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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

地中の果実

シトワイアン(市民)・パルマンティエ、私が貴方に騙されたのは、実に8年前の事です』


そんな文で始まった手紙に、パルマンティエの背筋に悪寒が走った。気に食わない人物を告発すれば高確率で逮捕され、運が良ければ処刑だってされるそんな狂った時代。恐怖政治(テルール)の最中、友人や知人が「カペーの襟巻」(ギロチン)の染みになるのを、パルマンティエは何度も息を潜めて見送った。善良な人物であろうと、冤罪であろうと関係が無く、どこかの誰かに恨みを持たれている可能性があるというだけでも、肝が冷えた。


「で、このメリゴ夫人って誰?」


そんな謎の手紙の続きを読む前に、パルマンティエの思考を遮ったのは、姉で助手でもあるマリー=スザンヌの声だった。


「全く心当たりが無いよ。スザンヌの知り合いだったりしないのか?」

「私も知らないわ。何、愛人?いつの間に」

「そんな人がいれば、未亡人の姉と二人暮らしなんてしていないよ。それで、この贈り物も彼女から?私に?」


手紙と共に届けられた小包を指さしながら、パルマンティエが聞く。まだ空けてはいなかったが、何かの文書、もしくは短めの本が入っていると推測は出来た。


「そうよ、彼女の息子が届けてくれたのよ。母が是非貴方に受け取って欲しいと、ささやかなお礼ですって。まだ心辺りないの?」

「いや、全く。でも興味深い。私に宛てられた手紙なら、まずは一人で読む事にするよ」


パルマンティエがそう答えると、スザンヌが気を使って部屋をでる。再び一人になると、パルマンティエは再び手紙を開き、読み続けた。



『ですが、どうかこの手紙を恨み言として受け取らないで頂きたく思います。むしろ、その真逆の気持ちを込めて書き溜めました』



そう続いた手紙に、パルマンティエの不安はすぐに和らいだ。とにかく、目立った敵を持っている訳では無い、という事が解っただけで、幾分気持ちが楽になったのだ。



『いえ、まずは私自身の告白から始めなければなりません。追い詰められていた私は、始め貴方を欺いているつもりでいました。ですが、疾しい気持ちで行動を起こした私は、逆に貴方の知恵に助けられていたと気が付いた時には、己を恥じたものです。言い訳じみ、情けを乞う形となりますが、どうか一つ、私のお話をお聞きください。


八年前、このパリの近郊、サブロンの平野近くに、母親と彼女の愛する息子が、絶え間ない飢えに耐える苦痛を味わっていたのは、きっとなんら驚く事では無いと思います。私の大切な、小さなフランソワ…私にとっては命そのものよりもかけがえのない存在は、かつては活気あふれる子だったのに、日々やせ細っていきました。その時の私は、最初の冷たい風が、私のフランソワを連れ去ってしまうのではないかと、毎日恐れて生きていました。


フランソワが決して病気では無かったのは、母である私が何よりも知っていました。ただ、栄養が足りなかったのです。もし、カペーが一食に食べる量の、ほんの半分でもフランソワに与えられていれば、私の可愛い息子は元気に遊びまわれたのに、と毎晩の様に涙を流したのは、中々に褪せる事の無い記憶です。自分の無力で子を失う恐怖に、敵うものは何一つないのです。


そんな中、貴方がサブロンの平野、かつては不毛の土地と見なされていたその軍事基地に、王家と一部の貴族のみの為の食物を育てたと聞いた時、この恵みを盗み取る計画を立てました。


昼間は警備員が巡回していても、夜の帳が降りればたちまち彼らは姿を消します。闇が大地を覆い、人がいなくなると、私は平野に忍び込み、ありたっけの根菜をエプロンに包み込み、運び出しました。実に不思議な事に、あっけない程簡単に。人っ子一人見られる事無く、私は家路につけたのです。


帰宅すると同時に、蝋燭の小さな光の中で、私は初めて危機を犯してまで手に入れた戦利品をみました — ゴツゴツとした小さな球体、その皮は驚くほどザラつく質感で土っぽい感触でした。それでも、未知の物に対する困惑や少しばかりの恐怖もありましたが、貴重な食材を手に持っているという考えが、気持ちを高揚させたものです。しかし、この奇妙な食材をナイフで切った時に、私その本当の魅力が解ったのです。しっかりしているのに柔らかく、奇麗なクリーム色一色に、水々しさも少し。最初に、ほんの少し齧った時、私はこの食材が多くの美味しい料理に姿を変えられる事だろうと、その瞬間に確信しました。


