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第76話 他人事と手続き

 慣れない杖に少々難儀(なんぎ)しながら僕は建物に入って、すぐのところにあった受付で面会のアポイントのむねを告げた。

 受付にいた中年女性は事務的はいくつかの個人情報をたずね、身分証明書の提示をうながしてきた。

 僕が間違いのないように対応すると彼女は受付の奥から出てきた制服を着た男性に対応を引き継いだ。

 男はこちらの顔をちらと見たが、何の反応も示さなかった。

 変装などの小細工はかえって怪しまれるかと思って特にしていなかったが、まあこんなものなのだろう。

「ご面会の経験は?」

「ないです」

「そうですか、それでは――」

 ここでいくつかの規則について確認を求められた。

 とにかく、事前に申請のないものは認めないというのが大まかな話の内容であった。

 僕は実に真剣極まりない表情で一つ一つに深くうなずきながら彼の話を聞いていたのだが、実際頭の中はバイスでいっぱいだった。

 会ってくれるだろうか?

 会ったとして僕の話を聞いてくれるだろうか?

 どんな顔をしているのだろうか?

 どんな感情を抱いているのだろうか?

 僕の脳裏はそればかりにめられていた。

「では、まいりましょう」

 どうやら話を終えたらしく彼は僕をうながした。

 僕はぐっと喉元のどもとの空気を胃に追いやってから、ゆっくりと、

「はい」

と返事をした。

 男と僕は建物の中をしばし進んだ。

 こういった場所はもっと薄暗くすえた臭気しゅうきや言い知れぬ緊張に満ちた空間ではないかと思っていたのだが予想とはだいぶ違った。

 白い壁にはシミもなく、窓は大きく開かれており日差ひざしが建物の中にたっぷりと注ぎ込まれ、モンキチョウなどが軒下のきしたに咲く花々の合間を飛び回る様などが観察され、のどかそのものであった。

 ついこの前までいた僕の脳内の方がだいぶすさんでいたと言えよう。

 誰のものでもない現実世界のありがたさをしみじみと感じた。

 杖になれないうえ、カバンまで持っているせいでここでも僕はもたもたしてしまい、男は少し行っては立ち止まって僕を待たねばならなかった。

 僕もずいぶんと汗をかいてしまった。

 そして、ようやく僕らは目的の部屋にたどりついた。

 面会室、という木製の古ぼけた名札が取り付けられた扉を男はちゅうちょなく開いた。

 いきなりそこにバイスがいたら――と僕は息をのんだが、透明な仕切りのある狭い部屋にはまだ誰もいなかった。

「どうぞ。まもなく、やってきます」

 僕は礼を言って部屋に入った。

 目まいを感じるほど僕は緊張していた。

 生来せいらいストレスには弱い体質である。

 まもなく、と男は言ったが、5分でも待たされたら気絶するに違いない。

刑務官けいむかんが立ち会いますので」

 そう男は言って僕を部屋に残して扉を閉めてしまった。

 彼はどうやら扉の外に待機しているらしかった。

 僕は使い込まれたパイプイスに腰をかけると、仕切りの向こうのこちら側と同じ見た目の扉を見つめた。

 あそこが開けば――バイスがやってくる。

 僕の体感的な時間としてはついこの前まで二人で漫画を描いていたことになっているためバイスに対して久しぶりな感じもないのだが、実際10年の年をたバイスを目の当りにしたら僕はどのような感情をもよおすのだろうか?

 ショックでここ10年の記憶が一気によみがえってしまうかもしれない。

 そんなことになれば、スティーブンソン氏もさすがに驚愕きょうがくするだろうし、僕自身もバイスに対して抱く感情が一変してしまうかもしれない。

 ――いや、一変することなんてあるのだろうか? 

 僕の今のこの気持ちが、記憶がよみがえった程度のことで霧散むさんしてしまうなんてことが。

 ならば、この僕の今の感情は間違ったもので幻である、ということになるのだろうか?

 こんなに僕はバイスに会いたいと願っているのに、気持ちなんてものはそんなに不確かなものでいいのだろうか?

 僕はそんなことを考えながらバイスを待った。

 ふいにがちゃり、と眺めていた扉が開いた。

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