第十五話 梅
今更ですが、『暈』の読み方は『かさ』です。意味は後光とか太陽の周りに出てくる輪環でして、英語に直すと『ヘイロー』になります。
『天使』の武器がヘイローです。
「我々はお前達を殺しに来た」
ドアから押し入って来た4人組のスーツの男——中国共産党当局から派遣されたであろう彼らは、銃口を官僚達に向けている。常磐はその4人の顔を一通り見た後、部隊長と思われる壮年の男に視線を合わせる。
「単純に考えて5対4。しかも敵国の軍事施設に数人で乗り込むとは、策があるにしては考えがない」
常磐がそう言うと、官僚は皆背広から銃を取り出し、発砲出来る構えを取った。国防省の一室があっという間に戦場へと化した事に、当然ではあるが誰1人として動揺していなかった。
「——どういうつもりだ?」
常磐がそう問うも、部隊長の男は何も言葉を話さずに常磐へ照準を定める。彼はその銃口を見ながら考えを纏め始めた。
(発砲しないのは最初に避けられた事で機を伺ってるだけか。……予定では恐らく私はすぐに殺せるはずだったんだろう)
沈黙が続く部屋の中で、常磐は視線を4人組の内の1人に向ける。並びとして、3番目に当たる彼はその視線に気付くと、唇を僅かに動かした。
「……話すつもりはない、という事でいいかな? 我々もここでの流血沙汰は避けたかったが……」
常磐は眼鏡を直しながら深い溜息を吐き、そして椅子に深く腰掛ける。その様子はまるで戦意がなく、脱力した身体の動きと共に彼は一言呟く。
「——もう良いぞ、火野」
その言葉が室内に響いた瞬間——乾いた発砲音が2発分、聞こえた。官僚側は銃を構えたままであるが、どの銃口からも硝煙は昇っていない。
「——ッ!!」
部隊長の男はその瞬間に、自分の判断が遅れてしまった事実に気付くと同時に、強い焦りを覚える。
後ろを振り向くと、倒れている自分の部下と、首元を締められているもう1人の部下、そして——自分を裏切った自分の部下の姿が見えた。
「ッ、妈的ッ!!」
銃口を裏切った部下に向けた瞬間、自身の銃が弾丸で飛ばされると共に、膝を撃ち抜かれた。自重を保てず、自身の身体がすとんと床に突く。
そのまま最後に残った部下も膝裏に弾丸を撃ち込まれてしまった事で、この場はものの数秒でたった1人の男が制圧されてしまった。
——3人の男が、脚を撃ち抜かれてしまった事で立てずにいる中。ネクタイを緩めながら1人の男が無表情のまま常磐へ話し掛ける。
「ここの人達は日本国防省に対する、武力行使の為の捨て駒です。始末はどうしましょう」
常磐はそれを見ながら、立ち上がって彼の方へと近付くと、倒れ込んだ3人を見ながら呟いた。
「話を聞けるかもしれないからね。生かしてはおこう。……報告を、お願い出来るか?」
常磐がそういうと、ネクタイを緩めたその男は常磐に一礼して、口を開いた。
「国防省特別情報部別班、火野です。只今、国防省に帰還致しました」
常磐はその様子を見て緩やかに微笑むと、官僚達へ銃を下げるように合図をした。
「承認。国防省次官として、貴公の帰還を正式に認める。……お疲れ様」
火野はその言葉を受けると、銃を隠し、敬礼で答えた。
***
廃墟ビル群が成形する、中央の通路スペースにて、桜子と梅は睨み合う形で対峙していた。
桜子は持っていた雲絶の柄を取り出して、穂先の部分にそれを嵌め込んだ。そのまま柄を抑えるようにして指で鍔を回し、槍の形態から刀の形態へと戻す。桜子は改めて、簡単には刀が抜けないよう鍔と鞘を下緒で結び直し、柄を掴んで軽く振るった。
「……よし」
抜刀がされない事への確認が終わり、再び梅と視線を合わせる。
梅は脚を開いて、腰を捻りながら戟を振るうと同時に、床を蹴って桜子の方へ接近した。桜子は刀を正眼に構えた直後、片足を1歩退けて目線と平行の位置に刀を置く。
