子に乗る、黒いレースの布地で目を覆った、真っ白な髪の淑女だった。

「……お久しぶりですね、パトソールチニチク」

 灰色のスーツの女——パトソルチェは、目の前の車椅子に座った女を見て、一言述べる。

「久しぶりだな、『聖母』様。半年近く振りだと思うが……」

 溜息と共に、パトソルチェはとにかく白さが際立った目の前の『天使』と視線を合わせる。

 ——白い緩やかなワンピースに、白い肩までの髪、そしてメラニンが著しく欠乏した——アルビノに近しい肌色の『天使』に、改めて溜息を吐いた。

「何か、私に用事があったのでしょう。……私の領域で人を殺してまで面会したかった理由を、聞かせて頂けますか?」

 目の前の女は、その見た目からは想像も出来ない程の覇気を放っていた。まるで氷の如き冷気に、パトソルチェは口角を上げた。

「書記長殿からの通達でな、『寄生虫』が残ってたら持ち帰れってのと——」

 パトソルチェはそこまで言うと、腰に付けていたホルダーから1丁の銃を取り出した。

「——『聖母(アンタ)』を殺せってコトらしい」

 銃口を向けられた白い彼女は、見えていないはずのそれをしっかりと見据えながら答える。

「私を殺害、ですか。その意味が分からない程、貴女達は愚かではないと思っていましたが……思い過ごしでしょうか?」

 『聖母』はそう言いながら、パトソルチェの方を見ていた。目隠しの奥にある視線を感じ取ったパトソルチェは、銃口を相手に向けた姿勢のままそれに答える。

「思い過ごしかもな。だが1つ言わなきゃならない事がある。……南極(ここ)はもう、中立の場所じゃねぇだろ」

 彼女は引き金に込める力を強め、静かに言葉を重ねた。

「中立という体を取ってるだけで、ここはもうアメリカの支配下にある……。ウチの優秀な番犬共が嗅ぎ回って得た情報だ」

 『聖母』はそれに対し、何も言わなかった。パトソルチェは何も言わない彼女を一瞥して言葉を続ける。

「大方金でここを買ったんだろうが、アメリカは新しい『天使』の為にここを買ったものの……もう隕石に付着してた『寄生虫』が残っていない……っつー噂は、マジだったんだな」

 パトソルチェの言葉に、『聖母』は何も言わなかった。まるで最初からこうなる事を分かっていたかの様に、何も言い返さずに彼女の言葉を聞いている。そんな中、『聖母』は微笑みながら聞き返した。

「つまり、貴女の目的はこの施設の機能停止と、私の殺害での『南極連盟』の実質的な破棄……という事ですね」

 『聖母』がそう言うと、パトソルチェはすぐに答えた。

「あぁ。それに、あの女が力を持つのもあまりに気に食わん。オレはローズに屈服するくらいなら、サクラコの刀で犬死する方がマシなんでな」

 パトソルチェがそう言い切り、引き金の握り込みを強くしたと同時に、『聖母』はひっそりと呟いた。

「そうですか。南極(わたくし)の中立性への疑心が発端と。……構いませんよ」

 ——『聖母』がそう言った瞬間、パトソルチェは引き金に込めた力を僅かに弱めてしまった。

「はっ?」

 いともあっさり行われた殺害の了承に、思わず声を上げる。そのまま、若干の焦燥と共に彼女は改めて銃を構えた。

「……正気かよ、『聖母』サマ」

 銃の握り手が、摩擦で音を立てる。その音に対し、『聖母』は白い身体の中で唯一の赤——唇を動かして、パトソルチェに答えた。

「少なくとも、この中立の場を壊そうとしている貴女達よりは、遥かに正気ですよ」

 そのまま、『聖母』は自身に向けられた銃口から顔を逸らし、目の前にある巨大な窓——視界には銀世界しか映らない、何の変化もないつまらない外——に向けた。

「元より。貴女が来て、私が死ぬのは見えていました。……私は身体の弱さと引き換えに、少し先の事が視えていましたので」

 パトソルチェは、自身の死期を悟っている人間特有の余裕と、こちらを見透かしてくる物言いに、思わず気持ち悪さを感じた。それを知って知らずか、『聖母』はパトソルチェに告げる。

「……撃たないのですか? 見ての通り私は何も持っていない。偶発的に生まれてしまった私には、貴女達と違いお粗末な『暈』しかありません。——殺すのは、容易いはずですよ」

 パトソルチェはその言葉を聞いた瞬間、引き金を引いて『聖母』の頭を貫いた。

 乾いた音が、無機質な白い部屋に響き——その壁が、どこか色褪せた血によって赤黒く染まる。

「ッ、あ、……」

 もう虫の息に等しい『聖母』の元に、パトソルチェは近付いて行った。革靴の音が、室内に響き渡る。

「……さようなら、向日葵の……貴女……、知恵の実として、ッ、貴女達を……」

 『聖母』は顔に滴る血を感じながら、優しく微笑んだ。パトソルチェはそれを見ながら、頭を撃ち抜かれてぐったりと倒れる彼女に心臓へ、確実に殺すために再度射撃する。

 じわりと服の上に広がる血の池と鉄の匂いにパトソルチェは顔を顰めながら、『聖母』が確実に死んでいる事を確認した。

 そのまま、胸に付けていた通信機を持ち上げて、それに向けて呟く。

「——2(ドゥヴァ)、『聖母』マールム号の処理を完了した。これより帰還する」

 簡素な報告を終えたパトソルチェは、誰も居なくなった部屋を後にした。

マールムはラテン語で林檎だそうで。

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