*第三話 素晴らしき食事の楽しみ方
食堂へ向かったクロウは、長いテーブルの一番端に向かう。
一人で使用するには大きすぎるテーブルではあるが、支配者としての威厳にはこれが必要だと前支配者は判断していたらしい。
テーブルの品質自体は悪くないのでクロウもそのまま使っているのだが、前領主はもっと小さいテーブルを利用するべきだったのではないかと本気で思ってはいる。
それは特に、食事が運ばれてきたときに強く感じる。
「お待たせいたしました」
クロウが着席すると、給仕らは次々に食事を運び始める。
そう……次々と。
どれも色とりどりで食欲をそそる盛りつけだ
(料理は文句はない。一目見れば間違いなく美味いことはわかる)
玉ねぎとクルトンの入ったコンソメスープ、グリーンサラダ、プレーンオムレツ、焼きたての白パン。これにスモークサーモンとチーズ、それからモーニングハムが載ったプレート。
(そう、ここまでなら、なんら問題ない)
強いて言うならデザートが後から出てくるが、それも適量ならば問題ない。ヨーグルトとフルーツ、加えるならば果実水もしくは紅茶やコーヒーなどがあれば充分だ。
だが、だ。
その料理の皿はいまだ行列を途切れさせることなく運ばれ続けている。
そう……テーブルを埋め尽くすかの勢いで。
「……やはり、問題があるな」
クロウは配膳する給仕たちを見て、空気が溢れる程度の、ほんの小さな呟きを口にした。
しかしその言葉を給仕の一人は聞き逃さなかった。
「な、何か御無礼を……」
「ああ、臆するな。不快だと言いたいわけではない」
恐縮する給仕にクロウはできるだけ穏やかに聞こえるよう、声を発した。
怯えさせるつもりはなかったものの、あまりに実力差のある相手の挙動に神経質になるのも不思議ではない。
しかも人間たちは突然の魔王の襲来に遭遇したのだ。クロウ自身は人間たちに悪いことをしたとは思っていないが、ここにいる人間のことは多少運が悪いと思いはする。
だからこそ、そんな状況下で不興を買わないように縮こまってしまっていても不思議ではない。
だが、クロウとしては本当に害意はないので、それを知ってもらいたい。
強いて言うなら、そのような緊張をされた結果皿を落とすようなことがあれば、せっかくの料理が台無しだ。それだけは避けなくてはいけない。だから、不必要な緊張をさせるわけにはいかない。
「ですが、何もなかったというわけでは……」
「まぁ、そうだな。ならば料理長に、こちらに来るように伝えよ」
「は、はい」
そうして給仕は素早い動きで厨房へと向かった。
そしてしばらくして料理長がクロウのもとを訪れる。
料理長は成人したばかりだと思われる年頃の男で、屋敷にいる責任者としては一番若い。容姿はベリーショートの金髪に青い目で、頬には怪我の跡らしきものがあり、一見するだけだと喧嘩っ早いような性格を思わせる。クロウは彼の名をジェフだと記憶している。
ジェフはクロウの前に立っても竦んだ様子など一片たりとも見せなかった。
(ふむ、若いと言えども責任者。こうして対峙してもそれなりに貫録が感じられるな)
給仕は咎められる心配をしていたというのに、ジェフにはそのような空気が微塵もない。それは自分の仕事を完璧にこなしているという自負があるからだろうとクロウは考えた。素晴らしいことである。
「お呼びでしょうか」
はっきりとした声がクロウに投げかけられる。
クロウはおもむろにジェフのほうへと身体ごと顔を向けた。
「この献立は前支配者の頃から変わらないのか?」
「はい。お口に合いませんか?」
疑問で返しているというのに、クロウにはジェフの口調がどこか挑発的に聞こえた。ただ、屋敷内の人間としてはやや礼儀には欠けるようであっても、魔界を基準に考えれば実に可愛らしいと思える程度のものである。
(おそらくこれも、仕事をやり遂げている自負があるからなのだろうな)
それならば素晴らしいことだと、クロウはジェフのことを気に入った。
周囲が少しおろおろとしているようにも見えるが、気にはしない。
「味に不満はない。むしろ素晴らしいものだと思っている」
「……ありがとうございます」
「だが、我は少々贅を尽くしすぎているのではないか」
「と、申しますと」
「まずは食事の量だ。これをすべて食えば太ると思わんか?」
そう、単純に量が多すぎる。
多種多様なものが用意されているのは構わないが、あまりに量が多いのだ。
オムレツにしても、最初に置かれたもの以外に五種類ほど味を変えて出されている。一人分の食事であるはずなのに、少なくとも卵を二十個はつかっているはずだ。
ジェフはクロウの発言に意外そうな表情を浮かべた。
「すべて平らげられていらっしゃったので、むしろ足りないのではないかと懸念しておりましたが」
「手間暇かけられた料理を残すなど許されん」
しかし魔王とてすでに四桁の年齢に達している。
ある程度鍛えているとはいえ、食べ過ぎればふくよかな肉が付きかねない。
