静流とのデート~ムックリの鳴る夜空に~
夜の海岸、結城は静流に連れられて天体観測にやってきた。暗い海から波音だけが響いて、漆黒の海はまるで星の煌く空と繋がっているかのようだった。
静流を手伝って天体望遠鏡を設置し、静流が調整を行っている間に、結城はブルーシートを広げて荷物を整理し、休憩場所の準備をする。
薪を組んで静流の邪魔にならない所で火を起こし、あらかじめ火を消すための水を汲んでおく。
着火剤を使っていたので直ぐに燃え出した焚火に、結城は少しほっとしてその火を見つめる。
いつか静流と一緒に行ったフゴッペ洞窟に近い場所だからだろうか、結城は、ずっと昔にここでこうしていた誰かの存在を感じ取ったような気がした。勿論、思い込みとか気のせいだという事は判っているが。
ずっと昔に、ここでこうして火を焚いていた人がいて、それがなぜか、なんて判らない。
それは野営で暖を取るためだったのかもしれないし、獣避けだったのかもしれない。
そして、その隣には……
「結城?」
呼ばれた声に結城は我に返った。目の前には、結城の顔を覗き込むかのような静流。
彼女は時々、自分が魅力的な少女である事を忘れているのではないか、と思うような行動をとる事がある。
「……お、おう」
結城は少し慌てて、焚き火の方に視線を逸らした。
目の前にある静流の顔が、火の光で淡く照らされ、いつも以上に幻想的に見えたからだ。
「何か考え事?」
静流は結城の横に腰を下ろし、火の揺らめきを見つめながら言う。
結城は少し言葉を選びながら、静かに答えた。
「なんとなくさ……この場所、昔の人もこうやって火を焚いてたのかなって、考えてた」
「……ああ、きっと、そうだね」
静流は小さく頷く。
「フゴッペ洞窟の壁画を見たときも思ったけど……私たちが生まれるずっと前、この海岸で誰かが夜を過ごしていたんだよね」
結城はその言葉を噛みしめるように火を見つめた。
「……そう考えると、不思議な感じだよな。俺たちが何気なく座ってるこの場所も、何百年、何千年も前の誰かが座ってたかもしれない」
静流はそんな結城の言葉に微笑み、そっと膝を抱えた。
「ねぇ、結城」
「ん?」
「夜の星を見上げて、誰かを想った人は、昔からたくさんいたんだと思うんだ。私たちがこうしてるのも、その続きなのかもしれないね」
「……かもな」
結城は空を見上げる。静流の言葉に引き込まれるように、広がる星々を見つめた。
「ねぇ、今日は特別なものがあるんだよ」
そう言って、静流はそっとバッグから小さな楽器を取り出した。
「……ムックリ?」
「うん」
アイヌ民族の伝統的な口琴、ムックリ。
静流は手慣れた様子でそれを唇に当て、そっと弦を引く。
びよぉぉぉん……
独特の響きが夜の静寂の中に溶け込んでいく。
波の音と、焚き火のぱちぱちと燃える音、そしてムックリの揺れるような音色が混ざり合い、まるでこの場所だけが異世界のように感じられた。
「……いいな、これ」
結城は目を閉じて、その音色を味わう。静流が奏でるムックリの音は、穏やかで、それでいてどこか切なく、夜空の下で二人だけが存在するような感覚を覚えた。
静流がムックリを鳴らし終え、そっと結城を見る。
「……結城、好きな星はある?」
「好きな星?」
「うん。私はね、デネブが好き」
「デネブ……夏の大三角の?」
静流は頷く。
「アルタイルとベガの間で、ずっと見守る星だから」
そう言った静流の目は、焚き火の光を映して揺れていた。
「……結城にとってのデネブは、誰かな?」
静流の問いに、結城は少し考え込む。
夏休みを過ごした時間、櫻との水族館、静流とのプラネタリウム、そして今――この夜空の下で、静流の隣にいる。
結城は小さく息を吐き、空を見上げた。
「……わかんねぇな」
「そっか」
静流は微笑み、再びムックリを手に取る。
「じゃあ、もう少し一緒に探そうか」
びよぉぉぉん……
夜の海岸に、再びムックリの音色が響いた。
星が瞬き、波が寄せ、二人だけの静かな時間が流れていく――。
ムックリに楽譜も旋律の指示もない。
奏でる人の感性と思いが、楽譜となる。
静流の奏は、優しく、穏やかだ。
聞く人には、穏やかな星空を想像させただろう。
「上手いな、ユキノエ」
「……あなたを想って奏でてるからだよ、カムチャ」
それはごく自然な言葉のやり取り。
多くを語る必要はない、必要な思いは、二人の間に通じている。
ごく自然に、座る静流の膝に、結城が頭を載せて目を閉じる。
彼の髪を一度優しく撫でてから、静流は演奏を再開した
びよぉぉぉん……
ムックリの柔らかな音色が、夜の海岸に溶けていく。
静流の指先が弦を引き、波の音と共鳴するように響く旋律。
結城は静流の膝の上で目を閉じたまま、心地よい音に耳を傾ける。
焚き火のゆらめき、潮騒のリズム、そして静流のムックリが奏でる音色が、優しく結城を包み込んでいた。
「……昔の人も、こうやって星を見ながら、音を奏でていたのかな」
静流がぽつりと呟く。
「きっとね」
結城は目を閉じたまま、小さく返す。
「昔のユキノエも、こんな風にカムチャを想って、ムックリを奏でていたのかもしれないね」
「……それなら、カムチャは幸せだったろうな」
「うん。私も、幸せだよ」
静流の手がそっと結城の髪を梳く。
月明かりの下で、彼女の白に薄い水色の髪が揺れ、星々の光を受けて淡く煌めいていた。
「……静流」
「うん?」
「もう少し、このままでいいか?」
静流は一瞬驚いたように結城を見下ろしたが、すぐに微笑んで頷いた。
「もちろん。今夜は、ずっと一緒に星を見よう?」
ムックリの音が再び響く。
結城は静流の膝の上で、静かにその旋律に身を委ねた。
見上げる空に、いくつかの流れ星が現れる。
「結城、見て」
そう言われて、静流と共に結城が見る空には
数えきれないほどの流星が、降り注いでいた。
「おぉ……」
結城の口から、そんなよくわからない声が漏れた。東京では見る事なんて思いもつかないような、光の雨が二人に降り注いでいる。
「ペルセウス座流星群かな……」
静流が小さく呟く。ムックリを弾く手が止まり、彼女の視線は空に釘付けになっていた。
「すごいな……こんなの、初めて見た」
結城も息をのむ。
東京の空では、街の光が星の輝きを奪い、こんな光景を目にすることはなかった。
でもここでは――余市の夜空は、まるで宇宙がそのまま降ってきたかのような、圧倒的な美しさを見せていた。
「流れ星がこんなにたくさん……なんか、夢みたいだ」
静流の横顔を見つめながら、結城がぼそりと呟く。
彼女の白に薄い水色の髪が、流星の光を受けて淡く輝いていた。
「ねぇ、結城。願い事、した?」
「え?」
「流れ星に願いをかけると叶うっていうでしょう?」
静流が微笑む。
焚き火の赤い光が、彼女の横顔をふわりと照らし出していた。
「俺は……」
言いかけた言葉が、喉の奥で詰まる。
何を願えばいいのか――いや、本当に願うべきことはもう、決まっている気がした。
「……静流は、何を願った?」
「ふふっ、内緒」
静流は優しく微笑んで、流れ星の消えた空を見上げた。
彼女の瞳には、まだ見えない遠い星の光が映っているようだった。




