*第五話 だって、魔王様ですから。
そうしてクロウは城下町を訪れた。
城を強奪する前に街の上空からおおよその規模を想像していたが、予想よりも街は賑やかだった。
(前王があまりに愚鈍ゆえ、もう少し寂れたことも予想していたが……街の人間に根性があったといったところか?)
こうも栄えているなら、税収も帳簿に記載されているより豊かであるはずである。
(……脱税か? いや、城を見る限りやたら装飾品を買いあさっていたらしい前王が自分の収入が減るようなことを見過ごすとは思えない。正しく納税されていてもあの愚鈍が自らの懐にしまい込んでいた可能性もあるか)
帳簿は五年ほど前までは執事のスティーブンスが前王から命じられて記載していたという。しかし五年前、前王は今度は急に自ら管理すると宣言したため、それ以降は分からないという。
(まあ、愚鈍の仕業であるなら再び困ることは起こるまい。だが、万が一にも虚偽申告であるなら、取り締まりが必要か)
いずれにしても、それらを調べるのは城に帰った後の話だ。
今は目の前の屋台街がにぎわっていることを素直に喜び、せっかくの時間を楽しまなければいけない。
(しかし、屋台というものも工夫がされているな。簡素な店舗だが、店それぞれの特性が一目でわかる)
飲食物を売っている店舗であれば、香しい香りまで漂ってくる。
肉や魚を焼いたり揚げたりしたものは、城で見ている料理よりも非常にシンプルなものである。ただし、どれもこれも立ち上る湯気と調理する音が食欲をそそる。
(何から食べるとするか)
そう考えたクロウは辺りを見回し、やがて色とりどりの菓子を揃える店にある商品に興味惹かれた。
あれはいったい何なのかとみていると、気さくそうな女店主がクロウに向かって話しかけてきた。
「やぁ、お兄さん。おひとつどうだい?」
「これは何だ」
クロウが見ているのは果実の類いである。
しかし、それは通常の果実ではありえない程艶やかであった。
何かの魔法を使っているのかと思いはするが、果実から魔力は感じない。至って普通の食べ物のようである。
「果実飴だよ、果実飴」
「果実飴……?」
「おや、珍しい。知らないのかい? 果実を砂糖でコーティングしているんだよ」
「ほう。美味いのか?」
「私が売ってるんだ、美味しいに決まってるだろ!」
豪快に笑う店主からは後ろめたさを感じない。
それは店主が本当に自信をもっているからだろうとクロウは判断した。
「ひとつ、もらおう」
「まいどあり。これ、お釣りね」
そしてクロウはまず果実飴を舐めた。
砂糖と聞いていたとおり、甘い。疲れが癒されるような甘さだ。
次に硬度を予測し、強めに噛んだ。
カリッという音がして、割れたコーティングの破片と共に果実の一部が口の中に転がり込む。
少し酸味のある果物と、贅沢なまでの甘さの砂糖がよく合っている。
「これは……素晴らしい食べ物だな」
「気に入ってくれたかい?」
「ああ。これを、十個ほどもらえるか」
「え、そんなにかい!? 砂糖を使っているんだ、少し値は張るよ」
「ああ、土産にする」
「そういうことか。ありがとね」
-
これでルーシーへの土産物も片付いたとクロウは一息ついた。
これほどの食べ物であれば、きっとルーシーも喜ぶことだろう。ほかの使用人たちと好きに分けられるよう、多めに持って帰ればいい。
その後クロウは紙袋に入れられた果実飴を受け取った後、路地の少し奥まったほうへと歩みを向けた。
この果実飴は美味いが、人通りが多い場所で歩きながら食べると人にぶつけてしまう恐れがある。
(ならば、少し人通りが少ないところで食べればよい)
ただ、一応は視察できているのだ。止まって食べることはせず、あたりを見る。
(先ほどとは違い、少々すさんだ場所のようだな)
歩き続けるにつれ、吹き溜まりのような独特の淀んだ気配がする。
そんなことを思っていると、クロウの進行方向で地べたに座っていた三人の男がゆらりと立ち上がった。
クロウは片眉をあげるが、男たちはずいぶん上機嫌な様子だった。
「オイ兄さん。この辺りで見かけない顔だが、通行料は払ったのか?」
「通行料だと?」
「こんな場所に飴をなめながら来る男だ。さぞ金が有り余ってるお坊ちゃんじゃねぇのかァ?」
どうやら、いわゆる恐喝というものに遭っているらしいとクロウは理解した。
気分よく飴を楽しんでいる中で、ずいぶん無粋なものだと思わずにはいられない。
(それにしても、珍しいことだな)
実はクロウは約千年の間、魔界で恐喝というものに遭ったことがない。それはおそらく返り討ちを恐れてのことだった。
そのため珍しい体験に『少し観察でもするか』という具合にのんびり構えていると、男たちはますます下品な笑みを深くした。
「痛い目を見たくねぇだろ?」
「さっさと金貨を出せば許してやるさ。なぁ?」
「俺らの言うことを聞けば許してやるけど、どうしたい?」
しかしせっかく待ったというのに、そのようなセリフにクロウはがっかりした。
まるで三流の芝居にしか出てこなさそうなセリフである。
もう少し楽しめるのであれば……とは思ったが、これでは待ったところで無駄だろう。これならさっさと片付け、再び屋台巡りをするほうが良い。
「……卑しい者はどこにでも沸くものだな」
「あ?」
「よかろう、相手になってやろう」
「は? 俺ら相手にやろうっての――ぐはっ!?」
クロウは言葉の途中だった男を一瞬で近くの壁へと叩きつけた。
(微弱な魔法のつもりが……力加減を間違えたか?)
