エピローグ
それは、名前のない物語だった。
誰が語ったわけでもない。
記録に刻まれたわけでもない。
けれど、どこかの村で、風が吹くたびに思い出される声がある。
「灯ってるね」
そう言って微笑む、名もなき少女の面影。
その光景を、誰かが夢で見たことがある。
あるいは、まだ見ぬ未来で語られる、物語の始まりかもしれない。
高くそびえた祝式の塔の石壁に、その名は刻まれていない。
けれど、観測官たちの間ではときおり噂が流れる。
「制度の圏外で、式が効かない空間が広がっている」
「そこでは記録が消える。でも、不思議と誰も争わない」
そこに在るのは、“ただ、在ること”を受け入れた人々。
記録されなくても、誰かのために灯をともす者たち。
それは、かつて名もなく生きた誰かが、
世界に残した、“答えのない祈り”の続きだった。
一方で、ひとつの観測端末の中には、
暗号化された古い記録が残っている。
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記録者:カイン・フェルネス
記録対象:なし
観測備考:確かにそこに“在った”こと。
記録せずとも、忘れたくないこと。
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その端末は、もう使われることはない。
ただ、静かに保存され、時折誰かが開いては──
「ああ、ここにも“祈り”がある」と気づくだけ。
やがて時が流れ、物語は変わる。
祝式は更新され、観測の範囲は広がっても、
“記録されない在り方”だけは、どこかに残され続ける。
それはまるで、風のようだった。
目に見えず、手には取れず、けれど確かに頬を撫でる。
人々は、それを“灯”と呼ぶようになった。
名もなく、記録もされなかった存在。
それでも、確かに誰かのなかに残り続ける存在。
それが──
この世界で、いちばん最初に灯された祈りだった。




