源氏物語について語ってみる。
歴史家ドナルド・キーンは言った。
『源氏物語は美しい物語である』
血生臭さが無い、殺し合わない。確かにその通りだ。しかし、それだけで終わらない。綺麗事だけの物語が後世に残るはずが無い。雅な世界の裏側を覗く。
源氏物語を語る前に。
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〜平安時代に創られた物語〜
『落窪物語』
『栄花物語』
『住吉物語』
『篁物語』
『うつほ物語』
源氏物語だけではなかった。
内容は昼ドラや朝ドラみたいな話が多いようだ。
リアリティを追求した物語が創造されたと云える。
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上記はTwitter(X)に載せたツイートである。
ツイートしたあと思った。
(もっと語りたい)
語るとしよう。
第一章
源氏物語の作者は紫式部である。
内容は当時の貴族社会の雅な世界へ、読者を誘う名作だ。
1000年に渡って読み継がれてきた。
だから、さぞ面白いと思うだろう。
ところが結論を云えば、源氏物語は予備知識が無いと楽しめない作品だ。
私自身、源氏物語を読んで途中で挫折した。
読んだのは瀬戸内寂聴・訳〔源氏物語〕である。
ちょうど、光源氏が須磨に左遷されて、寂しく詩を詠むところで止めた。
寂しい。
女を求める。
詩を詠む。
その繰り返しに飽きてしまった。
物語の背景を深く読まないと、そんな感じになってしまう。
その背景について説明すると…。
当時の貴族社会の光と影である。
ハッキリ言ってしまうと、女性に人権は無かった。
今で云う〔セク◯ラ〕〔レ◯プ〕は当たり前で、拒めばあとが怖かった。
また、容姿に恵まれないのは、前世で悪事を働いた証とされた。
そのため、ブスへの差別は筆舌に尽くしがたい。
たとえ高貴な生まれでも、召使いとして扱われるのも、珍しくなかったようだ。
第二章
歴史家ドナルド・キーン曰く。
源氏物語には血生臭さが無い。
グロいシーンは皆無である。
しかし、その分、ドロドロした話が盛り沢山だ。
特にダメ男とダメ女の姿は、メンヘラ女とDV男の日常を描いているようだ。
ただし、DVと言っても精神的DVである。
しかし、男はDVとは思っていない。
また、メンヘラ女も自分がメンヘラとは思っていない…。
嫉妬深く、悪気も無く、平然と相手を傷つける。
どちらも痛い。
ちなみに光源氏な母・桐壺は、時の帝の寵愛を受けたばかりに、嫉妬に狂った女達から精神的リンチを受けて、死んでしまう。
結果、光源氏は亡き母の姿を求め、女を漁り続けるのだ。
第三章
ここまで書くと…。
「源氏物語のドコが面白いの?」
と、思って来るかもしれない。
だからこそ、予備知識として押さえておく必要がある。
それは、紫式部は不器用にしか生けれない女性が、どうやって幸せを掴むのか?
その問いに答えている。
それは嫉妬しても、同性に当たってはならない。
男に当たって困らせてやれ。
男に…。
(面倒な女だ)
と、思わせろ!
と、メッセージがあるようだ。
光源氏の正妻・紫の上は、まさにそのタイプだ。
ホントに愛しているなら、それで別れないだろう。
また、己が嫉妬深い事を自覚しろ!
そんなメッセージが込められている。
これは紫式部自身の事を指しているようだ。
紫式部は日記に清少納言への恨みを書いていた。
理由は清少納言が紫式部の夫の悪口を言った為らしい。
「文章同様、軽い女だ!」
紫式部は日記に書き殴っていた。
かく云う、清少納言は紫式部の才能を高く評価していた。
源氏物語を読んで…。
「紫式部には適わない」
と、称賛している。
原因は清少納言にあるにせよ。
紫式部の性格の一部を、垣間見るエピソードだ。
終章
紫式部は今で云う《陰キャ》だったようだ。
不器用な女性で苦労した。
夫に先立たれ、娘を抱えて途方に暮れていたところを、藤原道長に拾われた。
その文才を活かして、天皇の后となった我が娘の力になってほしかった。
道長に拾われなければ、源氏物語は無かった。
また、紫式部は道長の愛人でもあったようだ。
時の権力の後押しで、源氏物語は時の帝、一条天皇の目に止まった。
今風に言えば、有名人から太鼓判を押されたのである。
これは小説と云う媒体が誕生した頃より。
宣伝が如何に大事かも伝えているようだ。
源氏物語が古典として地位を確立したのは、偶然ではないが…。
やはり、物語の質だけで、地位を確立する難しさを伝えている。
小説はナカナカ進まないのに、ツイートやエッセイは筆が踊るようだ。
やはり自由闊達に書けるエッセイと比べて、小説の制約は大きいのを実感する。
キャラクターの知らない事は書けなかったり。
キャラクターに無い台詞は書けなかったり。
そう云えば、清少納言は短歌は苦手だったようだ。制約の中で創作する難しさを知っていた。
小説>短歌>エッセイ(随筆)
それらが誕生した頃から、難易度は変わらないようだ。
私も紫式部に肖りたい。
そう思いながら筆をおくとしよう。
追伸:源氏物語は長いので、魅力の10%も語れていないだろう。もし、このエッセイを読んで、源氏物語を読むキッカケになっていただけたら幸いです。