驚かせる程度の威力を想像していたが、男たち相手には強すぎたらしい。
仲間が飛ばされた男たちは慌てて飛ばされた男に駆け寄った。
そして負傷具合を確認し合ったのち「お、覚えてろ……!!」と吐き捨てて三人で駆け出した。ひとまず、逃げれる程度にはクロウも攻撃を加減することには成功していたらしい。
(気配を絶って離れるのではなく、『覚えてろ』と喚きながら立ち去るとは斬新だな。まるで追いかけてくれと言っているようではないか)
クロウとしては城下であのような者たちを野放しにしておくわけにもいかない。自分の庭が荒らされて、ゆっくり休むことなどできはしない。
だからクロウは楽に走れるペースを保ち、果実飴を食べながら三人の男たちの背を追った。
本来なら一気に距離を詰められるが、いまはあえてそうしない。
男たちが逃げる先には、その仲間たちが控えている可能性があるのだ。
ならばそこを抑えて一網打尽にできれば言うことがない。
そして走り続けて果実飴が串だけになった頃、男たちはアジトだと思われる一軒の民家の入口へと向かった。外壁を見ただけでも、そこが古いものだということは見て取れる。
あたりの様子は、先ほどの場所のよどんだ空気をさらに濃縮したような雰囲気だった。
「すげえひでぇめに遭った」
「なんだったんだ、あれは」
「知るか。だが、ここまで戻ってきたらもう関係ないだろう。おい、戻ったぞ。とりあえず酒か水を寄越せ」
男たちはアジトに入りながら口々にそう言った。
それを聞いていたクロウは男たちと一緒になって門をくぐりながら、素直な疑問を口にした。
「あの程度で、か?」
「うお!?」
男たちはのけぞって驚いた。
クロウの存在にはまったく気づいていなかったらしい。
男たちは混乱しながらもすぐにクロウに殴り掛かろうとしたが、適当な攻撃がクロウに当たるわけもない。
クロウは逆に一番近くにいた男の首筋に手刀で一撃を加えた。
男はあっという間に昏倒した。
「まずは一人。しかし……自らが売った喧嘩の結果を嘆くなど、貴様等は全く以て情けない」
そう言いながらクロウはほかの男たちを見回した。
ここに居るのは、いま気を失った男を含めて五人である。
先ほどクロウに蹴飛ばされた者たちは血の気が失せている。ここにいた男たちは状況が理解しきれていない様子だったが、クロウが男たちにとって都合が悪い存在であることは把握したようだった。
「貴様らは共犯だろう。まとめて先ほどの続きといこうではないか」
そうしてクロウは一歩前に出た。
男たちが後ずさるが、二歩目を下がるよりも早く、クロウはすべての男を跪かせた。男たちから痛みに呻く声が上がったが、今度は先ほどよりも何倍も気を使い、大したことがない攻撃に留めた。
そしてそれらは一瞬での出来事であった。
クロウは一番近くで震えている男に近づき、見下ろした。
そして果実飴の串を、男の顔のすぐ隣へ投げた。
串は男の頬に一本の赤い線を作り、そのまま床に刺さる。それはもはや串ではなく、鋭い刃のようになっていた。
「さて、『言うことを聞けば許してやる』だったか? どうしたい?」
「あ、あ……お、ゆ、ゆるしを」
「ならば、今後貴様らにはこの近辺で起こる諍い、違法な行為について解決することを命じる」
「え……?」
「どうしても不可能だと思うときは衛兵に伝えよ。見逃すことは許さん」
そう命じたクロウを、男たちは間抜けな面で見上げていた。
「あ、あの……貴方様は……?」
「尋ねるときは自ら名乗るのが道理ではないか? まぁよい、我はこの街の城主である」
クロウの言葉に男たちは固まった。
「貴様ら、命に背くな。我に啖呵を切った罪は重いぞ」
「は、はい……!」
「まぁ、ただ働きをせよとは言わん。僅かでも報酬は用意する」
「え!? ありがとうございます……!!」
男たちは床に這いつくばるかのような礼をクロウに向かって続けている。
それを見たクロウは、内心肩を竦めていた。
(……多少手間ではあったが、今後のこの辺りの面倒事を押し付けることができるのであれば悪くはないか)
使用人たちとは違い、クロウはこの者たちに遠慮する必要がない。なので、クロウの態度が気に入らないといって国から出て行ていこうとしても止めはしない。
(しかしもしも我の命を聞くというのであれば、余りに酷使して不満をためられても面倒だ)
今はクロウの力に怯えているが、今後この記憶が薄れたときに迷惑事を起こされてはたまったものではない。
そう、たとえば暴君を倒せと煽動されるようなことがあっては困る。クロウが倒されるとは思わないが、使用人に害が及ぶおそれがあるのだ。
(ならば適度な報酬を渡して仕事にしておいたほうがいいだろう。あくまで『適度』だがな)
本当は国の外に逃げてくれることが一番助かるのだがーーそうクロウは思ったとき、ふと扉の奥に小さな気配があることに気が付いた。
(奥の部屋か? 何者がいる?)
