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鬼之櫻子  作者: 犬神八雲
13/19

第十三話 悲怒

うおおお殺し合い‼️殺し合い‼️殺し合い‼️

 朝餉の最中に、1本の電話が入った。

 その相手が左であると分かると、桜子は緑川に呼ばれ、その受話器を手に取る。

「はい、桜子です」

 その言葉に、左は重々しく口を開いた。

「桜子号。落ち着いて聞いて欲しい」

 その前置きは、明らかに善い報告ではなかったし、左の声色も酷く冷たかった。

 しばしの会話の後、桜子は両手で受話器を握って、俯いたままその報告を耳に入れる。時折聞こえる弱々しい相槌は、桜子の声が詰まったものであると理解出来る。

 そうして受話器を置き、桜子は顔を両手で覆った。大きく深呼吸をして、緑川に対して告げた。

「……緑川さん、ちょっと私、沖縄に行く事になりました。今日の内に帰って来れるとは思います。……その、ごめんなさい」

 彼女の声色と表情から、只事ではないと緑川は察したのか、桜子の言葉に頷くだけでその場から去る。受話器の前に残された桜子は、自分の震える手を見ながら静かに深呼吸をした。

 数分後。駐車場に黒い車が到着し、桜子はそれを認めると、車に近付いた。車から出てきたのは葛葉であった。背広を叩き、後部座席の扉を開け、乗車を催促する。桜子はそれに従い、刀を置き車に乗り込むと、それを確認した葛葉はエンジンを掛けて、羽田空港の方へと車を走らせた。


 空港の指定された場所に到着すると、左の姿が見えた。それを見つけた葛葉は、一礼と共に、桜子を先に歩かせた。

 桜子が左の下へ辿り着くと同時に、左は懐から飛行機の乗車券を桜子へ渡した。その行先は、那覇空港と記されていた。

「……本当なの?」

 桜子はそう問い掛けると、左は一瞬詰まりながらも返答した。

「沖縄県警からの報告だ。間違いないだろう」

 桜子は暗い顔をしながら、手に持っていた乗車券を強く握り込む。左はそれを見て、敢えて無視しながら桜子に言い放つ。

「行こう。……葛葉、後は頼む」

 葛葉はそれを聞くと、背を向けて搭乗口に向かう2つの背中を見ながら静かに頭を下げた。


 搭乗口からは順調であった。飛行機に乗り込み、桜子と左は飛行機の離陸から、沖縄への着陸まで、一言も言葉を交わす事なく空の移動を終えた。その間、桜子は袋に入っている刀を額に当てながら、何度も深い溜息を吐いていた。

 飛行機から降りた両者は、荷物の預け場を通り過ぎ、真っ直ぐに空港の出口——外へと通じる場所に向かう。入口に留まっている『沖縄県警』と黒文字で書かれたパトカーと青い制服の若い男の警官が見えた。

 左はそれの近くまで行くと、1礼と同時に名刺を取り出し、警官に一言述べる。

「ありがとうございます。では件の海岸へ」

 敬礼と共に、警官は運転席に乗った。左は後部座席の扉を開けて桜子に乗るように催促する。開錠と同時に、桜子は震える声色で左へ問い掛けた。

「……住所さえ教えてくれれば、私1人で行ける、車より速い、私が先に——」

「駄目だ」

 左は普段とは大きく異なる低い声色で桜子に告げる。桜子は背負っていた刀袋の紐を握る。

「君は監視対象だ。気持ちは汲み取るが、君の私情に一般市民を巻き込む気か? ここでは慎んで欲しい」

 左は強い口調でそう言い切ると、桜子に再び催促する。桜子はその警告を無理矢理飲み込んだようで、渋々パトカーに乗り込む。左はそれを認めると助手席に乗り込み、改めて警官へ告げる。

「では、お願いします」

 3人を乗せたパトカーは、海岸の方面へと走り出した。


 那覇空港前から海岸までは、30分程度の時間を掛けて到着した。駐車の後、桜子と左は車から飛び出るような形で下車し、桜子は真っ直ぐに走っていった。左はそれに着いて行く形で砂上を革靴で歩き始める。

 桜子は風に乗って鼻に入る『彼女』の香りを頼りに、海岸を走った。5分程度走った末に、2人の警官に囲まれた『彼女』を見つける。

 桜子の脚は、静かに竦んだ。呼吸が浅くなる。そのまま、1歩を踏み出した。また1歩、1歩ずつそれに近付く。2人の警官の内、片方がそれに気付くと、もう片方へ話し掛ける。両者とも桜子に気付くと直ぐに退き、少し離れた場所に移る。