私はこの『地中の果実』を奇麗に洗い、皮を向き、持っていた僅かな塩と共に柔らかくなるまで茹でました。そして最後にハーブとバター、そしてほんの少しだけ酢を加えたのです。


シトワイアン(市民)・パルマンティエ、その最初の一口の感動を、何と説明すれば良いのか解りません!少しクリーミーで、それでいてふんわりとした実は、素朴な味でありながら、バターやハーブに本当良く合いました。一口食べれば栄養源を感じ、それだけでなく、お腹もすぐに膨れるというのは、これ以上ない程の嬉しい要素でした。


しかし、最も心温まる光景は、私の愛するフランソワが、驚きに満ちた目を輝かせ、この『地中の果実』をそれは嬉しそうに頬張る様子でした。彼の目の中の無垢な喜びと、腹いっぱい食べる事で徐々に気力を戻す様子に、私は喜びの涙を抑えることができませんでした。


私たちは一本のろうそくの微かな光の中、質素なテーブルの上で、人生で最も豊かで満足感を感じる食事を、共にしました。この簡素な料理の中が、私達の過酷な日々に、僅かな希望と一時的な休息を与えた様に感じたのです。


シトワイアン(市民)・パルマンティエ、私の『小さな』フランソワは、もう小さくありません。背は高く、体格も逞しくなり、頬もリンゴの様に赤く、健康的です。あの夜、盗んだものの一部を、私はこっそり植えたのです。それらはわずか3か月足らずで育ち、私達を支え続けたのです。


しかし、その運命の夜から幾分年月が経ち、私は貴方がどれほどこの『地中の果実』に情熱を捧げていたのかを知ったのです。畑を守るためにいる兵士が、夜、盗人の時間に引き上げる事の違和感に、私はあらためて気が付いたのです。敢えて盗ませる…例えそれが、この果実に連想される、根拠の無い悪評を拭う為の策であったとしても、私とフランソワは貴方に救われました。


あの夜以来、私もこの『地中の果実』に関する知識は、少なからず共有に値する物になったと思います。貴方と、貴方が広めた『地中の果実』に捧げられたこの贈り物を、どうかお受け取り下さい。


心より

カトリーヌ・メリゴ』



手紙を読み終わったパルマンティエは、静かに同封の小包を空けた。中には50ページにも満たない、短い本が入っていた。題は「共和国の料理人:ジャガイモの簡単な調理法、およびそれらを保存する為に必要な手順についての助言」。パルマンティエの努力もあって、やっと20年前栽培が合法となり、それでも中々に広まらなかった『地中の果実』― ジャガイモは、ついに専門の料理本を持ち、それも貧民だけではなく、中流階級向けに作られる程、受け入れられるようになっていた。


実際のところ、メリゴ夫人が盗みを働いたという、パルマンティエのジャガイモ畑には護衛などなく、普通の兵士が、他の軍事基地と同じく、ただ時間通りに巡回していただけの事だった。パルマンティエはむしろ盗難が、自身のジャガイモ普及計画を妨害するのでは無いかと恐れていた。悪評を拭う為の計画云々はメリゴ夫人の過大評価でしか無かったものの、真っ直ぐで純粋な感謝の言葉に、パルマンティエは頬が少し緩むのを感じた。


メリゴ夫人が盗みを働いたというその年を、パルマンティエはありありと思い出す。ヴェルサイユで、初めて国王ルイ16世に会ったあの日。ジャガイモの花で作られた花束を国王夫妻に渡すと、王は一つボタンに挿し、幾つか王妃の髪に差し込んだ。


「フランスはいつの日か、貧民のパンを発見した貴方に、感謝するでしょう」


パルマンティエが国王から受けた、最後の言葉だった。


更にはそのまた八年前の1778年。ジャガイモ粉で作られたパン、そして20種ものジャガイモ料理を振舞った、晩餐会の日。あの日の客には、多くの有名人がいた。ベンジャミン・フランクリンにアントワーヌ・ラヴォアジエ — その時のゲストリストの、何人が今も無事でいるだろうか?


