第十二話 雛菊
マルゲリータが雛菊って意味だと知った時、雛菊ピザっておしゃれだなって思いました。
九龍城砦、その8階に相当する場所から、砂埃と共に2人の女性と思しきシルエットが凄まじい勢いで飛んでいった。
片方は大鎌を、もう片方は戟を持って、廃墟であるビルの壁を突き破り、空中に放り出される。それでも尚、両者は戦闘を継続していた。片方の女——マンダリンドレスの女は戟を低い位置で構えて振り被り、目の前の男装の修道服に身を包んだ女に向けて、長柄のそれを思い切り振り翳す。
その戟の振り翳しに対し、大鎌を持った修道女は、それを思い切り弾いた。両者の武器に、振動が走る。その振動のままに、空中というフィールドから落ちながら二撃目を両者とも備え始めた。
大鎌で弾き飛ばした反動のまま、滑らかに手の位置を入れ替える。大鎌の修道女——マルゲリータは、上に居る女よりも先に落ちる事を察すると、大鎌をそのまま思い切り構え、振り被ると同時に手の内から離してしまった。
戟を持った女——梅はそれを見逃す事なく、戟を廃墟の壁に一度突き刺し、それを軸に身体を翻して、壁に突き刺した穂先を抜き取ると、そのまま下へ落ちるマルゲリータの方へ振り翳す。
マルゲリータはそれを見ると、空中で身体を翻し、靴底で穂先の攻撃を受けた。それとほとんど同時に、マルゲリータは視線を梅の顔へと向ける。
「ッ!」
梅は靴で弾かれた戟を瞬時に手の内で回し、穂先をしっかりとマルゲリータに定める。
(地面との距離ッ!このまま突けばッ!)
梅は腰を捻り、戟の穂先を見定めた先に突き刺そうと腕の筋肉を活性化させた——その直後。梅の背後から風切り音が聞こえた。大刃で重みのあるものが迫り来るような、不気味なその音に彼女は込めていた力を緩め、背後を確認すると、大鎌が回転しながら凄まじい勢いで迫って来ていた。
正確には、マルゲリータが空中で放り投げたそれがブーメランのように戻って来ていた訳であるが、梅はそれを認識すると、マルゲリータに向けていた戟を、向かってくる鎌に切り替え、それを弾き返した。
人の重みがない分、鎌を弾き返すのは容易であった。しかし、空中という反撃が極端に困難な状況で敵に対して背中を向けていた事に気付いた梅はすぐに身体を翻す。
マルゲリータは弾かれた大鎌を手に取ると、地面との距離を測り、鎌を突き刺して軸にしながら、建物の外へと着地した。梅もほとんど同じタイミングで向かい合う位置に着地する。梅はそのまま腰を低く保ち、戟を静かに構える。
それが突進の予備動作である事を察したマルゲリータは、大鎌の先端を前に回す形で構えた——瞬間。予想通り梅はマルゲリータへ突進してきた。彼女は大鎌の刃で相手の戟を受け止め、すぐに弾いてから次発の攻撃へと転換する。
梅は初撃が迎撃された事を認めると、僅かに距離を取り、マルゲリータの攻撃を戟で受け切った。重量のある大鎌の先端を受け止めると、梅は戟の持ち手を緩めた。
マルゲリータは力を込めていた大鎌が、戟の弛緩によって地面に突き刺さり、次の梅の攻撃を察する。
「あっ、ヤバ——」
マルゲリータが思わず口にした次の瞬間、梅は強く跳び上がり、空中での回転蹴りをマルゲリータの顔面に向けて放つ。直前でそれに気付いたマルゲリータは、腕——正確には痛覚のない肘——で梅の蹴撃を受けた。
——蹴りを受けたマルゲリータは九龍城の壁を突き破り、再び建物の中に戻される。そのまま吹き飛び、瓦礫の山にぶつかり止まった。幸いにもぶつかった瓦礫の中に尖ったものがなく全身は痛いが目立った外傷はなかった。
「痛ッ……たいわね……」
深い溜息と共にゆっくりと気怠げそうに立ち上がり、マルゲリータは修道服に付いた砂埃を叩く。服の砂汚れを取り終えると、彼女は持っていた大鎌の刃の部分近くにある機構を、革靴で押し込む。その瞬間、L字であった彼女の『暈』は形を変え、長柄の斧に近いそれへと変形した。マルゲリータはその場から歩きながら静かに自身の親指の付け根を舐める。
——マルゲリータの『味覚』は、コルンブルメの『視覚』と同じように、とりわけ『天使』の中でも突出して鋭く進化する形となった。彼女は風に乗って肌に付着した外部の情報を舌から受け取る事も出来、現在はそれで梅の位置の特定を試みている。
「——そこね、メェイ」
マルゲリータがそう呟くと、梅が左斜め前の窓硝子を突き破って入って来た。侵入と同時に素早い着地を行ったかと思えば、その足で踏み込んで戟を振るった。マルゲリータはそれを受け止め、弾くと同時に一度後退する。
「……わかるのネ、ウチの場所」
