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*第四話 魔王様のお忍び計画


 人間界へ来てから、約二十日。


 クロウは比較的穏やかな日々を過ごしていた。

 日中突然襲撃を受けることもなければ、寝ていても突然襲われるようなことはない。

 それでもまだまだ日中は仕事が山積みで惰眠とはほど遠い。


 それは前城主があまりにも大馬鹿者であったことが原因だ。

 クロウはまだ昼寝を達成していなかった。


(食料を無駄にするだけではなく、貨幣価値も理解できていないような無能であったとはな……)


 クロウは先日料理長のジェフと面談を行い、今後の募集に関する話し合いを持った。

 採用条件についてはジェフからこの地での標準を提示されたのだが、クロウはその案を却下した。


(なぜ城に勤めておきながら下町の平均的な給金しか支払われていないのか)


 クロウが楽をし、なおかつ素晴らしい生活を送るためにはより優秀な人材がほしい。

 ならば、それに見合う給金が必要だ。

 しかしそう命じたところで、クロウはこの城の使用人たちが低い給料で働かされていることを知った。

 クロウは即座に人間界の物価を学び、使用人たちの給金を改訂した。


(人間どもは一度も我に不満を漏らさなかったが……腹の中では何を考えていただろうか)


 魔界であれば暗殺のために息を潜める期間といったところだっただろう。

 そう易々と人間に殺されはしないと思うものの、もしもストライキをされていたらと思えば恐ろしいと思わずにはいられなかった。

 

 ただし、結果的にはそれが悪いことばかりではなかった。

 まず一つ目は、より適正な物価を調べるにあたりクロウは流通についても調べたのだが……なんと地方領主だと思っていたここの前城主が、実は国王だったと言うことを知った。

 この国は、四十年ほど前まで存在した国の有力貴族の領地であった。

 しかしほかの有力貴族と共闘し、当時の国へ反乱を行った。のちに六貴族革命と呼ばれるこの反乱後、諸々の権力争いを経て有力貴族たちは国を六分割してそれぞれの国とした。


(それで妥協したということは、人間にとってはこの土地でも狭く思わなかったということだな)


 しかし、国であろうが地方であろうが、クロウの望みに変わりはない。

 しいていうなら、地方であるなら頂点である国王といずれ交渉せねばと思っていたが、それがなくなったという事実はありがたい。

 そして二つ目の良かったことは、調査中に『買い食い』という文化を知ったことである。。


「この『買い食い』というものも、我の日常を素晴らしいものにするに違いないな」


 この城でクロウの前に出される食事は素晴らしい。丁寧で繊細で、言うことなどなにもない。

 しかしながら、店の前で自らが立ち、選び、食らうということも魅力的だ。

 しかも買い食いができる出店には、大胆な料理も多いという。


「……城下の視察も必要だな」


 狭い領地とはいえ、クロウは城主だ。国王だ。

 城下の状況を知らずして統治ができるわけがない、と正当な理由を心の中で堂々と主張する。

 たとえ自らが隠居状態で気ままな生活を送るとしても、状況を知り、適切な人材に政治を委任せねばならない。そのついでに、買い食いを経験するのも悪くないはずだ。

 そんなクロウの呟きに控えていたルーシーが反応した。


「視察でございますか。では、さっそく支度させていただきます。共の者も用意させましょう」

「共はいらぬ。支度もさほど必要ない」

「護衛は……」

「仮に我が襲われたとして、我を傷つけられる人間はそうおるまい」


 クロウは堂々と落ち着き払った様子でそう言ったが、これで納得させられるだろうかと内心ひやりとしていた。

 買い食いという行為は、人間の中であまり位の高い者はしないものらしい。

 人間の風習に馴染むべきだとは思わないが、人間が配下にいる以上、無駄に疑義を持たれることは避けたほうが楽だ。

 つまるところ、供として付いてこられるのは困るのだ。

 クロウにとっては余計な監視にしかならない。

 

「しかし、クロウ様はまだ城下を御覧になったことはございません。案内役が必要では……」

「まずは何の偏見も持たず見て回りたい。故に不要だと考えている」

「ですが、クロウ様は隅々まで回るおつもりだと存じます。その場合、たとえば下町のようなところはクロウ様のような高貴な御方は慣れていらっしゃらないかと……。ならば、せめて私だけでも同行を許していただけませんか」


 そのとき、クロウは思わず反応しかかった。


(もしやこの娘、我が屋台街に用があることを察しているのか……?)


 ならばこれは親切心なのか、暗に『知っているぞ』と遠回しに説明されているというのか。

 ルーシーの表情からはどちらなのか読みとれない。

 ただ、いつもよりも顔を赤らめているような気はする。


(風邪か?)


 しかし、動きが鈍るような様子もない。

 だが様子がおかしいのであれば、ルーシーの本心はどうであれ、まずは少し休ませたほうがいいだろう。


「気にするな。一人で行ける。お前も夕刻まで好きに過ごすがよい」

「……かしこまりました」

「そう案じなくとも良い。なんなら土産物でも買ってこよう」


 仮に本当に買い食いの狙いを見破っているのであれば、土産で幾分かごまかせるだろうとクロウは考えた。

 魔界ではたとえ情報を掴んでいても確信が得られていなければ、実利を得ることで妥協することも多々あった。人間でも、多少は同じような考えを抱くだろう。


 とはいえ土産程度でどこまでごまかせるのかは不明であるが、ないよりはマシである。


(さて、金銭はいかほど持っていくか)


 そしてもはやクロウの頭の中は、初の買い食いのことでいっぱいになってしまっていた。


※※※


 クロウが執務室から出て行ったあと、部屋でルーシーは呟やいた。


「せっかくクロウ様とお出かけできる機会が作れるかと思ったのに……」


 視察をクロウから望まれたルーシーは、初めは数名でクロウを街に案内するつもりであった。しかし大人数で視察することに懸念を示したクロウに、ルーシーは『それならば』と二人での外出を申し出た。


 なにも、デートができると思ったわけではない。

 なにせ、相手はクロウである。魔王なのだ。

 これまで魅力的な人物と交際があっただろう相手なのだから、自分が相手から見て小童程度にしかならないことは心得ている。

 しかしルーシーとしてはデートどころか、一緒に外出ができるのであればそれで満足だ。思い出になる。


 そう思っていたのにーークロウから命じられたのは休養だった。


 気遣われたことをありがたく思うものの、やはり残念だという気持ちは消えない。


「でも、お土産を買ってきてくださるって仰っていただいて……お礼は何をすればいいのかしら」


 使用人としてははしたないことだと思うものの、どのような形であれクロウからの贈りものなのだ。


 そう考えれば先ほどまでの残念な気持ちは、もはや晴れやかなものへと変わっていた。

「ふふ。せっかくクロウ様がお時間をくださったのだもの。この時間にお部屋に飾るお花でもご用意させていただこうかしら」


 そう思いながら、軽い足取りで次の行動を始めたルーシーは、まさかクロウが買い食いをしようとしているなど夢にも思っていなかった。



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