梅が戟を桜子へ打ち付けんとする刹那に、桜子は刀を前に突き出し、戟の直撃を刀でいなすように阻むと、それを切り返し、踏み出しながら梅の身体へ一太刀入れる。その場所は丁度、桜子が斬った痕が残っている場所であり、梅は内の肉へ直に伝わる、鞘の打撃の痛みに歯を食い縛った。梅はその瞬間、反撃の機会を見出し、切り返された戟を空いている桜子の足元へ突き出す。
桜子はその動きを見ると、梅の脇に当てていた刀を即座に外し、足元へと移した。戟の柄と刀の鞘がぶつかる鈍い音が響き、桜子は梅の腹部を蹴り飛ばして距離を置いた。
梅はその蹴撃を受け、その場から数メートル先の廃ビルの壁へと衝突した。桜子は衝突と共に巻き起こった砂埃で、見えなくなった相手に目を凝らす。
桜子は刀を構えながら、砂埃がゆっくりと晴れるのを待つ——その刹那の事であった。
砂埃から飛び出して来たのは、梅が持っていた戟であり、桜子は反射的にそれを跳ね返す。その直後、砂埃から棍を持った梅が飛び出して来たかと思うと、彼女は棍を思い切り振り被って桜子を弾き飛ばした。さながら野球のような飛び方である。
飛ばされた桜子は、直前に鍔で棍を受けていた事が手伝い、梅の攻撃での損傷はなかったが、飛ばされて着地した先が廃ビルの中だった故に、当たった背中は若干痛みがあった。
「いてて……」
桜子が背中を摩りながら立ち上がった拍子で梅も追い付いたらしく、手に戻っていた戟を桜子の方へと構える。
桜子は面倒臭そうな表情と共に溜息を吐き、刀を下に向けた状態でその場からゆっくりと動き始めた。梅も同様に、桜子に合わせて足を動かす。両者は距離を保ったまま廃墟の1階層部分を歩き始めた。
桜子と梅はその歩速を互いに早め、遂に走り出した拍子で、近付き、そして『暈』を打ち合った。
金属と漆器の衝突音が数秒に渡って響き合い、桜子は退きながら壁際に寄った。梅は距離を詰めるように桜子を壁に追い込み、桜子の頭目掛けて戟を振り翳す。
桜子はその振り下ろしを見ながら、頭と腰を屈める事で飛来する戟を躱し切った。直後、桜子は壁に足を当て、梅の鳩尾に刀を置く。壁に当てた足の推進力を使い、鞘の横一線を梅の鳩尾に叩き付けた。
どんっ、と押された梅は、数歩退くと共に膝を突いてそれを受け止めると、そのまま戟を地面に叩き付けて床をヒビ割り、下の階へと落ちて行った。
「……良い度胸ですこと」
桜子はその意図を瞬時に汲み取り、横に持っていた刀を柄に持ち直して、下手に構えた。
——梅はこの一瞬で、廃墟という地の利を活かす為に敢えて下に落ちた。同高度での戦闘は不利であると察したのか、はたまた別の理由かは定かではないが、桜子の目の前から消えたのには確実に戦闘の為である。
桜子は心底つまらなさそうに、溜息を吐くと、静かに目を閉じて耳を澄ませた。
(……足音。まだ下に居る。この感じは、2棟先……? そこから外に出て、壁を蹴りながら昇ってる……)
桜子は目を開けると共に、後ろを向き、刀を振り翳す。刀が弾き飛ばしたのは梅の棍であり、桜子は割れた窓硝子から投げ入れられたであろう棍が、縦に回転しながら壁に突き刺さるのを見届けた。
桜子は刀を下に構えながら、溜息を吐いて梅がこの階層に戻って来るのを待った。
(……投げたところから上に登ったままね。ならこのまま上から——)
桜子がそう考えていると、頭上の床が突き抜けた。梅が上から、戟を振るう為に構える動作をしながら落下して来る。瓦礫になった床の石材が擦れる音と、見ずとも分かる殺気が詰まった戟の穂先。桜子は俯いたまま、密かに微笑んだ。
「——来るわよね、当然」
桜子は俯いたまま刀を頭上に持ち上げた。刃を上向きに振り上げ、正中線と鞘が一直線になるように構える。そのまま戟の穂先と鞘が競り合った——瞬間に、真っ向の斬り型で梅の顎と頸動脈に当たる喉部分を鞘で思い切り叩き付けた。