梅は戟を肩に乗せ、腰に手を当てながらマルゲリータに近付く。彼女はその言葉に対し、嘲笑するかのように答えた。
「伊達に色々食ってないんでな」
ジョーク混じりの返答に、梅は呆れた表情をしながら肩に乗っていた戟を回し、再びそれを構えた。
「まぁいいわ。ウチは戦えればそれで満足だし」
梅は指を握り込みながら関節からクラッキングの音を立て、マルゲリータに言葉を返す。
両者は武器を構え、互いの次の動きを見ていた。マルゲリータは柄の前後を持ち、斧と同じ運用で梅にその刃を向ける。梅は距離を保ったまま歩きながら、マルゲリータから向けられた刃を見る。
両者はその場に踏み込み、互いの武器を弾く。梅が突いた戟の穂先を、マルゲリータは柄で弾いて軌道をずらす。その間際に武器を翻し、そのまま刃を梅へ振るった。
梅の戟が長柄であった事が功を奏し、その斧刃を直前で受け止める。鈍い金属の音の直後、マルゲリータは『暈』の機構を解除する。
瞬間。寝ていた刃が勢いよく起き上がり、梅の首元へ迫った。
梅はそれを避ける為に腰を折り曲げ、反るような体勢になる。そのまま後ろに落ちる寸前で手を着き、着いていた足裏で鎌を蹴り飛ばして、身体を回転させながら着地する。
マルゲリータは梅の着地と同時に、XIIIを構え、梅に反撃の隙を与えぬように動く。振り下ろされた大鎌を受け止め、梅は歯を食い縛りながらそれを受け切った。
「ハハッ!良いネ、雛菊!楽しくなってきたワ!」
梅は歯を見せながら笑い、マルゲリータの鎌を弾きながら立ち上がり、そのまま彼女を外に押し出すため、柄を鎌のそれにぶつけて全速力で走り出す。
「ッ、マジかよ!!」
マルゲリータは笑いながらそれを受け止め、壁を突き破る。両者は再び外へ出る事になった。
九龍城は国内最大級のスラム街であった事もあり、両者のいた廃ビルの他にも無数の廃ビルが存在する。マルゲリータが押し出されたのは、隣に在する建物との間にある、幅の広い通路のような場所であった。
マルゲリータが外に出た瞬間、梅は飛び上がり、三次元的な動きに切り替わった。
上空という理を得た梅は、その動きが活発になり、遥か空からマルゲリータを視認すると、そのまま壁を真っ直ぐに走りながら飛び上がり、墜落とも言える速度でマルゲリータの方向に落下攻撃を構える。
マルゲリータはそれを認めると、受け流しと共に鎌を振るい、その重みで肉体のバランスを取った。飛ばされながらも着地点を見定め、マルゲリータは無傷で地に足を着けた。
梅はそのまま、マルゲリータの着地を察すると着弾地点から彼女の方へ走り出し、戟を振るう。
マルゲリータはそれを受け止める速度が僅かに遅れたが故に、身体を若干遠くへ吹き飛ばされた。
(チッ……小癪な……)
彼女が体勢を整えて鎌を握り込むと、梅は手榴弾を手に取ってマルゲリータの方へと投げていた。
(なんで……? 『天使』に現代兵器は効かないはず——)
その手榴弾は、若干上の方へ投げられた。マルゲリータはビルの外におり、それが当たる事はない。
それを目で追うと、マルゲリータは自身の視界に映る『それ』に思わず思考が停止した。
それと同時に梅の真意——悪意とも言えるその行動に怒りを催し、自分の脚が建物の中——『それ』に向かって走っていた。
——爆破。
2階部分の天井が、瓦礫として落ちる寸前、マルゲリータは既の所で『それ』に覆い被さるようにした。雷鳴にも似た瓦礫の落ちる音と砂埃によって、マルゲリータが向かった場所はすっかり埋まってしまった。
梅は微笑みながらその崩れた瓦礫の下へ向かう。
「ッぶな〜……大丈夫? アンタ」
マルゲリータは身体の裏側——後頭部、背中、膝裏——などに瓦礫が完全に当たった事による痛みに若干顔を歪めながら、自身の首より下に居る『それ』に問い掛ける。
彼女の視線にあったものは、未就学児前後の子供であった。突然の事らしく、震えながら首を横に振るっている。……その瞳はマルゲリータに対しての回答ではなく、死への恐怖であった。彼女はそれを察すると、若干強い口調で言葉を話す。
「ハァッ!? 殺す訳ないでしょ!てか私中国語話せないっての!!」
マルゲリータは舌打ちしながら、瓦礫の隙間から入ってくる光を頼りにしながら身体を動かし始めた。右手にはXIIIが握られている。手放してはなかったようだ。彼女は脚に力を入れ、脚部分の瓦礫を蹴り上げて退かした。
「ックソ、重ッ……アイツが来る前にこのガキを……!」
同時に、マルゲリータはふと疑問を抱く。
(なんでここに子供がいるの……?)
