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人間の生存できる場所じゃない

 ここは人間の生きていける場所じゃない。

 東京から余市にやってきた高校生、日野結城のこの街に対する第一印象はそれだった。親の仕事の都合で祖母の家に引っ越してきた初日、結城はバス停から果樹園と海の見える道を歩きながら、心底呆れていた。なんにしても、両親がスローライフとやらに傾倒してこの僻地で祖父母の家業である農業を継ぐことを決め、東京の家まで引き払ってしまったせいだ。

 東京なら徒歩5分以内にコンビニが3軒、マックが2軒はある。カラオケもゲーセンも選び放題だ。なのに、ここには何もない。正体不明の怪しい個人商店と、観光客向けにニッカウヰスキーのボトルやリンゴジャムを並べた土産物店だけ。マックすらない。遊ぶ場所だって絶望的で、カラオケもゲーセンも影すら見えない。まさか高校生にもなってガキみたいに公園で遊べってか? 海岸で貝殻でも拾えってか?

 道すがら、「道の駅」とかいう田舎御用達の第3セクターな建物が目に入った。でかでかとクオリティの低いスペースシャトルが屋根に乗っかっていて、なんともチープだ。なんとかいう日本初の宇宙飛行士がここの出身だったな、とぼんやり思い出す。はっきり言っていっそ清々しいほど興味はなかった。ただのトイレにこんな金を使うとか、田舎の役所ってムダ金だけはあるんだな、と結城は横目で建物を眺めた。「余市宇宙記念館」と書かれた正面看板が目に入る。素直に「運送業用24時間トイレ」と書かないのは田舎の意地なのかもしれない。

 視界の中で、白い髪の女性がその建物に入っていくのが見えた。観光客だろうか? と時間つぶしに考える。こんな場所にわざわざ来るなんて物好きもいるんだな、と皮肉が頭をよぎる。

 祖母の家に着いた時、古びた木造の外観がさらに気分を沈ませた。もう高校生なんだぞ。バイトで食いつないで東京に逃げ戻るなんて生き方は、できなくはないが、それだって家族の支援が前提の話だ。あの両親のこと、結城がどれだけ綿密な脱出計画を立てたとしても、そもそも話すら聞いてくれないに決まっている。「自然がいい」「スローライフが大事」とか言いながら、結城の意見なんて鼻で笑うだけだろう。


「結城、学校は明日からね。制服は用意してあるよ」


 祖母の声に顔を上げると、果樹園の奥に立つ小さな丘が見えた。「北海道余市星海高等学校」と書かれた看板がぼんやり映る。結城はため息をついた。こんな僻地で高校生活なんて、想像しただけで吐き気がする。

 でも、どこかで小さな記憶が疼いて、脳裏で白い髪が跳ねる。ワンピースの水着で、ビニールボールを掲げる女の子。もう一人、浜辺に座って、本を大事そうに抱えている女の子。共通するのは、白い髪。きらりと光るような白と、うっすら桜色が混じった白。顔を思い出せない少女達の口が開く、けれど、言葉は思い出せなかった。……そうだ、「また会おう」だ。あの頃は楽しかったな、と一瞬だけ思う。でもすぐ現実に戻る。ここは生きる場所じゃない。両親に逆らう方法をなんとか考えなきゃ。

 そう決意した結城だったが、翌日の学校で何かが変わるとは、この時点では想像もしていなかった。


 2: 異端を見る目

 翌日、結城は祖母に渡された制服を着て、「北海道余市星海高等学校」に向かった。果樹園の奥、海を見下ろす丘に立つ小さな校舎は、東京の学校とは比べ物にならないほどこぢんまりしていた。教師に案内されて2年生の教室へ入ると、各学年1クラスしかないと知らされた。結城のクラスは35人、総生徒数は105人。廃校になっていないのが不思議なくらいの規模だ。