梅は、顎が割れる感覚と、首が思い切り撃ち抜かれる衝撃に一瞬だけ失神するも、地面に叩き付けられた事で意識を強制的に取り戻した。
その無防備な状態の梅に、桜子は脚を踏み込んで近付く。桜子は下に向けた刀を梅に叩き付け、そのまま刀を下から上へと振り上げた。壁ごとぶち抜きながら、梅の身体を空中へ吹き飛ばした桜子は、空を背にする梅に一言告げた。
「死ぬ前に教えてやるわよ。『地の利』ってやつをね」
桜子はそのまま地面を蹴って、梅と同高度にまで飛翔する。彼女は梅の背後にある、別の廃墟ビル目掛けて、梅に再び刀を振り翳した。
空中で死に掛けといえど、梅は戟を前に構えて、桜子の刀の振り下ろしを受けた。
——戟全体に伝わる振動の衝撃と共に、梅は桜子の狙い通り向かいのビルへと叩き飛ばされた。
「ッ、妈的ッ!」
飛ばされる最中に、梅は身体を翻して戟をビルの壁に突き刺した。そのまま壁を壊してビルの中に入り込み、両側の壁に硝子が設置されているその階層で、梅は深呼吸をしながら呟いた。奇しくもこの状況は、先程の桜子と同じである。
「ナメやがって……」
梅は歯を食い縛りながら、耳に意識を集中させる。
——梅号の特異性は、聴覚にある。普段は意図的に聞こえないよう感覚を鈍くしているが、探知や緊急の際は聴覚を研ぎ澄まして使い分けをしている。梅自身、この能力は使い勝手が悪いと認識しており、普段の戦闘では殆ど使用しない。しかし、今回は湧き上がる憤怒故に使用を判じた。
(——何処だ。空中に身を投げ出した以上、必ず建物の外に居るはず……)
梅は床を戟の石突の部分で叩き、その空間からの反響を探る……が、しかし。本来であれば帰って来るはずの反響が、数刻経っても帰って来なかった。
(同高度に居ない……上下にも気配がない……範囲外に出てるのか……?)
いつもであればもう既に場所を特定し、そこへ向かっているはずであるのに、一向に反応がない事に梅は怪しさを覚える。
梅は戟を握り込みながら更に耳に意識を集中させて石突を地面に叩き付けた。——先程よりも鮮明に帰って来る反響音に、梅は耳を傾ける。それと同時に、何かが向かって来る時の風切り音が聞こえ始め、梅は桜子である確信と共にその方向へ視線を向ける。
「!!」
そうして口角を上げ、戟を構えたその瞬間——梅の耳に入って来たのは凄まじい破裂音であった。目の前にあった窓硝子が漏れなく全て割れた事による強烈な破裂音。聴覚を極限まで高めていた梅にとってその破裂音は、正に至近距離での爆発音に程近く——強い耳鳴りと共に、梅は耳を抑え、耳の奥から来る痛覚と共に絶叫した。
(聴き間違えた!? このウチが……!? あの風切り音はただのブラフ!? なら本命は——)
梅がそう考えていると、目の前の壁を突き破って、真正面から突っ込んでくる桜子が見えた。
「『地の利』ってのはね。こうやって活かすのよ、梅」
桜子は刀を持ち上げ、袈裟に切る動作と共に梅の肩へ鞘を叩き付ける。打撃によって身体全体が沈み込むが、直後に桜子が彼女の胸倉を掴んで起こし上げた。そのまま、桜子は梅を引き摺りながら割れた窓硝子から外に出ると、彼女の胸倉を投げるように手放して、梅だけを空中へ放ってしまった。
桜子はそれと同時に、自身も身を乗り出して空中へと落ちていった。
梅と桜子が落ちた隙間は、所謂ビル同士の吹き抜けに当たる部分であり、他ビルの隙間よりもずっと狭かった。
梅はそれを認めると、腰を捻って戟を壁に叩き付けながら、身体の落下を急停止させる。停止と同時に、同じように落ちる桜子に向かう為に、脚の力を解放して壁を蹴り上げた。
桜子はそれを察すると、向かって来る戟の穂先をくるりと躱しながら、その柄を掴み取り、まるで鉄棒の如く身体を回転させる。一回転の後に柄へ着地をした桜子は、そのまま柄を蹴り上げて、壁に向かって走り出した。