その瞬間。自身の視界が瓦礫の音と共に急激に明るくなる。——マルゲリータはそれの意味を理解すると、背筋に冷汗が伝った。それと同時に、脚に全力を込めて邪魔な瓦礫を蹴り上げ、下の子供が着ている服の後ろ襟を握りながら、大声で怒鳴りつけた。
「ッ!ガキッ!!行けッ!!」
子供は怒鳴りつけられた事で義務を理解し、素早くマルゲリータの股下を通って外へ出た。
——それと同時に、マルゲリータの鳩尾に鋭い刃が思い切り突き刺さった。
「ィ、ツッ……!!」
梅は彼女に戟で貫き、まるで銛で魚を突いて海の外へ出すかの如く、乱雑に瓦礫からマルゲリータを引き摺り出した。その拍子に、彼女の身体から戟の穂先を抜き取った。
そのまま梅は、瓦礫の外に逃げた子供を認めると、懐から出した両手分程度の棒を取り出し、それをその子供へと投げた。
子供は恐怖を抱えながらも、足を必死に動かしていた。躓きそうになりながらも、前へと走る。
——走っていたのが不運であった。梅が投げた棍棒は、短かった状態から長柄の物へと変形し、まだ柔らかい子供の頭蓋を的確に貫いた。そうして子供の頭を破壊し終えたそれは、そのまま壁に突き刺さる。脳髄と血液が混じった液体が、棍棒と壁、そして頭の無くなった子供の体にぶち撒けられた。子供の体は、自分の頭であったその液体達を浴びた後、力なくその場に倒れる。
——その一部始終を見たマルゲリータは、背に感じる流血の感触と痛みを抑えながら、歯を食い縛って梅に問い掛ける。
「……何をしている? 何で殺した?」
梅はその質問に対し、呆れたような表情で返した。
「邪魔だったからヨ? それ以外ないでしょ」
マルゲリータは浅い呼吸でその答えを聞くと、大鎌を握り込みながら身体を起こした。
「……邪魔なら、殺すのか? 私達は民間人に手を出しては——」
マルゲリータのその言葉を遮るかのように、梅は鼻で笑いながら言葉を重ねた。
「どうでも良いでしょ、勝てればそれで。あの犠牲でウチは勝て——」
梅がそう言い切るより前に、マルゲリータは鎌を思い切り振り翳し、梅の首筋へとそれを落とした。直前で受け止めた梅は、突き刺したはずの腹部を見ながら驚いたような表情を浮かべる。
「『人を殺してはならない』ッ……!それが『天使』の規則なんだよッ!!」
梅はそれを聞くと、深い溜息と共に大鎌を弾いて戟を構え、思い切り振り翳した。マルゲリータはそれを察すると、大鎌で戟を受け止めながら梅を睨み付ける。
「戦争だってのによくそんな呑気なこと言えるネ、雛菊? 人を殺して何がダメ? 戦争で負ける方がよっぽどダメじゃない——アンタみたいにッ!ネェ!!」
梅はマルゲリータの鳩尾を膝で蹴り、そのまま脚を使って同じ場所を蹴る。彼女は吹き飛んで地面に衝突すると同時に、口から血を吐いた。刃物で傷を付けられた所に蹴りを入れられ、内臓が潰れた事による喀血であろう。マルゲリータは咳き込むと同時に、自身の口に入る不愉快な生臭い鉄の味に顔を歪めながら、ゆっくりと立ち上がろうとする。
梅は、這うように動くマルゲリータを見ながら微笑むと、その場から飛び上がった。
彼女はその意図を理解すると、身体を再び寝かせ、仰向けに転がり大鎌を前に構える。
——殆ど同時に、マルゲリータの構えた大鎌の柄に、戟の柄が甲高い音と共に重なる。体重が掛かっているが故に重みの増した戟を受け止め、彼女は顔を歪めながら問い掛ける。
「ッ……何故ッ、人を殺せる……!心は痛まないのか!神が視ていると思わないのか!」
その問いに、梅は鼻で笑いながら歯を見せて答える。
