楽しむ事を忘れないで
★ 楽しむ事を忘れちゃだめだよ~先輩の助言~
結城は白い半袖シャツとグレーのチノパンを着て、家を出た。札幌での静流とのプラネタリウムデートを控え、彼の足取りは少し早い。夏休みの間に、自分と櫻、静流の関係を見直さなきゃいけない――その気持ちが、結城に気づかないうちに焦りを強いてた。
「観測点を固定するって決めたけど……夏休みの終わりまで、あとどれくらいだ?」
ノートに書いた分析、櫻の赤方偏移、静流の青方偏移、心理学的視点。頭の中がぐるぐると回り、デートに向かうというより、まるで試験会場に向かうような気分だった。
余市の駅へ向かう途中、ふと見慣れた姿が目に留まる。西行寺先輩だ。長い黒髪を揺らし、軽い夏用のワンピースを着た彼女が、リンゴ畑の脇の道を歩いていた。結城が「おっ」と小さく声を上げると、先輩が気づいて振り返る。
「あら、結城君。どこかお出かけ?」
西行寺が穏やかに笑う。結城が少し照れながら答える。
「うす、札幌に……静流とプラネタリウム見に行くんです」
彼女が目を細めて近づいてくる。
「ふぅん、デートね。櫻ちゃんの水族館に続いて、静流ちゃんともか。忙しいねぇ」
その言葉に、結城の顔が一瞬固まる。西行寺が「冗談よ」と笑いながら、結城の表情をじっと見つめる。
「でも、結城君。ちょっと顔が硬いよ。何か考えすぎてない?」
結城が「え?」と目を丸くする。確かに、櫻と静流の間で揺れる気持ちを整理しようと、ずっと頭を働かせていた。西行寺が優しく続ける。
「夏休みの間に、自分と櫻ちゃん、静流ちゃんの関係を見直したいんだろうけど……何よりも楽しむ事を忘れちゃだめだよ。今から君が行くのはデートであって試験じゃないんだから」
結城が一瞬黙り込む。西行寺の言葉が、胸に刺さる。確かに、観測点を固定しよう、愛情か欲望か決めようと焦りすぎて、デートそのものを楽しむ気持ちが薄れていたかもしれない。
「楽しむ事、か……」
結城が呟くと、西行寺が頷く。
「そう。櫻ちゃんの明るさも、静流ちゃんの優しさも、君が楽しんでなきゃ意味ないよ。焦って答え出そうとしなくても、時間はまだあるんだからさ」
結城が小さく笑う。
「先輩、なんか分かってるみたいですね。酉城から何か聞いてるんですか?」
西行寺が「ふふっ」と笑って首を振る。
「ん~ん、な~んにも。でも、君の顔見れば分かるよ。昔のアイツみたいに、悩みすぎてる顔してるから」
結城が「なるほど」と頷く。西行寺が手を振って続ける。
「ほら、電車遅れちゃうよ。静流ちゃん待たせないで、楽しんできなさいね」
「はい、ありがとうございます」
結城が軽く頭を下げ、駅へと歩き出す。西行寺の助言が頭に残り、彼の足取りが少し軽くなった。
「楽しむ事か……確かに、静流と星見るの楽しみだな。焦るのは一旦置いといて、今日は静流と向き合うか」
夏の陽光がリンゴ畑を照らす中、結城は西行寺先輩の言葉を胸に、札幌へのデートに向かう準備を整えていた。
小樽駅での待ち合わせ
結城は余市から小樽駅に到着し、改札を出たところで静流を待っていた。白い半袖シャツとグレーのチノパンが夏の陽光に映え、彼の手にはスマホが握られている。西行寺先輩の「楽しむ事を忘れちゃだめだよ」という言葉が頭に残り、焦りが少し和らいでいた。
そこへ、静流が改札から出てくる。薄い水色のサマードレスがふわりと揺れ、白いカーディガンが肩に軽くかかっている。白に薄く水色が入った髪が風に流れ、小さな星形のピアスが耳元で輝く。結城が「おっ」と小さく声を上げると、静流が穏やかに笑う。
「結城、お待たせ。電車、ちょうど良かったよ」
結城が笑顔で返す。
「いや、俺も今着いたばっかだ。お前、その服……星っぽくて良いな」
静流が少し照れてドレスの裾を軽く握る。
「うん、なんぼか星に寄せてみたよ。結城に似合うって思ってくれると嬉しいな」
二人は札幌行きの電車に乗り込むため、ホームへと向かった。結城が静流のファッションを見ながら思う。
「やっぱ静流らしいな……櫻の勢いとは違う、落ち着く感じ」
札幌までの道行き
小樽駅で電車を乗り換え、二人は札幌駅まで約40分の電車に揺られる。車内は夏休みの観光客で少し混み合っていたが、運良く隣の席を確保できた。窓の外を流れる海と街並みが、朝の光に照らされている。
結城が静流の横に座り、何か話そうかと考える。「観測点を固定する」とか「櫻とのデートと比べて」とか、頭の中で分析が始まりそうになる。でも、ふと西行寺先輩の言葉が蘇る――「デートは楽しむものだ」。
「そうだ、楽しむのが先だよな」
