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承・第三話 「紐と鈴」

 石畳の上を、乾いた木屑がさらさらと転がっていく。火祭りが終わった村にはまだ色紙の切れ端が残り、風にあおられて細い影を引いていた。


 広場の一角では、子どもたちが手づくりの木剣を振り回している。先日の祭りで手に入れた彩布を柄に巻き、どちらが鮮やかな布を翻せるか競っているらしい。くたびれた柄から木屑が舞い落ちても、誰も気に留めない。派手な声と笑いが真新しい朝を満たしていた。


 その喧噪から半ば離れた路地裏で、セルグは麻縄を撚っていた。煮込んで灰汁を抜き、油を軽くしみ込ませた縄は指の上で滑らかに回る。撚りが一筋でも傾くと、彼はすぐにほどき、感覚を確かめながら編み直す。歪みを抱えた罠は引っかかった獣に笑われる。父の教えは十歳の胸にしっかり残っている。


 縄を計り終えたところで、涼やかな鈴の音が背後をくすぐった。振り返ると、アイナが瓶を胸に抱えて立っている。今日は薄紫の外套に鈴を束ね、小瓶を三つ連ねて帯に吊り下げていた。鈴をそっと揺らし、一番高く澄んだ音を確かめると、彼女はセルグを見つめて微笑む。


 「子どもたちの木剣、また折れちゃった。修理お願いしてもいい?」


 子どもたちの賑わいはセルグの耳には刃を濁す雑音だ。それでも頷くと、木陰に持ち込まれた幾本もの木剣が彼の足もとに集まる。柄の節が裂け、尖ったささくれが小さな手を傷つけかねない。刃を抜くと陽が反射し、子どもたちの笑いが一拍だけ止まった。セルグは枝の向きを見きわめ、一刀で余分な節を落とす。刃が木を裂くたび、乾いた音が清々しく響き、木屑が風に散った。


 仕上げに刃先で溝を削り、蜜蝋をこすりつける。木剣は再び子どもたちの手に戻った。しばらくすると、歓声は前にも増して高くなる。誰かが新しい剣戟の構えを披露するたびに真鍮の鈴が応じ、柔らかな音色が重なった。アイナは音を聞き取り、微かな息遣いで頬を弛める。鈴の調べは彼女の胸の熱をやわらげる。


 修理を終えるとセルグは広場を離れ、家の裏に積んだ枝を拾い集めた。まっすぐで節が少なく、罠の支柱に使えるものばかり。彼は枝を削り、刃を火で炙り、再び縄を撚っては巻きつける。撚りの角度が整うまで何度でもやり直す。指に食い込む縄の感触さえ、正確さを測る羅針盤だ。


 枝を束ね終えたころ、甘やかな香りが背中を叩いた。振り向くと、アイナが一本の陶鈴を手にしている。薄水色に焼かれた鈴は、内側に小さな硝子玉を宿し、ひと揺れごとに澄んだ音を結ぶ。

 「鈴に水を一滴垂らすと音程が下がるの。落ち着く高さを探していたら、これになった」


 彼女は鈴に口を近づけ、静かに息を吹き込んだ。水滴が鈴腹を巡り、音がわずかに濁る。すぐに蓋をひねり、瓶の香を吸い込むと微笑みが戻った。セルグは己の手もとを見つめ、縄のねじれが整っているか確かめた。


 「風が変わる前に、罠を張らないと」

 「森で油の匂いが強くなってる?」

 「まだかすかだけど、昨日より濃い」


 その言葉にアイナは帯の中の小瓶を握った。匂いを測るためではなく、胸の熱を抑える儀式のように。花の浸出液は穏やかな甘さを保ち、鈴の音を濁さない。


 夕方、広場に行くと守り火は芯火だけが赤く残り、長老が灰を掻き集めていた。セルグは遠巻きに焚き火を見つめ、枝で地面に罠の図を描いた。アイナがその横で鈴を持ち、音を鳴らさずに揺らしている。芯火が宵闇に沈むと、灰の匂いと共に油煙の匂いが風に乗った。セルグの鼻孔に刺さり、皮膚が粟立つ。


 彼は図を消し、枝束を背負い、家路についた。アイナも並ぶ。道すがら、遠くの森の影に小さな火光がまた一つ増えているのを見た。焚き火は声を上げず、しかし確実に距離を縮めてくる。


 家に戻ると、母は小さな粥をすすりながら静かに笑った。セルグは出来上がった一本目の罠を梁に立て掛け、母のそばへ置いた。罠はまだ折り畳まれているが、撚りは美しく整い、枝は真っ直ぐに乾いている。


 アイナは花布を膝に広げ、瓶を開けて香を湿らせた。花布を胸元に当て、鈴を一度だけ揺らす。澄んだ音が土壁に反響し、灯火を僅かに震わせる。


 油の匂いは閉ざした窓の外から細く伸び、匂いの波が呼吸の隙間を埋めようとしている。セルグは刃を鞘に収め、研ぎ澄まされた背を指でなぞった。音は出ない。息を吸い込み、香と灰の甘苦さを肺に沈める。


 「来るかもしれない。――それでも、火は消さない」

 彼の呟きに、アイナの鈴が応えるように柔らかく鳴った。胸の奥で熱が少しだけ落ち着き、香りの層が闇と火の境をそっと撫でる。


 夜は深まり、焚き火の数はまだ増えぬまま揺れている。しかし風向きは確かに変わった。守る火と迫る火、その間に置かれた静かな村。


 セルグは椅子に腰を下ろし、刃を膝に横たえた。研ぎ音は鳴らない。鈴も今は鳴らない。外で犬が遠く吠え、風が油煙を運ぶ。


 夜が息をひそめ、草の匂いさえ緊張で硬くなる。襲撃はまだだ。けれど、丸太の柵の向こうで火が揺れるたび、その“まだ”は少しずつ削られていく。

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