 桜子はそれを認識すると、走って『それ』の下へと向かった。そうして、海際に倒れたモノを改めて認識すると、震えた声で問い掛ける。

「……ま、マルゲリータ……?」

 目には布が巻かれていた。四肢は切り落とされていた。僅かに動く口元の中には舌が無かった。しかし、その髪色と肌の色は、マルゲリータそのものであった。

 桜子は絶句しながらも、隣へ静かにしゃがむ。そうして彼女の身体を起こそうとした——。

 しかし彼女の四肢には、乱雑に切り落とされた痕が残っており、気安く触れるのを躊躇う程の傷痕が、痛々しく残っている。

 桜子は頭と背に手を当てがい、自身の膝の上に頭を乗せた。そうした時、マルゲリータは口の動きを僅かであるが早めた。桜子は彼女の口元へ耳を傾ける。舌を抜かれているが為に、呻き声しか聞こえない。

 桜子は、惨い姿となり風前の灯火である彼女を前に、思わず目を瞑った。そのまま、一度深呼吸をした後、目をしっかりと開けてマルゲリータに優しく問い掛ける。

 ——その様子を、ようやく追い付いた左は遠巻きに眺め、桜子の方へと近付いた。

「……マルゲリータ、私よ、桜子。辛いだろうけど、もう一度言って。読唇くらいは出来るわ。私に、言いたい事を教えて」

 桜子がそう言うと、マルゲリータは口の動きを変え、一語ずつ、時間を掛けて言った。

【こ ろ し て】

「……『殺して』? ……いいのね?」

 マルゲリータは桜子の言葉に、二度首を縦に動かした。彼女は、何となくで察していた口の動きが答えとして示された事による悲しみと、こんな姿にしてまで命を奪わなかった相手への卑劣さに激怒し、いつの間にか隣に来ていた左の方へ顔を向ける。

「……聞いてたわよね?」

「あぁ。国防省として、マルゲリータ号の殺害を許可する」

 桜子はそれを聞くと、膝の上に乗っていたマルゲリータを左に任せ、指示をする。

「肩、支えてて。傷口に触れないように」

 左は言われた通り、屈んでマルゲリータの肩を抑える。やや前傾の姿勢になった状態で、左は桜子を待った。

 桜子は肩に掛けていた刀袋から手早く黒い刀——雲絶を取り出し、そのまま刀を抜く。鞘を捨て、マルゲリータの側まで近付くと、静かに刀を上げた。

「……怖かったら目を瞑ってて。貴方には当てないし、打首にもしない。——これは『介錯』だから」

 桜子はそう呟くと、そのまま音もなく刀を振り下ろした。風切りの音すら聞こえない、全くの無音。左はその緩やかで静かな太刀筋を見ていた。

 波の音と海鳥の声が騒がしい海岸にて、マルゲリータ号は桜号の介錯を受け眠った。延天は12年、六月(みなづき)の事であった。


***


 部屋の最も奥に鎮座する、高級感のある木製の仕事机と椅子。その椅子に、この部屋の室長と思しき1人の男が座っていた。彼は読み終えた資料を机の上に置いて一言呟く。

「……なるほど。厄介な事になったな」

 そう呟いた男の目の前には、別の男が背筋を伸ばして立っていた。その男は1度礼をしながら資料を手に取り、口を開く。

「報告書の通りです。沖縄県警が警邏中に負傷したマルゲリータ号を発見。その数時間後に来た国防省と櫻・壱号によって当号は処理されました」

 そこまで言うと、男は深い溜息と共に言葉を続ける。

「——厄介なのはそこからです。当号は最期に櫻・壱号へ殺害を依頼しました。……まぁ無理もない外傷でしたが、これをナチスがどう捉えるか……それと、中国の(メェイ)号の動向も考えるべきかと」

 椅子に座る男は、眉間に皺を寄せて深い溜息を吐いた。

「……全く嫌になるな。もう結構だ、後の面倒事は国防省に回せ。我々の専門ではない」

 目の前に立っていた男は相槌と共に一度礼をし、そのまま部屋を後にした。


 ——たった今、警察庁の長官室から出た男は、着ていた背広の懐から牛の絵が描かれた箱を取り出した。歩きながら吐き出した溜息と共にそれを開け、中の煙草を一本飛び出させる。

