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第54話 涙とタケオ

「返す?」

 僕はかすれた声で聞き返した。

「そうさ! ようやく、ここまできたんじゃないか。あと少しで新しい作品が生まれるじゃないか。バイスと君と僕の三人がようやく、ようやくここまでたどり着いたのに。僕が君たちにようやく追いついたのに。こんな僕でも君たちのお役に立てたのが本当にうれしかったのに」

 そして何より――と彼女は付け加えた。

「僕は君たちが本当に大好きになったのに。その矢先なのに、これは、これじゃあ」

 すでに涙は幾筋も彼女の頬をつたって流れ、肩を震わしたまま、彼女は顔を覆ってしまった。

「あんまりじゃないかあっ!」

 確かに、僕はひどいことをしたのだろうな、と思った。

 彼女を傷つけてしまった。

 おそらく、彼女を支えていた何かを崩すような真似まねをしてしまったのだ。

 心からの謝罪を表したいと僕は思うのだが、それにはあまりにも僕は知らないことが多すぎるのだ。

 ここで彼女に頭を下げて、バイスが扉を開けて飛び込んできて。

 僕らに遅延ちえんとがめられながらバイスが憮然ぶぜんとした表情で僕らの作業を手伝って。

 準備万端整ったところで夜を徹して一つの作品を3人で作り上げて。

 どうでもいい、明日には忘れてしまうようなことをつぶやきながら作業に没頭して。

 朝日ののぼるころに作業を終わらせて作品を持って飛び出すバイスを見送って。

 それから僕らはそれぞれ満足を胸に家路について。

 そうすることだってできたのだ。

 いや、ひょっとすると今からだって、遅すぎるということはない。

 まだ間に合う、十二分に。

 もう一度彼女が笑顔に戻るためには、それだけのことをすればいいだけなのだ。

 たったそれだけのこと。

 うやむやにすること。

 目をつむること。

 それは彼女よりも僕が大いに望む、バイスと漫画が描けるあの幸せな瞬間を取り戻すために、僕がやるべき実に簡単なこと。

 でも、それを放棄してまで僕は何を望むのだろう?

 彼女の希望を、願望を、人質ひとじちに取るようなことまでして、自分が至福を感じられる瞬間を放棄してまで、僕は何を求めているのだろうか?

 僕は自らの心中に吹き荒れるその叫びにならない叫びをすべて聞き終えてから、ゆっくりと彼女に告げた。

「何が起きているのかを教えてください。――僕は、それが知りたいのです」

 僕は自らの声色こわいろに揺るがない意志の固さを、できる限り込めた。

 それを感じ取ってくれたのだろうか、彼女はゆっくりと顔を上げた。

 僕の勝手な想像に反して彼女は困ったように少し笑っていた。

 そして、涙のあとも残り、悲しくひとみはうるんでいたものの彼女は、

「わかったよ」

としっかりとした声で告げる。

「僕の知る限りすべてを伝えると約束するよ、僕」

「それでは、とりあえず、お名前をお聞きしていいですか?」

「僕は――」

 そう言って、彼女は深々と僕にお辞儀をして見せた。

「僕の名前は武生たけお武生要たけおかなめ、と申します」

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