「思わないわネ。私に神なんて居ないもの」
梅がそう答えると、マルゲリータは怒りの表情と共に戟を弾き、その場から転がる形で離れた。彼女は鳩尾を手で押さえながら、XIIIを支えにして立ち上がる。出血は未だ止まらずに、体力は消耗されている。それを証拠に、一向に呼吸が安定しない。それでも尚、彼女は梅を睨みながら大鎌を構え直し、目の前の狂人と対峙する。
その様子を見た梅は、感心したような表情と共に呟いた。
「——好。まだ立ち上がれるのネ、貴方」
握っている戟を手の内で回しながら1歩ずつ近付く。3歩目で脚に力を込め、マルゲリータの懐まで入り込んだ。
マルゲリータは鎌を畳み、XIIIを長柄の斧の形態に戻すと、梅の攻撃を受け止めた。その拮抗状態から、マルゲリータはXIIIを再び変形させる。
「ッ!」
変形による反発から、梅の戟が上に弾かれた。マルゲリータは空いた梅の腹部に、鎌の横薙ぎを入れる。大鎌の刃は梅に対し斬撃を的確に与えた。前のドレスが切り裂かれ、その奥にある彼女の腹部にも切先が掛かる。
「ッ!精彩……!」
じわりと切り裂かれた事による熱と痛みが梅に走ると、彼女は歯を見せるような笑顔で弾かれた戟をマルゲリータの肩に叩き落とした。
「グッ……!Stai zitto……!」
戟の側面にある、緩やかな曲線状のくの字を模した刃が、彼女の肩に鋭くめり込む。マルゲリータの修道服を貫き、肩の肉を切り裂きながら梅はマルゲリータに問い掛ける。
「あーあ、ホント楽しい。ねぇ雛菊? どうして戦いはこんなに楽しいのかしら?」
肩に深く入り込み、血と痛みを走らせる戟をマルゲリータは掴み取り、嘲笑を浮かべながら、梅のふざけた質問に返答する。
「こんなのが楽しいと思うのは、お前の脳味噌が腐ってるからだっての……!」
マルゲリータは大鎌の握りを強め、片手の全力で梅の身体に向けてそれを振り切る。
梅はそれを見ると、マルゲリータの肩に置いていた戟を抉るように切り返し、大鎌を受ける。
「——あら、片手だとこんなものなのネ」
梅は吹き飛ぶ事なく、片手だけで放たれたXIIIを容易く受け止めていた。彼女は鼻で笑いながら戟を手の内で回し、弾きながらマルゲリータの脇腹に深く刃を当てがう。そのまま服を切り裂き、露出した脇腹から肉と血を抉りながら、梅は僅かにその刃をずらし、脇腹から肩までを穂先で斬り裂いた。
マルゲリータの身体に、斜線のような切り傷が出来る。黒い修道服が彼女の血を吸う事を拒むかのように、切り傷から血が垂れていく。
マルゲリータは全身から流れる血に舌打ちをし、肩から伝った血液で滑るXIIIを握り込んで1歩踏み込んだ。
その様子を見た梅は、深い溜息と共に興味をなくした声色で一言呟いた。
「ンー、つまんないワ。——『弱い』じゃない」
マルゲリータは凄まじい怒りの表情で梅を睨みつける。そのまま2歩目を踏み出して大鎌を振り被り、ひっそりと囁いた。
「……言ってろ、Stronza……」
3歩目を踏み込んだ——と梅が認識した時には、マルゲリータの姿が梅の目の前から消えていた。
「……?」
踏み込んで飛翔した訳ではない。そうであるなら跡が残るはずである。代わりに、その場には半円状の切り傷が残されていた。
「……まさかッ!」
梅が後ろを振り返ると同時に、マルゲリータは大鎌を振り構えていた。瞬時に梅は自身の置かれた状況を理解すると、その表情を笑顔に変えて腕で鎌の軌道を受け止める。
(3歩目で地面に鎌を刺し、それを軸に飛翔!ウチの背後に回り込んでこの奇襲ってワケ!?)