「……考えたくないモンだな」

 そう呟いた彼は、ここ——警察庁内にある喫煙室へと足を進める。少し歩いた先にある階段を無視して、その奥に設置された喫煙室の扉を開ける。

「ライター……」

 まだ残る煙たさと共に、男は煙草を銜え、胸ポケットに仕舞っていたライターでその先端に火を付ける。白く深い息を吐いて、心底面倒臭そうな表情と共に煙草の灰を指で叩き落とした。


***


 『処理作業』——介錯が終わった桜子と左は、海岸を離れ、那覇空港から羽田空港へ戻る為に飛行機に乗り込んだ。

 桜子は暗い表情のまま、機内で提供された目隠しを準備していた。左はそれを見て、桜子に話し掛ける。

「悪いね。国防省としても、今回の事は予想外だった。……また、君の尊厳を削るような事をさせてしまったな」

 桜子は左のその言葉に手を止めた。同時に、僅かであるが苛立ちがあった。

 ——それを理解しながら、どうして自分に首を斬らせたのか。

「…………分かってる」

 『天使(じぶん)』にしか、『天使(あいて)』は殺せない。あの状態でも、『天使』は生きる事が——否、死ぬ事が出来ない。

 誰かが介錯しなければ、彼女はあのまま苦しむだけだった。だから自分が、彼女の首に刀を落とした。だからこそ、尊厳のある死を持たせる為に、自分は同胞を殺した。そうするしかなかった。

「……だけど今は、少し1人にさせて」

 ——故に。桜子は左への怒りを収めつつ、目隠しを広げ目に掛けると、耳栓をして視覚と聴覚を遮断した。……自分のやり場のない感情を収めるには、その他に方法がなかった。

 桜子が俯いたのを確認した左は、携帯電話を取り出し、静かに記録を打ち込み始めた。


 3時間程度経ち、飛行機は無事に羽田空港へと到着した。左は待機していた葛葉に桜子を一任すると、その場を去っていってしまった。

 桜子は葛葉と共に車に乗り込むと、葛葉から話を振られる。

「災難だったな」

「……そうね」

 桜子は刀を眺めながら返答した。たったさっき、自分はこの刀で同胞を殺したのだと強く感じる。

「左も言っていたろうが、別にお前さんの責任じゃない。梅号がご丁寧に面倒事をお前さんに押し付けただけだ」

 桜子は耳を傾けながらも、じっと黙ったままであった。葛葉は桜子の代わりに言葉を続ける。

「外交は俺達の役目だ。だが、今後情勢が厄介になる。事実上、お前さんが2人の天使を殺した事になってるからな。……頭の片隅にでも置いてくれれば、俺達としても助かるって話だ」

 桜子はそれを聞き終えると、溜息と共に弱々しく彼へ答える。

「……ええ」

 葛葉は僅かに眉を動かし、ルームミラーに目を移した。そこには、車窓に目線を向け外の景色を茫然と見る彼女が写っており、葛葉は視線を前に戻してアクセルを踏み込んだ。


 羽田空港から無事に駐車場に戻ってきた桜子は、住居に繋がる階段の前で緑川を見つけると、そのまま歩いて行った。

「……お帰りなさい」

 緑川がそう言うも、桜子は上手く笑う事が出来ず、息を呑んで答えた。

「ッ、ただいま、戻りました」

 緑川はそれを察したのか、桜子の肩に優しく触れ、そのまま階段を登り始める。桜子はそんな気遣いをさせてしまった彼女に対する自責の念を抱えながら、彼女の背について行った。


 家へ戻ってすぐ、桜子は自室に戻って刀掛けに持っていた黒い刀を置いた。

 そうして、自分の中にある心地の悪い感触を理解した。自分がやった事は間違いではないはずなのに、這い寄るような後ろめたさが自分に降り掛かる。

 桜子は畳んでいた布団を枕にして、少しだけ横になる。腕を目に当てて、真っ暗になった視界に少しだけ安堵する。しかしそれでも。彼女の頭の中には、マルゲリータの最期の言葉が離れなかった。