梅は一瞬の内に行われた動作に目が追い付かず、咄嗟に桜子の方向を目で追った。桜子はビルの壁部分を大股で走りながら、刀を斜め下に構え始める。
——横向きに走っている訳であるから、髪は重力の関係で勿論下へ垂れ下がる筈である。しかし桜子はその身軽さと速さから、髪が真っ直ぐに仰いでいた。
桜子は壁を走ってその場から一周し、梅の下まで辿り着いた。桜子はそのまま、梅に対して構えていた刀を振り翳し、叩き付けと同時に再び走り出した。
「グッ……!」
まともな防御の術を持たなかった梅は、それを正面から食らい、そのままビルの隙間へ落下していった。
桜子は後ろで落ちた事を確認すると、脚の向きを変えて螺旋状に走りながら落下していく。
梅は地面と背を強く衝突すると、頭から血を流しながら、折れた部分を省みた。『暈』による攻撃ではない為に、頭の傷はすぐに塞がるものの、全身に感じる強い痛みから、何箇所かは酷い折れが生じている。
(肋と鎖骨、あと顎ネ……。多分肩にもヒビが入ってる……)
梅は息を吐きながらゆっくりと立ち上がり、着地した桜子に視線を合わせる。桜子に対して戟を構えた梅は、そのまま地面を蹴って桜子に突進して来た。
「まだ動けるのね……」
桜子は内心にある若干の呆れと共に、戟の突進を受け止める。受け止めると同時に、桜子は僅かに後ろへ引き下がった。
若干押されながらも、桜子は対応出来る範囲故に程度良く戟をいなす——その最中に、梅は突如戟の力量を超え、桜子の身体を吹き飛ばした。
「ッ!」
桜子はそれを感じながら、敢えて空中で脱力する。そして先程の戦闘での違和感を思い返した。
(息も短かったし、身体に損傷は間違いなく溜まってる。火事場の馬鹿力ってやつかしらね……)
桜子がそう考えている中で、吹き飛ばした本人である梅は、呼吸を整えてその場から走り出した。
「ウチが殺す、ウチが殺す。あの女はここで仕留める。樱花は、私の手で殺す」
呪文のように呟きながら、梅は戟を構えて桜子の方に走り出した。血走った目で標的を追い、血を垂れ流しながらも足を止めず、痛みが常にありながらも口角を上げる。
それは正しく闘士であり、戦に狂った女である。濃ゆい赤の花弁を開く、その花の名に相応しい最期である。その赤が零れる前に、一度狂い咲かん為に。
「——樱花!戦いましょう!」
真っ赤に染まった口で、梅は叫んだ。桜子はそれを見ながら、深い溜息を吐いて答える。
「……馬鹿みたいね」
桜子は身体を翻し、地面に着地した。それと同時に、梅の戟が桜子の鞘へとぶつかった。
横に薙ぎ払う振りを切り返して弾き、縦に振り翳された刃は鍔で受け止め逸らす。桜子は憐れみの表情を浮かべながら、梅の最期の武踊を見る。
その速度が落ち始め、梅が大きく戟を振り払った瞬間に、桜子はその隙を見切った。
桜子は鞘がついたままの刀で、梅の戟を弾き飛ばした。その瞬間、両者とも勝敗がそこで決まった事を察する。
梅は『暈』を弾かれると共に、それが折れた感覚を理解した事による強い焦りの表情をしながら。
桜子は冷たい表情を隠す事なく、『暈』へ顕著な損傷を与えた事で勝利を確信するとそのまま雲絶を最後まで振るった。
鈍い音が廃墟群の中で響き渡り、僅かな静寂が一帯を包む。
度重なる打撃によるダメージから、雲絶の黒い鞘はヒビ割れ、そのまま木が軋む音が聞こえてきた。刀の鞘は、静かに瓦解を始める。
それを代償に、雲絶は僅かに梅の戟に凹みを与えた。桜子は戟が歪んだ事を認めると、そのまま脚で梅を蹴り飛ばして距離を取った。その蹴りと同時に、梅は戟を手放していたらしく、桜子の目の前には穂先に程近い柄の部分が僅かに曲がってしまった戟が落ちていた。
「……」
桜子はそれを見て、脚と手に力を入れると、その部分から戟をへし折る。まるで木の棒を折った時のような音が響いたその瞬間。
