第67話 さらなる高みと屋上
転倒時に打った脇腹周辺を押さえて僕はしばし転げまわった。
苦痛に耐えぬいてようやく動いた口で、
「どういうことですかあ?」
と弱弱しい声で問うと彼女は、
「ごめんなさい。あまりにもあまりにもなポージングだったうえに、君がそれをイケているのだと思い込んでいるのだとしたらと思うと、つい」
と少しばかり気まずそうな顔で答えた。
なるほど、生理的嫌悪感を引き起こしてしまったのならこちらにも非はあろう。
しかし、そもそもこのような行動をとらせるように追い詰めたのは彼女自身ではなかったではないか?
ようやく身を起こした僕の肩に彼女はぽんと手を置いた。
「だけど、まあ、勢いと気迫と気持ちの入り方はものすごくよかった気がする。あれならいけるかもしれない」
「大丈夫でしょうか?」
「生半可な覚悟なら、むしろ不要だ。君が起こそうとしているのは科学を超えた奇跡だ。科学的かつ一般的な見識はとっとと捨てた方が、かえっていい結果を生むということもなくはないだろう」
そうなのかもしれない。
僕は彼女の適当な説明をあっさりと受け入れた。
「よし。では屋上へ行こう。時間がない」
「時間がないんですか?」
「そうだ。僕はあまりここにはいられないのだ。ここは君の世界だからね。異物である僕は、ただここにいるだけでも毒なのだよ」
「それはすみませんです」
僕が条件反射的に謝ると彼女は肩をすくめた。
「いいさ。僕のほうが勝手に入り込んでいるんだ。さあ」
彼女は地下室を出るために階段に足をかけた。
「現実へ戻ろう」
その言葉にうなずいてから、僕は彼女のあとに続いた。
階段を上り始める前に僕は電気のスイッチを消した。
電気料金が発生するわけでもないからわざわざ消灯する意味はないのだが習慣的な動作だった。
しかし、明かりがなくなった美術準備室はもはや完全に存在意義を喪失した。
再び明かりを灯してもきっとそこには何もないだろう。
そう確信できるほど背後の闇が深かったので、僕はあわてて階段を上り二度と振り返らなかった。
◆
照明の暗さというのもあろうが、実際によく見ればそれはこの校舎自体が闇に犯されて暗くなっているのだろう。
舞台装置としての意味を失いつつあるその空間を僕と彼女は無言で駆けていく。
目的地はむろん屋上だ。
走りながら、僕は不安が染みていく胸中で自問し続けていた。
すなわち、無事に現実に戻れるのだろうか、という当然極まりない内容の問題だ。
「やってみなくちゃわからない」
彼女は僕と並走しながらそう言った。
「飛び出たとこ勝負だよ、僕」
「まあ、そうなんでしょうけれども、実際に飛び出るのは僕なんですよ? しかも屋上からなんて、現実だったら人生終了ものですよ?」
「だが、ここは君の意識の中だ。安心したまえよ、せいぜい悪い結果が出ても残機1機減、てなところなのだよ!」
「そいつが最後の1機じゃなければいいんですけれども」
「あーもーうるさいうるさい! ほら、そこの角を曲がって階段登れば屋上だよ!」
僕の気弱な発言を一蹴して彼女は前方を指さす。
上履きをきゅっと鳴らしながら二人して角を曲がると正面に階段が伸びている。
ここを二十数段登りきれば目の前にあるのは屋上への扉ばかりとなる。
早くも飛躍の時がやってきたのだと思うと断然スピードは鈍るのだが、それでも歩みを止めなければ亀に追いすがるアキレスよろしく目的地には到達してしまうものなのである。
「ようし、着いた着いた」
彼女は慣れた調子で屋上に出るためのスチール製の扉をがばりと開けた。




