酉城の秘密
★ 親友との会話と親友の秘密
夏休み中のある日、結城は酉城と一緒に余市川で鮎釣りをしていた。余市は鮎の北限と言われ、夏のこの時期、余市川では鮎釣りが楽しめる。川面が太陽に反射し、涼しい風が二人を包む。でも、今の結城にはその風情を楽しむ余裕はなかった。頭の中は櫻と静流、愛情なのか欲望なのか、ぐるぐると回り続けている。
「おい、結城、引いてるぞ」
酉城が竿を手に持つ結城に声をかける。
「え? あ、あぁ、わり、酉城」
結城が慌てて竿を引っ張ると、先端で若鮎が勢いよく身をよじる。魚の動きすら感じ取れないほど、彼は思考の海に沈んでいた。
酉城が隣で新しい餌を針に付けながら、ちらりと結城を見る。
「なぁ、お前やっぱ、まだ悩んでるべや? どうすっかは焦る事も無いと思うけど、制限時間はある事は、判っといた方がいいぜ?」
結城がため息をつき、餌を針に付け直して水に投げ込む。座り込んで膝を抱える。
「判ってるよ……けどさ、ホント、判らねぇんだ」
川の流れを見つめながら、彼がぽつりと続ける。
「俺が二人に抱いてるのは、愛情なのか、それとも、欲望なのか……」
酉城が一瞬黙り、竿を手に持ったまま遠くを見る。
「……」
結城が言葉を続ける。
「二人とも、明るくて、優しくて、いい子でさ……最近はちょっと、ガード緩くなりすぎだろって感じだけど……それでドキッとする度に、ぐちゃぐちゃしちゃってさ」
櫻の背中のスリット、静流の紐ビキニ、日焼け止めの感触、うるんだ眼と赤い頬。それらが結城の心をかき乱し、愛情と欲望の境界を見失わせていた。
酉城が小さく笑い、竿を置いて結城の隣に座る。
「なぁ、結城。お前、二人にドキッとするのは悪い事じゃねぇべさ。櫻も静流も、めんこくて、いい子だ。ガード緩いってのも、お前に見せたいって気持ちの裏返しだろ」
結城が膝に顔を埋める。
「それが分かってても、俺、選べねぇよ。どっちかを傷つけたくねぇし……でも、このままだとどっちも傷つけるってのも分かってる」
酉城が川に餌を投げ、波紋が広がるのを見ながら言う。
「なぁ、俺さ、実はお前と同じような事で悩んだ事あんだよ」
結城が顔を上げる。
「え?」
酉城が少し照れたように笑う。
「秘密ってほどじゃねぇけどさ。中学の時、好きな子が二人いて、どっちも大事で選べなかった。櫻みたいに明るい子と、静流みたいに優しい子でさ。お前と同じく、ぐちゃぐちゃしてた」
結城が驚いて身を乗り出す。
「お前、そんな事あったのかよ? で、どうしたんだ?」
酉城が遠くを見る目で続ける。
「結局、どっちも選ばなかった。告られてねぇから、お前より楽だったけどさ。でも、そん時思ったんだ。決めねぇと、いつまでも自分が苦しいし、相手も待たせちまうってな。で、一人には気持ち伝えて、振られたよ。もう一人は……まぁ、自然に離れちまった」
結城が黙り込む。酉城が肩を叩く。
「お前は告られてんだから、俺より大変だべ。でも、櫻と静流、どっちもお前を想って水着で頑張ったり、ドキドキさせようとしたりしてる。お前がぐちゃぐちゃするのは、愛情も欲望も混じってるからだろ。そんでいいじゃねぇか。人間だもの」
結城が苦笑する。
「人間だもの、って……お前、簡単に言うなよ」
酉城が立ち上がり、竿を手に持つ。
「なぁ、結城。愛情か欲望か分かんねぇなら、まず自分が二人に何してやりたいか考えろよ。守りたいのか、抱きしめたいのか、それとも両方か。制限時間は夏休みの終わりまでだべ。そっから先は、学校祭でまた絡むんだからさ」
結城が川面を見つめる。櫻の笑顔、静流の瞳が浮かび、酉城の言葉が胸に刺さる。