「前領主様は残してらっしゃいました。それも大半を」
「なに? これだけ用意させておいて、どういうことだ」
そんなことが許されるわけがないだろう。
そんな怒気を発するクロウに対し、ジェフは平然と答えた。
「そのときの気分で食べたいものが変わる御方でしたので。貴族としては珍しくないかと思いますが」
「……あの畜生、切り捨てればよかったか」
平和的に城を明け渡されたことから、クロウは前支配者をさほど害のない人間なのかと思っていたが、自身の逆鱗に触れる相手であったらしい。次に見かけることがあれば容赦はしないと決意を固めた。
「無駄なことはするな。我の食事は成人した人間の男程度の量でかまわん。好き嫌いもせん。我を太らせるな」
「……かしこまりました」
湧き上がった怒りを、クロウはどうにか落ち着かせながらジェフに命じる。
ジェフには変わらずクロウを恐れる様子はない。
クロウはそれをよいことに、一気に指示を出すことにした。
「ついでに、普段の食事に関しては簡略化して構わない」
「どういうことですか」
「下ごしらえに相当な時間をかけているだろう。料理一つ一つに繊細な気配りが見える。だが、人員や限られた時間を考えるに調理場には余裕がない。もう少し手を抜いても構わぬ」
「ですが」
「晩餐会などを行うのであれば、その手腕をもって最上級の食材を扱うことを命じる。むろん、その時のために能力を保つため、最高の食材を使い平時の食事で鍛錬するというのであれば否定はせん。だが、我は素朴な料理も嫌いではない」
むしろ人間の素朴は、魔界にとっての丁寧すぎる調理に匹敵することだろう。それなら不満など抱くわけもない。ただし、そのような会を開く予定など現状ないのだが。
ジェフはそんなことを考えるクロウを少し間の抜けな表情で見ていた。
「本当によろしいのですか」
「構わん」
「では、しかと承りました」
その言葉遣いでジェフの態度が少し変化したことにクロウは少し疑問を抱いたが、命に従うと言っている相手に理由を尋ねるのも憚られた。
急に恭しくなった理由を述べよと言ったせいで、もしも相手が不快になり『せっかく従ってやろうと思ったのに、やめた』などとと思うようなことをしては台無しである。
「ああ、それから我の食事は減らせと言ったが、お前たち使用人の食事は増やせ。費用は特に制限しない。必要だと思う量を用意せよ」
「私に……お任せくださるとのことですか」
「構わん。好きにせよ」
使用人の食事は、実に簡素だ。
しかし簡素過ぎるのでは体力を衰えさえ、病に罹る恐れもある。
人間は強い存在ではない。
仮に使用人の一人が病に罹ったとしても、周囲に感染したとすればクロウの安息は遠くなる。病を完全に防ぐことは困難だとしても、普段から健康な体作りを行うことはできるはずだ。
「最後に、調理場の人員が不足しているようであれば追加で雇用して構わない。その権限をお前に与える」
「よろしいのですか」
「存分に励め。屋敷内の使用人には労働の調整を命じている。お前も調理場の長として、自身と部下の休日を確保するように努めよ。……あとは個人的な話になるが、お前は住み込みではなく、街の借家に住んでいるそうだな。今の勤務であれば通勤に支障があるのではないか」
それならいっそ敷地内にある寮を利用した方がいいのではないか。
その思いからクロウが尋ねると、ジェフは初めて言葉を濁した。
「実は……幼い妹がおります。預ける先もなく……」
「そうか。ならば仕方あるまい。住宅補助の手当も上乗せしよう」
「え」
「あとは、常にお前は最初に出勤し、最後に退勤している。お前の料理は我の舌を満足させられるが、ほかの料理人の料理を気に入っていない訳ではない。お前に倒れられたら損害だ。人に任せられることは任せるよう、留意せよ」
悠々自適な生活に美味い料理は外せない。
クロウがそれを得るため、クロウはジェフを含め料理人たちには最大限努力させる必要がある。
(だが、ここまで受け入れたのであればもう問題あるまい)
そして下がれ、とクロウが言おうとしたとき、ジェフが恭しく頭を垂れた。
「ありがたき幸せ」
(ありがたき?)
その言葉にクロウは違和感を覚えた。
今の会話はほぼクロウが要望という命令を伝えたのみである。
強いて言うなら、裁量権を与えた人員の追加に関しては喜ばれることかもしれないが、ジェフの表情からはさほど喜んでいるようにも感じられなかった。
(……顔に出にくいだけなのか? いや、おそらくそうに違いないな)
多少の気難しさや気の強さがある相手かと思っていたが、存外話の通じる相手らしい。
これならば、隠密で観察する前から話していてもよかったなとクロウは思った。
こののち、調理場に神が現れたと給仕が噂したことは、残念ながらクロウの耳に入ることはなかった。
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次回、3話の裏側でジェフさん視点です。