自身の腕が、鎌の切先によって引き裂かれて行くのを、視覚痛覚共に感じながら、梅はマルゲリータの鎌を受けていた。
「好い!好いじゃなイ!貴女の殺意が見えるワ!!雛菊!!」
梅は歯を見せるように笑いながら、受けた傷を気にも留めず戟を握り込み、そのままマルゲリータの身体——腹部へとそれを突き刺した。
真っ直ぐに丹田へ突き刺さった戟の穂先を見ながら、マルゲリータは深い溜息を吐く。
「……はぁ、ガキなんか、助けなきゃ……」
掌から、血に塗れたXIIIがゆっくりと落ちる。梅はそのまま、突き刺した戟を乱雑に引き抜き、こびりついた肉片と濃ゆい血液を払う。
皮肉にも、戟によって最後のバランスを保っていたマルゲリータの身体は、そのまま後ろに倒れ込んでしまい、咳き込むと同時に口から血が吹き出してしまった。
マルゲリータの瞼が痙攣しながら閉じようとした時、梅は彼女その様子を覗き込みながら一言呟いた。
「あーあ、壊れちゃった。じゃあ手筈通りに『解体』しようかしらネ」
梅はそう言うと、マルゲリータの隣に置いてあったXIIIを手に取った。
「ッ……おい、何をッ——」
マルゲリータが問い掛けると同時に、梅は木の棒を折るかのように、足で大鎌を押さえながら上部を引っ張る。
「一、二、三!」
——梅は音を立てて、大鎌を真ん中から折った。
それと同時に、マルゲリータは自身の五感が極端に弱くなった——殆ど消えたとも言い換えて差し支えない程——事に気付いた。
「えっ?」
マルゲリータの今の視界は、まるで何かに遮られたかのように何もなく、嗅覚も聴覚も全てが遠のいている。辛うじて、自分が今顎を触られている事を理解しているが、一体何の為なのか——その答えが、たった今理解させられた。
舌の上に乗る、冷たい感触。その冷たい何かが静かに落とされ、口に空間が空いた——。
口の中に溢れた血が、マルゲリータの絶叫を阻害する。割れんばかりの絶叫が梅の耳に入るが、当の本人は気にするどころか、心底楽しそうにマルゲリータへの『解体』を行っていた。
——マルゲリータの口から無くなったものは、舌であった。『天使』の内、味覚の鋭さを得ていたマルゲリータにとって、舌を抜き取られた痛みは筆舌に尽くし難いものであり、同時に彼女に対する、最大限の侮辱であった。
梅はそれを理解しながら笑い、マルゲリータはそれを感じながら屈辱を吐いた。
「はーあ、でもつまんないワ。バラすのは面白いけど一辺倒ネ」
梅はそう呟きながら、マルゲリータの身体を仰向けからうつ伏せに返し、脚で抑えながら静かに戟の穂先で身体の線をなぞった。
「『菊の死神』……だっけ。神は居ないって言ったけど、中身は気になるわよネ」
梅は両手に持った戟で、殆ど動かなくなったマルゲリータの身体——肩の関節付近に狙いを定め、真っ直ぐに戟を振り下ろす。
***
青い海が広がる、沖縄県那覇市の海岸沿いの砂浜にて、桜子はとあるものを抱きながら、静かに唇を噛んでいた。潮風に晒された事によって酷く軋んだ茶髪を持ちながら、桜子はただじっと目を瞑っていた。
まだ生暖かいそれには、生々しい切断面がくっきりとあり、桜子はそれに触れないよう、自身の肩にその肉塊を置く。
四肢のない、女性と思しき死体。桜子はそれにつけられた数えられない傷を見ながら、肉塊の最後の言葉を何度も反芻していた。
【殺して】
舌は抜かれ、発音はなかった。喉は潰れ、声も絶え々えだった。しかし、あの口の動きを桜子は忘れる事はなかった。何度も何度もそれを見て、そしてその度に刀を振り落とした。今回も例外なく、肩で眠る彼女の介錯を自分が行った。
桜子は静かに手を見つめる。生乾きであった血を触った事による、やけに赤黒い掌。潮と血が同時に醸す、吐き気を催す匂い。やけに静かで、海鳥の鳴き声が聞こえる海岸。目の前を照らす、弱々しい太陽の光。
「……あぁ」
——自分は人殺しなのだと嫌でも理解させられる、度し難い罪悪感。
故に、桜子は言葉を紡ぐ他なかった。そうでなければ、自分がここに来た意味が、無くなってしまうから。
「……おやすみなさい、マルゲリータ」
桜子は、物言わぬ『菊の死神』だった肉塊の腹部——丹田の場所にある、破れかけた雛菊の刺青に触れながら、深い後悔と共に目を閉じた。
この作品は私の思想が出ているので、苦手な方はここらへんで読むのを辞められた方が良いと思います。
私は中国があまり好きではない(オブラート)ので悪しからず。