「……そうだな。少し、考えてみるよ」
酉城が笑う。
「そだべ! ほれ、鮎また引いてるぞ!」
二人が再び釣りに集中する中、結城の心は少しだけ軽くなった。酉城の秘密とアドバイスが、彼に新たな視点を与えていた。夏の川辺で、結城は櫻と静流への想いを整理する一歩を踏み出そうとしていた。
★ 酉城の秘密
鮎釣りを終え、結城と酉城は道具を片付けて帰り道を歩いていた。余市川のせせらぎが背後に遠ざかり、夕暮れがリンゴ畑をオレンジに染める。結城が先に家に帰り、酉城が一人で道を進んでいると、ふと見慣れた影が前方に現れた。
「それで、友達は少し気づけたみたいかしら?」
柔らかな声とともに、西行寺先輩が立っていた。彼女は一つ上の学年で、長い黒髪と穏やかな笑顔が印象的な女子だ。酉城が少し足を止め、目をそらす。
「……まだかかるし、簡単に結論は出ませんよ」
彼の声は少し硬く、普段の豪快さが影を潜める。どうにも酉城は、他の男子生徒とは違う意味で、この先輩の前に出ると落ち着かなくなるのだ。
西行寺が首を振って笑う。
「ふふ、相変わらず硬いわね。それで、結城君にわざわざ伝言させた理由って何だと思う?」
酉城が少し眉をひそめ、彼女を見返す。
「それで、俺にわざわざ伝言させた理由ってなんですか? 西行寺先輩」
彼女が一歩近づき、目を細める。
「さみしいなぁ、昔みたいに『光』って呼んでくれてもいいのに」
酉城が顔を赤らめ、慌てて目を逸らす。
「……できねぇべさ、さすがに」
酉城の秘密の片鱗
西行寺光。中学時代、酉城が密かに想いを寄せていた一人だった。櫻のような明るさはないが、静流に似た穏やかさと知性を持ち、どこか人を引きつける不思議な魅力があった。酉城が結城に話した「好きな子が二人いた」という過去には、彼女が絡んでいる。
中学の時、酉城は光と、もう一人の活発な女子に惹かれていた。だが、光には告白できず、結局どちらも選ばなかった。その後、光が先に高校に進み、酉城は彼女との距離を感じながらも、心のどこかで特別な存在として残していた。
「なぁ、光……じゃなくて、西行寺先輩。あんた、結城の事気にしてるのか?」
酉城が少し意を決して聞く。
彼女が微笑む。
「結城君? ううん、彼がどうなるかは彼次第よ。ただ、あなたが友達のために悩んでるのが、ちょっと懐かしくてね。昔のあなたみたいだったから」
酉城が一瞬黙り込む。光の言葉が、中学時代の自分の葛藤を思い出させる。彼女に気持ちを伝えられなかった後悔と、もう一人の子と自然に離れた寂しさが蘇る。
「俺さ、結城に言ったよ。愛情も欲望も混じってていいって。でも、俺はそれができなかったんだべさ」
酉城が珍しく静かに呟く。
西行寺が優しく返す。
「それでいいじゃない。あなたはあなたで、結城君は結城君よ。彼に伝えたのは、あなたの経験が役に立つと思ったから。私だって、あの時あなたが何も言わなかった理由、分かってたんだから」
酉城が目を丸くする。
「……知ってたのかよ?」
彼女が笑う。
「女の子は気づくものよ。でも、今は友達のために動けてる。それでいいんじゃない?」
帰り道の決意
西行寺が手を振って去り、酉城は一人立ち尽くす。
「できねぇべさ、って言ったけど……あんた、やっぱすげぇな」
光への想いは過去のものだが、彼女の言葉が酉城に新たな力を与えた。結城が櫻と静流で悩むなら、自分は親友として支え続ける。制限時間は夏休みの終わり。その間に、結城が答えを見つけられるよう、酉城はもう一押しするつもりだった。
夕暮れの道を歩きながら、酉城が小さく笑う。
「結城、お前も頑張れよ。俺みたいに、黙ったままで終わるなよ」