大きくないが妙な気配を感じたクロウはそちらに足を向けた。
そして断りもなくドアを開くと、そこには一人の女児がいた。
(……小さいのは分かるが、人間だと何歳に該当するのかわからん)
だが、ひとまず子供だということは確実だ。
身なりはよい。ここの男たちのうち誰かの子供ということはないだろう。
クロウは無言で男たちのほうを振り返った。
「さ、攫ってなどおりません……! ただ、家出した娘だと聞いています……!」
「本当か?」
「本当でございます!! まだ本当に拾っただけでございます!!」
クロウが言いたいことをあらかじめ察したらしい男は全力で言い切った。
「『まだ』というのは?」
「そ、その娘は教会預かりの者である可能性がありましたので、連れて行って謝礼を主張しようかと少し考えていただけでございます……!!」
「教会だと……?」
なるほど、妙な気配だと感じたがそれなら確かにあり得るかとクロウは思った。
魔界と対なる存在である神界を信仰する組織は、ほんの僅かながらその力を扱える者もいるという。ただし行使するのが人間であれば、とても魔王の相手などとても務まらないのだが。
(だが、教会か)
別に自分とは対照的な存在を信仰していても気に入らないというわけではない。
ただしその教会を嫌がって逃走しているのに、そこに戻そうとするのは意味がないような気がする。
(この身なりから察するに、孤児として身を寄せているわけでもあるまい。この年齢で教会が手元に置きたいとしているのであれば……何らかの能力を持っているのか?)
ただし気に入らず逃走したというのであれば、無理に戻したところで再び逃げることだろう。それでは戻しても意味はない。
だからといってここに置いていくわけにもいかず、どうしたものかとクロウが考えていると、女児は大量の涙を流し始めた。
「おじさんたち、ご飯たべさせてくれるって言ってたのに……嘘だったの……?」
そして、巨大な腹の虫を響かせた。
(……なるほど。食事に釣られて見るからに怪しい男たちについてきたというわけか)
しかしこのような者たちを疑いもしないなど、ずいぶんな箱入り娘として育てられたようである。ただ、それでいて逃走するだけのアグレッシブさがあるのは好ましい。魔界向きの性格である。むしろ教会が合わなくて飛び出してきたというのであれば、それも納得ができるというものだ。
「とりあえず、私が連れて行く。いいな」
「は、はい!」
置いておけないと決めたのならば、ここで対処を考える必要はない。
歩きながら考えでもするかとクロウが思っていると、女児がクロウの顔を見上げる。
「あの、お兄ちゃん、ご飯くれるの……?」
もはや女児の心配事は食事しかないらしい。
だが、そのセリフはクロウにとって悪いものではない。
男たちが『おじさん』に対し、クロウは『お兄ちゃん』なのだ。
別に年齢を気にしたことはないが、その違いは存外気分を良くさせた。
「まあ、飯くらいは構わん。欲しいもを買ってやる」
どうせ自分も買い食いの続きを行うつもりであるうえ、女児の分の支払いが増えても誤差の範囲にしかならない。
それに、先ほど気になった女児の妙な気配のこともある。教会が囲いこもうとしている者とは、一体どういう者なのか興味がある。
そのため幾分か女児の希望も叶えてやった方が自分の質問にも答えるだろうし都合がいいとクロウは思う。
しかし、それに対して女児は満面の笑みを浮かべた。
「やった! ありがと、優しいお兄ちゃん!」
そのあまりにあっさり他者を信用する様子に、クロウは他人事ながら心配になってしまった。