起き上がろうとした梅は糸が切れたかの如く地面に倒れ込みながら、何かを呟き始める。這うように移動するのを見るに、与えられた損傷が一気に彼女を襲ったのであろう。
桜子はその様子を見ながら冷たい視線を梅へと送り、へし折った戟の上部分を持ちながら彼女の方へと近付いた。近付くと同時に、桜子は呟く梅の言葉に耳を傾けた。
「くも……よくもウチの桃花源記を……」
梅がそう言いながらこちらへ近付くのを見て、桜子は今までにない強い苛立ちを感じ取った。
「それを、お前が言うの……?」
桜子は怒りと共に折った戟を強く握り締め、梅の方へと近付くと、手に持って居た刀を逆さに持ち変え、胸倉を掴んで起き上がらせた。
「お前がやった事でしょ……? 『天使』の尊厳を踏み躙って、意味もなく痛め付けて、弔いもしない!お前がやった事でしょ!?」
柄にもない桜子の怒鳴りを、梅は相変わらず鼻で笑った。
「……ハッ」
その嘲笑を聞いた途端、桜子は激昂と共に、戟を持った手で梅の胸へとその先端を突き刺した。
——心臓部分に刺された事での逆流故か、梅は血反吐を吐いた。その上弱っていた事も手伝って、膝の身体を支える力が著しく弱くなっていた。それを証拠に、桜子の腕には強い重みが加わっている。
桜子は掴んでいた胸倉を離し、折れた戟のみで梅の身体を支えると、ひっそりと呟き始めた。
「……最期に教えてやる。私はお前に対する情などないし、マルゲリータと特別仲が良かった訳でもない」
桜子はそう言って、恐らくまともに聞こえてすらいない——『暈』を折られた事で全ての能力が著しく下がった状態である——梅に対し、言葉を続けた。
「ただ、惨たらしく『天使』を殺したお前の事が気に食わなかったから、私はお前の心臓を貫いたんだ」
桜子はそう言うと、梅の心臓に突き刺していた戟を引き抜いた。それと同時に、自重に耐え切れなくなった梅の体はその場に倒れ込む。数秒の痙攣の後にその動きすら止めた。
桜子は深い苛立ちを感じた後、血に塗れた自分の手を見て、深呼吸した。早くうるさい心臓の音を落ち着かせる為に、彼女は深呼吸を繰り返した。
ようやく落ち着いた桜子は、梅の体の前にしゃがみ込んだ。そのまマンダリンドレスの間から見える、黒いタイツに包まれた筋肉質な彼女の脚に触れると、刀を使ってそのタイツを破く。
「……あった」
桜子は目の前に現れた梅の花を模している黒い刺青に触れて、数秒間静かに目を閉じた。
——「『それ』、キミは本当に変わらないね」
ロザリオからの言葉を反芻しながら、桜子は深い溜息を吐いた。それと同時に、誰の耳にも入らない程小さな声でひっそりと呟いた。
「……変わらないんじゃない、変われないだけ。私が人で居るには、こうするしかない」
桜子が立ち上がってその場を離れようとした時、車の走る音が聞こえた。視線を目の前に移すと、自分が乗って来ていた黒い車がやって来ていた。その車はそのまま減速し停車すると、扉が開かれ、そこから葛葉がこちらに歩き出した。
桜子はそれを見ながら、目の前の彼へ問い掛ける。
「……来てたのね」
「馬鹿みたいな衝突音が無くなったからな。頃合いだと思って向かっただけだ」
彼はそう言うと、しばしの沈黙の後に桜子へ問い掛ける。
「……終わったか?」
桜子は彼の表情を見ながら、何か言う事もなく目を逸らした。葛葉は答えを察すると、頭を指で掻きながら携帯を取り出し、何処かへ電話を掛けた。
「……はい、葛葉です。無事に終わりました。遺体の輸送に移ります——」
桜子は葛葉が1人行う報告を小耳に聴いて、自分がまたも『天使』を手に掛けたという事実を、改めて理解する。動かなくなった梅を見下ろした後、桜子は空を見上げた。
雲が僅かにあるだけの青い空に、桜子は確かな嫌気を感じる。
梅を殺しました。殺すとポンポン話を進められるので良いですね。
ただ戦闘シーンが皆さんに伝わっているかは定かではありませんが。




