第68話 屋上と不吉な雲
空には暗く重い雲が広がり、よくない出来事の前触れとしか思えないよどんだ空気が満ちている。
計画を中止するには絶好の日和に思われた。
しかし、僕がそれを切り出す最初の言葉の選択に苦慮しているうちに彼女はずんずんと屋上を横断し、
「さ、こっちだ」
と僕をうながしてくる。
違うんだ、そうじゃないんだ――と胸中で叫びながら薄ら笑いを浮かべながらそれに追従する。
己の情けなさだけが充填されていく。
充填されたそれが体外ににじみ出たのであろうか、彼女は僕を見てあきれ口調で言った。
「なんだい、ずいぶん情けない顔をしているじゃないか?」
「現に情けないですからねえ……」
僕は弱々しさを醸し出しながら返答した。
「生き返るのがこんなに恐ろしいことだとは知りませんでしたよ」
「なれてしまえばどうということはない。要はなれだよ。人生なんでもそうだろう?」
「そうかもしれませんけれども何度やってもなれないっていうことも世の中にはあるじゃないですか」
僕は金網越しに足下の空間をのぞきやった。
グラウンドがあるはずのそこには、もはやもくもくと暗雲があるばかりだった。
飛び降りたらどこに到達するのか、ここからではわからない状態である。
彼女の言葉を信じれば到達する先は現実世界なのだろうけれども、それを本能的に否定させる不吉な雲であった。
「何度もやる必要はもうなくなるのさ。――あと一度だけでいい」
彼女はきっぱりと言った。
僕は返事をできずに目の前の金網を見つめていると、むぐと右手に温かく柔らかい感触があった。
目をやると彼女が僕の手を握りしめていた。
「一度だけでいい。行くんだ――!」
彼女の真剣なまなざしに言葉を失った僕はただ無言でうなずいた。
彼女はぐっと一度力を込めて手を握ると、パッと手を放した。
「それじゃ、僕から先に行くね」
「えっ!」
「だあって、君を先に行かせるわけにはいかないだろう? ここは君の意識の中なんだから、君から目覚めてしまったらどうなるのかわかったもんじゃない。安全を考えて僕が先に戻るのは当たり前だろ?」
「……はあ」
確かに。
僕は賛同の返事をするより他はなかった。
それを聞くや否や、彼女は眼前の金網に手をかけてがちゃがちゃとやかましい音を立てながら、器用に背丈の倍ほどもあるそれを登っていく。
期せずして彼女のスカートの中が僕の位置から丸見えになる。
「のぞかないでよ」
遅ればせながら彼女は下にいる僕に目を落としながら低い声で言った。
「のぞいてませんよ」
と僕は真顔で嘘をつく。
彼女は、そんな嘘をよく平気でつけるよなこのゴミ虫、とでも言いたげな表情で僕の青白い顔を一瞥してから再び耳に障る音を立てながら金網を登り、ついに最上部をまたいでから向こう側へと無事に到達した。
「よしゃ」
ぱんぱんと手をはたきながら、彼女は僕を振り返った。
「それじゃ――先に行ってるから」




