60 お手紙
『なにしてるの?』
就寝前。はやく寝ろと無言でアピールしてくるケイリーを無視して、俺はペンを片手に手紙を書いていた。横から覗き込んでくる猫のユナが興味津々に尻尾を振った。
もふもふにゃんこを見て、ピンとくる。
「これね、オリビアに手紙書いてるの。俺の字が汚いって馬鹿にしたから」
『いや、これも汚くて読めないよ』
「ふざけるな!」
生意気猫を捕まえて、側にあったインクの小瓶を引き寄せる。ぎゅっとユナの前足を握ったまま小瓶に突っ込もうとすれば、ユナが暴れようとする。
『なにすんの!? ボクにインクつける気だな!』
「おとなしくしろ」
チビ猫なんて俺の敵ではない。
構わずユナの前足を小瓶に押し込んでインクをたっぷりつけておく。疲れた顔で『ボクの綺麗な毛がぁ。インクまみれじゃん』と嘆くユナの前足を手紙の真ん中にむぎゅっと押し付ける。
「よし! できたぞ!」
『この悪ガキめ』
悪態を吐くユナを手放せば、ケイリーが慌ててユナを抱き上げる。困った顔でユナの前足を観察するケイリーは「汚したらいけませんよ」とやんわり俺に注意してきた。
「猫がどうしても肉球スタンプ押したいって言うから」
『ボクそんなこと言ってないよ』
半眼で怒るユナは、ケイリーに抱っこされたまま風呂場へと連行されていく。ばいばいと手を振れば、振り返ったケイリーが「テオ様も手を洗ってくださいね」と言ってくる。見れば、俺の手にも黒いインクが付着していた。
立ち上がって、ケイリーの後を追いかけようとした俺であったが、ふと床に寝そべっているポメちゃんに視線がいった。
「……」
『やめてね?』
インク汚れとポメちゃんを見比べていれば、寝ていたはずのポメちゃんが突然目を開けてそんなことを言った。
「やめるってなにを?」
『僕の毛で手を拭こうとしたでしょ』
「……してないよ」
答えながら、ポメちゃんの毛をわしづかみにしようとするが、その前にポメちゃんがさっと逃げてしまう。普段はのんびりしていて動かないくせに。こんな時だけ素早い。
しかし逃げられると逆にやる気が湧き上がってくる。茶色ポメラニアンを黒くしてやる。
待てぇと追いかければ、ポメちゃんが『げぇ』と目を見開く。
『やめて。逃げると追いかけるその癖なんなの。本能?』
「逃げるな!」
『あー、誰か助けてほしい』
無我夢中で追いかけていた俺であったが、突然体が浮いてびっくりした。見ればケイリーが俺のことを勝手に抱っこしているではないか。
「なにするんだ!」
邪魔するなとジタバタするが、ケイリーは涼しい顔で俺を抱え直すと「手を洗ってくださいね」と手洗い場に向かってしまう。ホッと息を吐くポメちゃんがケイリーに『助かったよ、ありがとね』とのんびりお礼を言っている。
そうしてケイリーによって手を綺麗に洗われてしまった俺は、濡れた手を猫で拭いてやろうとするもケイリーに阻止された。
ユナもケイリーに洗われたらしく前足付近がちょっぴり濡れている。
「湿りにゃんこだ」
『誰のせいだと』
そうして書き上がった手紙を片手に、オリビアの部屋に向かう。もう寝る時間ですよ、とうるさいケイリーは無視しておいた。
「オリビア! 出てこい!」
湿ったユナと一緒にオリビアの部屋をドンドン叩く。すぐに顔を出した彼女は、「どうしたんですか」と不思議そうに俺と目線を合わせてきた。
「これあげる」
ん、と手紙を差し出せば、オリビアが怪訝な顔で受け取った。
「これは猫の肉球」
「……肉球」
まじまじと肉球スタンプを眺めたオリビアは、やがて半眼になる。俺の足元でオリビアを見上げるユナが『ボクいじめられたの。無理矢理インクつけられたの』と、彼女にいらん告げ口をしたからだ。
てしっとユナを蹴っておく。すぐにオリビアが「やめなさい」と眉を吊り上げた。
「ねぇ、ちゃんと読んで」
せっかく俺が書いたお手紙だ。はやく読めと急かせば、オリビアが難しい顔で手紙を凝視する。
「……えっと?」
ぱちぱち目を瞬くオリビアは、「字は丁寧にって言ったでしょ」と苦言を呈してくる。
「丁寧に書いたもん」
「えっと、ん? これもしかして謝れって書いてます?」
自信なさそうな顔で問いかけてくるオリビアに、「正解!」と頷いておく。
やっぱり俺の字は汚くなんかない。現にオリビアは読めた。だが、オリビアは不機嫌になってしまう。
「なんで私が謝らないといけないんですか」
「俺をいじめた」
「いじめてません」
きっぱり断言するオリビアは、俺の両肩を掴むとくるりと方向転換させる。
「もう寝る時間ですよ。遊んでいないで寝なさい」
「うるさいぞ!」
「なんですって?」
眉を吊り上げるオリビアに、ぴたりと口を閉じる。このままお説教が始まっても厄介だ。ユナを抱っこして「寝るぞ、猫」と声をかけておく。
『はいはい』
雑に返事をするユナは、眠そうに欠伸をした。
俺もなんだか眠くなってくる。俺を部屋まで送ってくれたオリビアは、ケイリーを発見するなり顔をしかめた。ちゃんと俺の面倒を見ておけと、ケイリーに文句を言っている。にこやかな表情でそれを聞き流すケイリーは強い。
「オリビア、おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
優しく微笑むオリビアは、静かに自室へと戻っていった。