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櫻との散策デート

 ★櫻とのデート~カムチャとアイノのつもりで~


 とある休日、結城と櫻は山歩きをしていた。

 山の中にある農業用水の取水口の詰まりを確認する、という目的があったが、暫くぶりに二人きりでの外、という事で櫻はとても楽しそうだ。


「ここ、ウチの山だけど、劇でやるアイヌの時代もこんなんだったんかねぇ」

「その前に俺はうちの山って単語が斬新すぎるんだが」


 東京の土地事情ではとても考えられない単語である。


「ねぇ、ゆーき」

「ん?」


 少し離れた場所で、クマよけの鈴をりんと鳴らしながら、櫻が笑う。


「色々、取れるものあると良いね!カムチャ」

「まったく……慌てて転ぶんじゃないぞ?アイノ」


 結城の言葉に、櫻がにっと笑う。


「わかってるってば、カムチャ」


 そう言いながら、彼女は軽快な足取りで山道を進んでいく。

 白に薄い桜色の髪が陽の光に照らされ、少し赤みがかって見えた。


「そんで、狩りはどうする?カムチャの腕前、試させてもらおっかな~?」


 櫻は冗談交じりに言いながら、木の枝を拾い、弓の形にして構えてみせる。


「なんなら、オレはアイノを狩る側かもしれねぇけどな」


 結城が肩をすくめて返すと、櫻が「おぉ、やる気だね?」とにやりと笑い、山道を駆け出す。


「待て、アイノ!」


 結城が思わず追いかけるが、櫻は軽やかに先を行く。

 山道の小川を飛び越え、苔むした岩をひょいと登る様子は、まるで本当にその時代に生きた少女のようだった。


「へへっ、やっぱりこういうのはボクのほうが上だね~!」


 振り返って笑う櫻の表情は、太陽みたいに輝いていた。

 そんな彼女を見て、結城はふと劇中のアイノの姿を思い浮かべる。


(……このアイノがカムチャを好きになるのは、そりゃ当然だよな)