結城の中で何かがふっと軽くなり、彼が静流に目を向ける。静流はそんな結城をじっと見て、ニコニコしている。白いカーディガンの袖が少しずり落ち、彼女の穏やかな雰囲気が際立つ。
「なぁ、静流」
結城が自然に口を開く。
「ん、なぁに?」
静流が首をかしげて返す。
「俺さ、今日、静流とプラネタリウム見に行くの、すごく楽しみなんだ」
結城が素直に言う。櫻とのデートでも楽しかったけど、静流との時間はまた違う意味で心待ちにしていた。
静流が不意を打たれたように目を丸くし、頬がぽっと赤くなる。
「そ、そう、だね……私も、楽しみ……だよ」
普段は落ち着いている彼女が、結城のストレートな言葉に動揺を隠せない。ドレスの裾を握る手が少し強くなり、静流が小さく笑う。
「結城がそう言ってくれると、なんぼか嬉しいな」
結城が「そっか」と笑い、窓の外に目をやる。
「櫻と水族館行った時も楽しかったけど、静流と星見るのもいいなって。なんか、お前と一緒だと落ち着くんだよな」
静流の名前を出した櫻に一瞬だけ心が揺れるが、今日は静流との時間を楽しむと決めた。
静流が結城の横顔を見ながら呟く。
「櫻ちゃんの楽しさも、結城には大事だよね。私も、結城と一緒にいると安心するよ」
彼女の声は穏やかだけど、櫻への友情と競争心が微かに混じる。
電車が札幌に近づくにつれ、二人の会話は自然に弾んだ。プラネタリウムのプログラムや好きな星座の話で盛り上がり、結城の焦りが薄れていく。静流の笑顔が、結城の心に青い穏やかさを広げていた。
電車から地下鉄、新札幌へ
札幌駅に到着した結城と静流は、地下鉄東西線に乗り換えた。新札幌駅までの約15分、車内は朝の通勤客が減った時間帯で静かだ。静流が窓の外を見ながら言う。
「結城、新札幌の青少年科学館、プラネタリウムがすごいんだよ。宇宙記念館のデジタルより大きいって」
結城が頷く。
「へぇ、そうなのか。静流が言うなら期待できるな」
彼女の薄い水色のサマードレスが地下鉄の明かりに映え、結城は「星っぽい服、ほんと似合ってるな」と内心で思う。
新札幌駅に着き、二人は青少年科学館へ向かう。夏の陽光が照りつける中、静流の白いカーディガンが軽く揺れ、結城の白いシャツが汗で少し張り付く。館内に入ると、涼しい空気が二人を迎えた。
プラネタリウムでのひととき
チケットを購入し、結城と静流はプラネタリウムの巨大なドームに入場する。宇宙記念館よりも規模が大きいその空間は、座席が半円形に広がり、天井がまるで本物の空のようだ。二人は隣り合った席に座り、上映が始まるのを待つ。
静流がずっと楽しみそうな様子で、目を輝かせて周りを見回す。
「結城、ここ、すごいね。星がどんな風に見えるか楽しみだよ」
彼女の声にワクワクが混じり、白に薄く水色の髪が座席に柔らかく落ちる。結城が笑う。
「お前、ほんと星好きだな。俺も楽しみになってきたよ」
西行寺先輩の「楽しむ事を忘れちゃだめだよ」が頭に響き、結城は肩の力を抜いて静流との時間を味わおうと意識する。
上映が始まると、ドーム全体が暗くなり、人工の星空が広がった。ナレーションが流れる中、無数の星が点滅し、銀河がゆっくり回転する。静流がきらきらとした目で天井を見上げる。
「わぁ……結城、見てみて。オリオン座、すごく綺麗だよ」
彼女の声が小さく響き、結城もその可愛らしさに目を細める。
「確かに綺麗だな」と思いながら、結城も音声に合わせて星を見上げる。櫻との水族館とは違う、静かな美しさが心に染みる。ノートに書いた「青方偏移」が現実になったような感覚だ。
手を握る瞬間
星空が流れ、ナレーションが惑星の解説に移る中、結城はふと左手に温かい感触を感じた。隣の席の静流の手が、いつの間にか結城の手をそっと握っている。彼女は素知らぬ顔で星空を見上げているが、頬が僅かに赤く染まっているのが暗闇でも分かる。
「お、おい……静流?」
結城が内心で驚く。普段は控えめな静流が、自分から手を握ってくるなんて予想外だ。櫻の勢いとは違う、静かな大胆さに心がドキッとする。
でも、結城はその頬の赤さに気づかないふりをする。代わりに、少しだけ優しく手を握り返した。静流の手が一瞬震え、彼女が小さく息を吐くのが聞こえる。
「結城……あったかいね」
静流が囁くように呟くが、声は星空に紛れてほとんど聞こえない。
結城が内心で笑う。
「可愛いな、静流……俺も、なんか嬉しいよ」
櫻とのデートで感じた「守りたい」気持ちが、静流には「寄り添いたい」に変わる気がした。観測点が少し固定されたような安心感が、結城の心に広がる。
プラネタリウムの星空が二人を包み、手を握ったまま上映が続く。静流の頬の赤さと結城の優しい握り返しが、言葉のない絆を静かに紡いでいた。




