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第73話 回復と取引

「ではもう一度整理しておうかがいしよう」

 言いながらスティーブンソン氏は机のカップを手に取った。

 その中には、先ほど看護師が置いて行ったコーヒーがまだ半分以上残っているはずだ。

「タケオ、あなたは今、おいくつですか?」

「肉体的には26歳であると聞いています」

「そのとおり」

「しかし、僕の記憶ではそうではありません」

「あなたの記憶では、年齢は?」

 ズッとコーヒーがすすられる。

 僕はもう一度考えてから、回答を口にする。

「僕は16歳です。正確に言えば、16歳から先の記憶がありません。夢の中で、僕は高校生でまもなく3学期を終えるところでした。僕の記憶はそこまでしかないのです」

 スティーブンソン氏は僕の発言を聞いて軽くうなずいた。

「16歳までのことはよく覚えているのだね?」

「まあ、人並み程度には。16年間生きてきた実感は、たぶんあります」

「しかし、その先10年間はない、と?」

「気持ちは高校生のままですよ」

「フフン。わしもそうだ。気持ちだけはハイスクールのころとまるで変わらない」

「いくら16歳以後の話を聞かされても、まったく他人事です。身に覚えがないんです」

「それでは困るだろうな」

「まあ、別段困ってはいないんですけれども」

「あなた本人はそうだろうな。クロダとマツシマはあなたと話をしているうちに顔面が蒼白そうはくになっていたな。ククク、あれはなかなか見物みものだったよ」

 クロダとマツシマというのは大きな出版社の僕の担当であるらしい。

 らしい、というのはもちろん僕の記憶にないからそのような伝聞口調になるだけで、実際僕は彼らと多くの仕事をともにしていたのだ。

 僕があいまいな笑顔で彼らの顔に見覚えのないことを告げると2人は大いに落胆らくたんした。

 そして、僕の記憶のサルベージを計画し、スティーブンソン氏を呼び寄せたのも彼らであるという。

 つまり、氏からすれば、彼らは口出しの多いクライアントである。

 ずいぶんりもあわなかったようで先述のようなご感想を持ちえたようだ。

 しかしながら、僕は憶えていないもののおそらくは大恩たいおんのある方々なのでとりあえずの苦笑いでその発言に応えた。

「気にむことはない。あなたの症状は必ず改善する。しばらくはいろいろと不便だろうが、気を楽にすることだ。なにしろ儂がついているのだからな」

「先ほども言いましたけど、それほど不便も感じていません」

「まあそうか。確かにそうだろうな。不便を感じるのはむしろまわりの人間であろう」

「それで、僕はいつまでここにいればいいのでしょうか?」

「それは答えることが難しい質問だ」

「主治医がOKを出せば僕は退院なのではないですか?」

 スティーブンソン氏は、都合の悪い事実から目をそむけるように窓の外を見やった。

 根が正直な人なのだな、と思った。

「そこが難しさのゆえんだ。儂はできればあなたに少しでも長くここにいてほしいと思っているのだから」

「貴重なデータを提供する被験者として、ですか」

「儂の力をもってすれば命が助かる多くの患者が世界中で儂の到来を待ちわびているのだ。儂がひとところにとどまるのは人類に対する大いなる損失であろう。それでもなお、儂はあなたとともに自らの研究を深めたいと考えているのだ。この意味をよく考えてほしい」

「自分のお力にご自信がおありなんですね」

「自信がなければ、人間の体にメスなど入れられるわけがない」

 根拠のない自信でメスを入れられたほうが迷惑だろうに、と思ったが口には出さなかった。

「あなたはどこかに行かねばならないと考えているのか?」

「ええ、実はバイスに会いに行こうかと思うんです」

「バイス?」

 きょとんとした表情をしたあと、スティーブンソン氏は不思議そうに言葉を続けた。

「バイスと言うのは、あなたを車でひいた梅津うめづのことを言っているのか?」

「そうです」

「どうしてまた? 彼に復讐ふくしゅうでもするつもりなのか? まわりの人間も反対するだろうし、第一、日本の法律が君たちの接触を許さないだろう」

「まあ、会う方法はお金でも積めばどうとでもなると思うんです」

「確かに。そのとおりだろうね」

てて関心もないのだろう、氏はつまらなそうにそう言ってぬるいコーヒーをすすった。

「彼に会って、どうしても伝えなくてはならないことがあるんです。うらごとや非難ではなく、建設的な内容のことです」

「そうか。それは結構なことだ。自らを傷つけた相手にそのような行動をとることは実に博愛はくあい的ですばらしいことであろう。儂には到底とうていできない真似まねだな」

「というわけで、先生にもぜひご協力を願いたいのです。僕に外出の許可を出していただきたいのです」

「なるほど。儂にも金を積むというわけか」

「先生の研究にも貢献できると思います」

「ふん」

 スティーブンソン氏は舌を鳴らしてコーヒーを飲み干した。

「儂はどちらかというと、ありがたい申し出は素直に受けることにしている。よかろう。取引を成立させよう」

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