第60話 正しい歴史と最後の思いつき
「申し訳ないことをしたと思うよ」
彼女は今までで一番暗い声を出して僕に謝罪した。
「結局――すべては僕の保身だ。これ以上僕が君にならないように、そして、君が違う未来に向かうことができるようにと考えることで自分の犯した罪から目をそらしていたんだ。本当はどこにも続かない袋小路に君を追いこんでいただけなのに」
僕は肩を少しすくめてみせる。
彼女の謝罪を受け入れる道理が思いつかなかった。
「ねじ曲げてもらったおかげでいろいろといいこともありましたからね。それに実際の過去とやらには興味もないですから」
何せ僕には正しい記憶というものがないのだからしかたがない。
彼女が知る正しい歴史とやらも、誰かの考えたプロットの一部だとしか思えないのも無理はあるまい。
「しかし、おかげで結果は上々じゃないですか。僕とバイスは君の提案を受け入れて、せっせと新しい作品を作り上げた。もちろん、客観的には、僕が、僕とバイスを巧みに演じ分けながら一人でガリガリと作った作品だ、と言うべきなのかもしれない。でも、僕からしたらこれは間違いなく僕とバイスの合作だ。君はこれをまるごと覚えておいて現実に戻って、外で待っている連中に堂々と伝えて成果にしたらいい。その素晴らしい才能とやらをお持ちの僕が病床で練り上げた最新作だ。センセーショナルですね。涙を誘いますね。きっと売れるんでしょうね。でも、僕にはそうは思えません。いや、もちろん素晴らしい作品であることは間違いないです。しかし……だめだ。これだけじゃだめなんだ」
彼女は不思議そうに僕に言った。
「どうして、だめなんだい?」
「そりゃもちろん、やっぱりバイスでなきゃあ」
僕は力強く彼女に言い返した。
「この作品は、バイスでなきゃ、うまくいきっこないですよ。バイスのオーケーをもらわなくっちゃ。今までだってそうしてきたんですし、これからもそうするつもりですし」
彼女は僕の答えを聞いたとたん、ぐうとまゆ毛を下げた。
「そうだね。そうだよね」
そして、涙がこぼれた。
「たとえ、これが、君が作り出した幻影なのだとわかっていても、君たちがすばらしいコンビだというのがわかったよ。2人が漫画を描いているの、本当に楽しそうだった」
「そうかな?」
と、とりあえず照れかくし的にとぼけながらも、僕には彼女の言わんとするところが察せられた。
何事かに没頭するということは、それは何にも替えがたい喜びのひとつなのかもしれない。
当たり前にそこにあるものを得ようとすることこそが一番に難しいのかもしれない。
「そうさ。一緒に描きたいなって、思ったんだよ。君たちの役に立ちたいって思ってたんだよ。ようやく、それができるって時にさ、こんなことになるなんて」
「できますよ!」
僕はあっさりと言ってのける。
後先を考えずに発言するなんていつ以来だろうか?
意外と最近かもしれない。
「――できます。現実に戻って、僕とバイスと君と3人で漫画を描きましょう。僕もバイスもいい大人です。今更徹夜を誰にも咎められないでしょう。君もできる限り参加すればいいですよ!」
彼女はふるふると首を振った。
「それは、無理だよ」
「そうですか?そりゃ確かに明日明後日じゃ無理かもしれないけど、都合なんていくらでもつけられる」
「だってっ、だって、君は、もう目を覚ますことはないんだよ?」
「君と一緒に戻る手を考えましょう。試すだけならタダです。やるだけやってみたらいい」
ダメでもともと。
僕のようなただ純粋に失敗を恐れる人間に、これ以上に福音となる言葉があるだろうか。俄然やる気も出ようというものだ。
「どうしてもできないのなら、バイスをこっちに呼んできてくれ。3人川の字に並んで寝転がって、夢の中で漫画を描けばいい。あっちで描いてもこっちで描いてももたいして変わりはないだろう?」
「――でも、でもっ」
「でも?」
「でも、無理だよ! できっこない!」
どこに出しても恥ずかしくない断言っぷりを前に。
「それは」
僕は思い切って、最後の思いつきを口にした。
「それは、バイスが死んでいるから、ですか?」
◆
彼女はバイスに会ったことがない。僕にはそんな確信があった。
僕とバイスが決別してしまった未来から来た彼女がバイスに初めて会ったときにどうして「ようやく会えた」と言ったのか?
彼女の話を聞くかぎり、どうやらこの内的世界にたどり着くのはかなり大変だったようで、そういう意味でバイスに「ようやく会えた」というのならば、まあ理解が及ぶ。
理解が及ぶというか解釈として妥当なところだろうと思う。
しかし、僕はそのような誰にでも思いつくような結論結果で即座に納得できるような、些末なことを気にしない鷹揚な人間ではない。
むしろ、穿った見方というものを自然にするような、そんな人間なのだ。
あえて穿った、ひねくれた見方をしてみれば、「ようやく会えた」なんてセリフは、「噂には聞いていたが初めてお目にかかった人」に向けて吐くにはうってつけだ、と思われてならないのだ。
すなわち。
彼女は16歳の過去のバイスは知っているが26歳の現在のバイスは知らないということになり。
過去か、幻想の中にしか存在しない人間とは、すなわち――死者、ということになるだろう。
彼女が3人で漫画を描くことにこだわった理由も、そうであるならば納得できる。
それは、現実では決して不可能な作業となるのだから。