 ——血と潮の区別が付かない、生臭い匂い。四肢がなくなり、随分と軽くなってしまった同胞。声も出せない中で願われた『殺して』という言葉。

 桜子は、自身が刀を振り下ろした瞬間を思い出した拍子で、深い溜息を吐いた。

「……嫌だなぁ……」

 桜子は誰にも聞こえないような小さな声で、静かにそう呟いた。


 事態が動いたのは、マルゲリータの介錯から2日程経ったある日の事だった。中国当局からの宣戦布告——人民国への渡海許可が降りた。しかし同時に、1つ妙な事が起こっていた。

「満州国が占領されてる?」

 常磐はその報告を受けると、その報告者である左に視線を向ける。

「えぇ、火野からの連絡です。昨日から、中国当局の軍が満州を包囲していると。怪我人はまだ居ないとの事です。恐らくですが、こちらの報復を考えてまだ手を出していないだけでしょう」

 常磐は頷きながら手書きの報告書を捲り、左へ問い掛ける。

「なるほどね。それと、別で報告されてた件だけど——」

「はい、火野に一任してます。心配はないかと」

 常磐はそれを聞くと、受け取った報告書を、机の一番下にある引き出しのシュレッダーへ投下した。

「了解。また正式な報告書は後日提出で。それじゃ桜子には宣戦布告の旨、伝えておくように」

 左は頭を下げ、次官室から退出する。そのまま、携帯電話で桜子の住居に電話を掛けた。

「左だ。桜子に代わってくれ」


***


 翌日の事である。桜子は葛葉と共に再び羽田空港に居た。数時間の旅程の後、彼らは人民国へと到着する。空港の外には、日本大使館の面々が待機していた。彼らは車を用意されており、大使館の人間が運転する形で、空港から九龍城砦へと向かう事になった。

 しばらく走らせていると、目の前に巨大な廃墟群が見えた。まるで1つの都市程度には大きい廃墟群の前で、車は停止する。

 桜子はそこから降車し、その巨大な廃墟群へと歩いて行った。


 無数とも言える数の廃ビルが立ち並ぶ隙間にある、通路の箇所。そこに、戟を持った女が立っていた。退屈そうな表情で立っている中で、彼女は足音を拾う。——擦るような特徴的な足音に、戟を持った女は口角を釣り上げる。

「来たわね、サクラコ」

 女の目の前に居たのは、セーラー服の桜子であった。名を呼ばれた少女は、自身の名前を呼んだ相手を強く睨みつけ、そしてそのまま、目の前の女に問い掛けた。

「……戦う前に1つ聞きたいのだけど」

 桜子は戟を持ったその女に対し、言葉を続けた。

「——どうして、マルゲリータの体を生きたまま損壊したの? 『天使』が『暈』以外で死ねないのは知らないはずないでしょ」

 彼女がそこまで言うと、女は鼻で笑いながら答えた。

「だって、反抗できる手段は消した方が良いでしょ? それに、ただ殺すなんて面白くナイじゃない——」

 女はそこまで言うと、構えていた戟の向きを変えて言葉を続ける。

「ウチにとって、戦争は遊戯なんだから」

 その言葉を聞いた桜子は、深い溜息と共に持っていた刀の鍔を一度回転させ、一言呟く。

「……そう。なら私も、貴方に刀は抜かないわ」

 女はその発言に、思わず拍子抜けした。

「……は?」

 桜子は刀の下緒を鍔に掛け、刀が抜けないよう細工をしながら言葉を返した。

「貴方は戦いも命も愚弄した。なら、私が敬意を以て刀を抜く意味はないでしょ?」

 少女は刀が抜けない事を確認した後に、鼻で笑いながら最後に一言だけ呟いた。

「……残念ね、梅」

 その表情を見た梅は、青筋を立てながら歯を食い縛った。

 先程自分に告げられた宣戦布告は、戦いの最中で刀を抜かない事である。それはつまり、彼女は『暈』を最小限のみ使い、自分と戦うという意味であり、——文字通り命を賭けての殴り合いを求めていた自分からすれば、『侮辱』他ならない宣告であった。

 食い縛っていた力が強過ぎたらしく、自身の奥歯が1本割れる音が口の中に反響する。

「……精彩(上等だよ)樱花(クソ女)

 そう言いながら、梅は構えていた戟を回転させ、その穂先を桜子へと向ける。

 片や桜子は、怒りに耐え難いと言わんばかりの相手を見ながら、嘲笑と共に答えた。

「来なさいよ、やれるものならね」

 ビル風が彼女の方へと靡く。長い黒髪が吹いた疾風に煽られ、翼のように広がった。

桜子は人を殺したくなくて可愛いな……

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