 演劇の中でアイノは、カムチャを追いかけながらも、最後には彼に選ばれずに悲しみを背負う。

 けれど、目の前の櫻はそんな結末にはならないような、強い光を放っている。


「おい、あんまり先行くなよ。カムチャの言うこと聞かねぇと、本番で逃がしてやんねぇぞ?」


 冗談めかして言うと、櫻がくるっと振り向いて、軽く舌を出す。


「えー? カムチャがボクを逃がさないなら、それはそれで……」


 意味ありげな言葉を残し、櫻はまた山道を駆けていく。

 結城はそんな彼女の背中を追いながら、小さく息を吐いた。


「……ったく、アイノは手のかかるやつだな」


 けれど、その口元には、小さな笑みが浮かんでいた。


 櫻は身のこなしが軽い。

 倒木や少し大きめの岩程度ならひょいひょいと登って行ってしまう。

 体格は結城が勝っているが、東京育ちの結城とは隔絶した体力の差があった。


「こっち来てから、体力ついてきたと思ってたんだがなぁ……」


 結城だって体力はある方だが、慣れの差があまりにも多く出ていた


「この辺にあったはずだけど……」


 櫻が水源を探してきょろきょろと周りを見回す。

 ほどなくして、二人は水の湧き出る所にたどり着いた。


「あ、ゆーき、飲んじゃダメだよ?ここの水源、飲用には適してないから」

「そうなのか?」

「うん、だからウチも山から水ひかないで水道通してるんだよ」

「なるほどな……」


 結城は湧き水の流れる様子をじっと見つめる。

 透き通っていて、いかにも美味しそうに見えるが、櫻が言うなら間違いないのだろう。


「見た目は綺麗なのにな」


「まぁねー。でも昔はこの水を飲んでた人たちもいたんだよ」


 櫻はしゃがみ込み、小川のせせらぎに手を浸しながら続ける。


「カムチャたちの時代だったら、こういう水が貴重だったはずだよね」


「確かにな……水源を巡る争いとか、普通にあっただろうし」


 結城も近くにしゃがみ、冷たい水に手を伸ばす。

 冷たい感触が心地よく、指先を滑らせる水流が柔らかい。


「……劇の中でも、アイノはこの辺りでカムチャを待ってたんだっけ?」


「そうそう!」


 櫻がにっこり笑って、木の根元にちょこんと座る。


「ボクがアイノだったら、ここで待ちながら、カムチャのこと考えてたと思う」


 彼女は少し遠くを見つめながら言う。

 演技ではなく、素の櫻の言葉に聞こえた。


「どんなふうに?」


 結城が何気なく聞くと、櫻がほんの少しだけ視線を落とす。


「……アイノはさ、カムチャのこと、大好きだったんだよね。でも、自分を選んでくれないかもしれないって、不安でいっぱいだったと思う」


 風が静かに葉を揺らす。


「それでもさ、アイノは待ってたんだよ? いつか、カムチャがこっちを向いてくれるかもしれないって」


 櫻の言葉が、どこか胸の奥をチクリと刺す。


「……待つのって、苦しいことだよね」


 ぽつりと、櫻が呟く。


 結城は何も言えなかった。

 劇の話をしているはずなのに、どこかそれだけではない気がして。


「……なーんてね! でもボクは、待つだけのアイノじゃないよ?」


 ぱっと明るく笑い、櫻は立ち上がる。


「ゆーきがどっちを選ぶかなんてわかんないけどさ、ボクはボクのやり方でちゃんと勝負するよ!」


 宣戦布告のような言葉に、結城は苦笑する。


「……お前らしいな」


「でしょ!」


 櫻はもう一度、手を水に浸して、ぱしゃっと跳ねさせる。


「さ、行こっか! まだもうちょっと先、見てみたいし!」


「はいはい……待てよ、アイノ」


「ほら、また待たせる!」


 笑いながら、二人はまた山の中へと歩き出す。

 水の流れる音が、二人の背中を静かに見送っていた。


 ガサリ


 水源の掃除を終えた二人の前でそんな音が聞こえた。

 弾かれたように桜がその音の方を見る。果たして、笹薮の中から顔を出したのは大きなエゾシカだった。

 下手をしたらちょとした軽自動車位はあるかもしれない迫力に、結城は息をのむ。


「ビビっちゃだめだよ?」


 櫻が結城に小さく呟いた。目を合わせないように、けれど、相手の動きから目を離さないようにしながら、結城を背で押すように、ゆっくりと下がっていく。


「相手と目を合わせちゃダメ、目をそらしちゃダメ、走っちゃダメ」


 そう言って一緒に下がりながら、櫻は鹿に声をかける。


「ねー、鹿さん、そろそろ美味しい草とか葉っぱとか食べれたかい?」


 下がりながら、櫻は何でもないように鹿に話しかけた。鹿はそれで初めて櫻と結城に気付いたかのように二人を見る。


「もうすぐ秋だからね~、食えるうちにいっぱい食べとくべさ、冬の間木の皮ばっかりで飽きたんでないかい?」


 そうやって語り掛ける櫻の事など気にしないかのように、エゾシカはゆっくりとその場を去っていった。

 少し間をおいて、後続が無いらしい事を確認してから、二人は大きくため息をついた


「……ふぅぅぅぅ……」


 結城は肩の力を抜き、大きく息を吐いた。

 心臓がバクバクとうるさいくらいに鳴っているのを、自分でもはっきりと感じる。


「……びびるなってのが無理だろ、あんなデカいの……」


 結城の言葉に、櫻はケロリとした表情で笑った。


「まぁね!でも、あれくらいなら大丈夫だよ。発情期とか、冬場のオスだったらやばかったかもしれないけど」


「発情期とか冬場?」


「うん、オスは秋口から気が荒くなるし、冬は食べ物なくて攻撃的になることもあるからね~。今のはメス。だから、のんびりしてたんでないかい?」


 櫻は涼しい顔で言うが、結城の手はまだ微かに震えていた。

 都会で生まれ育った結城にとって、あんな大きな野生動物を至近距離で見る機会なんて、今までなかった。


「お前……ほんとに肝が据わってるな……」


「えへへ、まぁ、ウチらの家の周りにはちょくちょく出るしね!玄関開けたらエゾシカと目が合ったこともあるよ!」


「それもう別の意味でホラーじゃねぇか……」


 結城が呆れたように言うと、櫻は「ははっ」と笑う。


「でも、さっきのゆーき、ちゃんと落ち着いてたよ!最初はびっくりしてたけど、ちゃんと後ろに下がれたし」


「……まぁ、お前が誘導してくれたからな」


「だべさ!ボクに任せときなさい!」


 櫻は胸を張って言う。

 その姿が、どこまでも頼もしく見えて、結城は自然と笑ってしまう。


「まったく……お前がいると、俺が守られてるみたいだな」


「そりゃそうでしょ!ボクはゆーきのアイノだからね!」


「カムチャの立場ねぇな……」


 そう言って、二人は笑い合う。

 さっきまでの緊張が嘘のように、穏やかな空気が戻っていた。


「さ、そろそろ戻るべさ。暗くなってくる前に、山を下りた方がいいよ」


「ああ……っと、その前にちょっと確認だけしていいか?」


「ん?何を?」


 結城は少し考え、真剣な表情で櫻を見る。


「……玄関開けたらエゾシカがいたって話、マジなのか?」


「マジだよ!しかも二回ある!」


「お前の家、どうなってんだよ……」


 そんな冗談めいたやり取りをしながら、二人は再び山道を下り始めた。

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