パルマンティエはぺらりとメリゴ夫人の料理本の、最後のページをめくった。中には合計31種のレシピが含まれ、その内5つは菓子料理だった。最初の料理は、手紙にもあったシンプルな茹で芋だったが、特に興味そそられたのは、「ガトー・エコノミック」、ジャガイモとレモンのケーキである。


もしこの料理本がその頃出来ていれば、味の評価は今一つだった晩餐会のジャガイモ料理も、もう少し好評だったのではないかと、パルマンティエは思う。勿論、晩餐会自体は失敗では無く、ジュルナール・ド・パリでは、パルマンティエの功績を「今世紀最も重要な発見」と称賛し、この大々的な宣伝は、彼に多くの機会を与えた。与えた筈だった。あの頃のパルマンティエは、まだ希望に溢れていた。やがて、国内で誰一人飢えない日が来るのでは無いかと、そんな青臭い幻想すら抱いた。


しかし、何もかもが遅すぎたのだ。1789年、バスティーユ牢獄が落とされ、その僅か三年後には、ルイ十六世はただのシトワイアン(市民)・カペーとなり、やがて悲劇的な結末を迎えた。


もしも、ジャガイモの栽培が、もう少し早く合法になっていれば。パルマンティエ以前にジャガイモを広めようとした、デュ・モンソーやムステルの言葉に、耳を傾けていれば。飢えた人が、一人でも少なければ。


しかしパルマンティエはすぐに頭を振り、「もしも」の幻想を払拭した。僅かな慰めにしかはならないかったが、あの日、母とその小さな息子が、かけがえのない大切な時間を共に過ごした事、最初のジャガイモ料理を二人で楽しんだ事、そして命を今日に至るまで繋げられた事。その事実だけでも、陰鬱で悲しい日が続くパルマンティエに、喜びと笑顔を与えた。


「スザンヌ」と彼は呼びかける。


「とても素敵な贈り物だったよ。どれ、一つ二人で試してみよう」


パルモンティエは飢えというものが怖かった。自分が経験するのも嫌だった。他人が感じるのも嫌だった。空腹が自分を、人を獣にするのが怖くてならなかったのだ。


だけど、この時代もまた永遠に続くわけでは無いと、パルマンティエは自分に言い聞かせた。


いずれ恐怖政治はきっと終わりを告げる。そして平和が訪れ、フランス国民全てが、飢えの苦しみを経験しないで済む日が訪れることを、その小さな料理本を手に、彼は静かに、願ったのだった。

アントワーヌ・パルマンティエ(1737年-1813年)

フランスの農学、栄養学、公衆衛生の分野での先駆的な貢献で知られた多才な人物。最も有名な業績は、フランスでジャガイモを主食として広めたことだったが、同時に軍の薬剤師でもあり、フランス帝国時代に国の医療制度の組織化においての重要人物でもあった。パルマンティエの業績はジャガイモにとどまらず、食品化学、食品保存、栗やトウモロコシなどの他のでんぷん質食品の普及にも注力し、他にはパンの品質向上や、医療施設での水と空気の安全確保など、公衆衛生等にも熱心に取り組んだとも。


「わざとジャガイモを盗ませて悪評を消そうとした」という話があるが、芋の盗難に対する不安を仄めかす手紙から察するに、おそらくフィクション。



メリゴ夫人

「La Cuisinière républicaine, qui enseigne la manière simple d’accomoder les pommes de terre ; avec quelques avis sur les soins nécessaires pour les conserver(共和国の料理人:ジャガイモの簡単な調理法、およびそれらを保存する為に必要な手順についての助言)」の作者。ジャガイモのみに宛てられた料理本としては初。もしかしたらフランスでは、初の料理本女性作家。名前と出版に息子が一役買っている事以外は不明。



マリー=スザンヌ

アントワーヌ・パルマンティエの一歳上の姉。夫が亡くなると弟と共に暮らし、助手的な役割と家の事を全般任されていた。姉弟仲は凄く良かったらしい


おまけ

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[良い点]  フランスでのジャガイモに、このような歴史が……史実の隙間を埋めるかのような素晴らしい物語に感動しました! [一言]  イラストも素敵ですね!
[良い点] パルマンティエさんのご尽力で多くの人が飢えから救われたんですね。 合法化に時間がかかったのは、芽の部分だけに毒性になかなか気づかず、食べて体調をくずす人がいたのかも……。 [一言] 10…
[良い点] フランス革命期の重苦しい雰囲気の中、後世に多大な影響を与える功績を残した人たちの物語。 されど、今日その名はほとんど知られておらず……。 まさに Unsung heros & heroin…
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