 教卓に立って「日野結城、東京から来ました」と簡単に挨拶すると、教室から好奇と興味の目が突き刺さった。いや、それだけじゃない。異端を、異物を値踏みするような目だ。底辺高校でもあるまいにと内心舌打ちする。東京じゃ転校生なんて珍しくもないのに、ここじゃまるで宇宙人扱いかよ、と苛立ちが募る。

 教室を見回すと、特に目立つ二人がいた。どちらも女子で、一人は白い髪をロングにした眼鏡をかけた子。きらりと光るような白髪が、どこか冷たく整った顔立ちを際立たせている。彼女は結城をちらっと見て、すぐに窓の外へ目をそらした。興味なさげというか、こっちを避けてるみたいだ。もう一人は、白に少し赤系の色が混じったセミロングの髪をした小柄な子。うっすら桜色がかった髪が揺れるたび、12歳くらいにしか見えない愛らしい雰囲気がある。彼女は目を丸くしてじいっと結城を見つめ、「あれ?」と言いたげな表情を浮かべていた。

 その瞬間、結城の頭のどこかで小さな記憶が疼いた。白い髪。10年前、海辺で跳ねる白い髪。ワンピースの水着でビニールボールを掲げる女の子と、浜辺に座って本を抱える女の子。あの時の二人と、この二人が重なるような気がした。でも、まさかな。髪の色が似てるだけだろ、と自分に言い聞かせる。


「日野、席はあそこね」


 教師の声で我に返り、教室の後ろの空いた席に座った。授業が始まると、正直愕然とした。レベルが低すぎる。高校2年だというのに、数Aなんて影も形もない。5月なのに数Ⅱの最初の方とか言われた時は、耳を疑った。東京ならこのクラス全員留年だ。しかも時間割にいくつかよくわからない表記があった。なんだよ「農業技術」って……。意味不明すぎて、結城は大きくため息をついた。


「なぁ、結城」


 隣の席の男子が急に話しかけてきた。背が高くガタイが良い、いかにも男子高校生って感じの奴だ。肩幅が広くて、制服の袖が少し窮屈そうなくらいの体格。名前は知らないけど、顔つきからしてスポーツやってそうな雰囲気がある。


「日野な」

「え~、いいじゃん。結城の方が呼びやすいし」


 いきなり名前呼びかよ、と距離感の無さに呆れる。これだから田舎は嫌いだ、と再度心の中で呟いた。


「東京から来たんだろ? すげえな。都会ってどんな感じ? マックとか毎日食えるの?」


 こいつ、マックに憧れてるのかよ、と結城は内心失笑した。「別に毎日食わないよ。普通にあるだけ」と適当に返すと、男子――後で知ったが酉城健司って名前らしい――は目を輝かせてさらに畳みかけてきた。


「マジかよ! こっちじゃマックなんて小樽まで行かないとないぜ。俺、バスで1時間かけて食いに行ったことあるけど、帰りのバス乗り過ごしてさ。親にめっちゃ怒られた」

「そりゃ大変だな」と面倒くさそうに返したが、酉城は気にせず笑う。

「結城、お前さ、農業技術ってどう思う? 俺、果樹園の実習好きなんだけど、数Ⅱとかマジでわかんねえわ。東京じゃこんな授業ないだろ?」


「ないよ。てか、数Ⅱがこんな遅れなら東京じゃ留年だよ」と本音を漏らすと、酉城は「ははっ、マジか! やっぱ都会は厳しいな!」と豪快に笑った。こいつの明るさが逆にウザい、と結城は眉をひそめる。

 視線を戻すと、白い髪のロングの子はノートを開いて何かを書き始め、セミロングの子はまだこっちを見て小さく首をかしげている。異端を見る目の中で、なぜかその二人の視線だけが違って感じられた。好奇でも敵意でもない、どこか懐かしいような響きがそこにあった気がした。でも、結城はすぐにその考えを打ち消した。10年前の約束なんて、こんな場所で偶然果たせるわけがない。酉城の声がまだ耳元で響いてるけど、もう無視することにした。

 そう思った矢先、チャイムが鳴り、教室が動き始めた。



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