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名もなき灯火  作者: 富賀見 みあ
序章
1/46

01. 祠の夢

白い霧の中に、あなたはいた。


それが夢であることすら、あなたにはわからない。

まだ名前も、言葉も、痛みの意味すら知らない。

それでも、あなたは確かに──そこに“在った”。


音も匂いも、重さすら感じないその空間は、まるで生まれる前の世界のようだった。

地面も、空も、すべてが淡く、やわらかい。

輪郭の定まらないぬるい光が空気の中をゆらめいていて、

目を開いているのかどうかすら曖昧だった。


息をしているのか。

存在しているのか。

ただ、そこに“ある”ことだけが、唯一の確かさだった。


──そんな霧の中で、あなたの目の前にひとつの祠があった。


崩れかけた柱。草に覆われた石段。

風雨にさらされ、年月を感じさせるその姿には、どこか懐かしさがあった。

だれかが何度も修復しようとした痕があって、

それは不器用で、けれども優しい手つきの名残だった。

たとえ壊れても、捨てられることなく、大切にされていたもの。

誰かの祈りと、願いと、想いが、幾重にも重なっていた。


そして、祠の奥から、声がした。


(……ありがとう。そこにいてくれて)


それは確かに“言葉”だった。けれど、理解というより、響きとして胸に落ちた。

意味よりも先に、その声音の温度があなたを満たしていった。


あなたは振り向けない。

けれど、その声は確かに、あなたの中に流れ込んできた。


(わたしは……もう祈らないって決めた。忘れて、前に進まなきゃって。

きっと、そうしないといけないって──そう思ってた)


風が吹いた。

ないはずの草が揺れ、あなたの足元をさらりと撫でていく。

その冷たさは肌ではなく、魂に触れるようだった。


(……でも、もし、もう一度だけ。“君”に会えるなら)


その瞬間、あなたの胸の奥が、微かに熱を帯びた。

言葉にできない、説明のつかないなにか。

けれどそれは、“心”と呼ばれるものの、ほんの原型だったのかもしれない。


(君じゃなくてもよかった。

 けれど、君が来てくれた。それで……よかった)


祠の奥で、光が揺れた。

やわらかく、あたたかく、けれど確かな意志を持った光だった。

顔のない“誰か”のかたちが、そこに浮かんでは、ゆっくりと溶けていく。

まるで名残を残しながら、静かに眠りへと還っていくように。


あなたは何も言えない。

言葉を知らず、声も持たず、ただそこに佇むだけ。


けれど、その身は確かに、温かさに包まれていた。

孤独ではないと、そう“感じる”ことができた。


──それが、“始まり”だった。


名もなき魂が、祈りの残響に触れたとき、

世界はそっと、新しいページをめくる。

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