*第二話 素晴らしきかな、計画表
小鳥の声が軽やかに響く爽やかな朝。
地底を這うかのような低く不気味な笑い声が屋敷の一室に響いた。
その声の主は新たにこの城の主人となったクロウだ。
「ハハハ、ついに……ついに完成したぞ!」
そう呟いたクロウは手にしていたペンを机に置いた。
そして、今しがた書き終えたばかりの紙を見る。
そこには日時、人名、刻などがきっちりと書かれている。文字は力強くおどろおどろしい、魔王らしい書きっぷりである。呪いなどを書いても、実に強く効力を発揮しそうである。
「これで……我が野望の達成にまた一歩近づいたな。待っていろ、『昼寝』め」
人間たちに自分の身の回りの世話をさせ、悠々自適の生活を送るためにやってきた人間界。
これはその目的達成のためのための大事な計画書である、『シフト表』であった。
クロウはこれを完成させるため、数日間いつもより早く起きて周囲を観察していた。
シフトを作るにも、まずは周囲の状況を把握せねばならない。勝手な変更はかえってストレスを与える。
そのためクロウは使用人たちに気づかれないよう、ほかの魔王の城に忍び込むときに用いた高位の隠密魔法を使用し、屋敷内の状況把握に努めた。
「これで人間たちに休日を示せるな。違反したのであれば、叛逆を理由に強制的に休暇を命じてやろう」
先日、クロウは体調が悪そうなメイドに無理やり休みを取らせた。すると彼女は、復帰後は予想通り以前にも増してきびきびとした働きを見せていた。
それを見たクロウは『やはり休暇は大事だな』と思わずにはいられなかった。
「無計画に休まれても困るが、ここにいる人間たちほど常に働き続けられても困る。疲労から不満が溢れ、我に向かってきたら休むどころの話ではなくなるではないか」
シフト表を作るにあたり、クロウは屋敷にいる使用人の名前をしっかり覚えた。もともと一度名前を顔を照合すれば以降間違えない自信がある。
そしてこれは魔界で身につけた能力だ。先天的なものではなく努力で身につけたものだが、これがなければ魔界でクロウは魔王になることはできなかっただろう。
なにせ魔界では間者が割と頻繁に潜り込んでくるのだ。変装や擬態もされているので、違和感に気づき、本当に自分の部下か否かを見極める必要がある。
これは自身のみならず、生き残っている魔王たちはだいたい顔と名前を覚えるのは得意だーーと、クロウは思っている。
(しかし人間たちがここまで休むことが下手だとはな)
勤勉かつ従順あることは歓迎すべきことだが、普段物静かな相手が秘めている強さというのが恐ろしい。爆発させないことが大事だと、クロウは魔王時代の経験から知っている。もちろん人間たちはクロウに比べ弱い存在であるが、小さなハチがヒトを殺めることがあるように、必ずしも有利な存在が絶対だとは限らないのだ。
(もっとも、いまのところ不気味なほど反抗はないがな)
むしろ敬意すら感じられると誤解してしまいそうになる。
しかしクロウはあくまで支配しにきた者であり、本来好意的に思われる存在ではないと認識している。
(今のところ我は好意を抱かれるようなことはしていない。殺伐とした世界から足を洗ったせいでそう誤解してるのか? しかし環境が変わった程度で自惚れるのであれば、我が昼寝は遠ざかる。下手をすれば、油断を誘われているだけかもせんぞ)
ならば慢心せず野望に向かって邁進せねばと、クロウは改めて気合いを入れた。
なにせシフト表を一つ作ったところで、まだまだ課題は山積みなのだから。
さきほど使用人たちのシフト表を完成させはしたが、実はそれはすべての使用人の分が仕上がったわけではない。対象は主に掃除や洗濯といった仕事を担っている一般的な使用人や、警備に当たる者たちの分だけだ。それらの者の勤務形態や仕事はクロウにもすぐに理解できたので、割り振りの見直しを行えば作り上げられるものなのだ。
しかし専門的な技術を持つ者ーーたとえば料理人たちについては、どう扱えばいいのか判断しかねている。
料理をしないクロウとっては、何が料理人のためになるのか、いまいちわからない。
(しかも人間の作る料理はやたら繊細だ。特別な技術を擁している)
人間たちが作る料理に比べれば魔界の料理など『生か炭かを食べるようなもの』としか言えない。これはクロウにとってうれしい誤算だった。しかしそんな状態であることから、例えクロウが魔界で調理の経験をしていても、判断できることなどなにもなかっただろう。
しかし、だからといって放置するわけにはいかない。なにせ、技術者を失うのは多大な損失なのだ。
(まずは料理長から話を聞くべきだな。しかし料理長は見た限り口数が非常に少ない。調理場の人員も不足しているようだが、もしも料理長が人嫌いであるのなら、不用意に増やすことは反感を招く)
かといって負担がかかりすぎているのは目に見えているので、放置しておくわけにはいかない。
人を増やしたくないのであれば、ほかの手段で軽減することも考えなければならない。
その方法は……クロウにも、いくつか心当たりがある。
(料理に関しては調理場の問題以外にも、もうひとつ重大な問題も起きているな)
そちらも併せて料理長と話をするかとクロウが考えた時、部屋をノックする音が聞こえた。
「おはようございます、クロウ様。朝食の用意が整いました」
「わかった。すぐに行こう」
ちょうどいい、朝食の後にこの話をしよう。
そう思いながらクロウが廊下に出ると、そこではメイドが静かに待っていた。
(……やはり今日もルーシーか)
声を聞いたときから判断はしていたが、姿を見れば改めてそう思ってしまう。
彼女は先日クロウが屋敷の中で一番初めに休暇を与えたメイドだ。
以前はクロウに付くメイドは日替わりであったはずだが、ここ最近は……ルーシーが休暇から復帰した後は、彼女が毎日クロウ付きとなっている。
今後もおそらく彼女が自分につくのだろうと予想し、そのことを前提としてシフト表を作ったのだが……念のために確認しなければならないことはある。
「ルーシー。一つ聞く」
「く、クロウ様。私のような者の名前を覚えてくださっているのですか」
「当たり前だ、何を言っている。それより今、困っていることはないか?」
もしもクロウに付くというのが、彼女の本位ではないのであれば……たとえば人間関係に問題があり居場所がなくて仕方が無くクロウ付きという仕事を引き受けているのであれば、元の場所の環境改善を図る必要もある。
クロウが隠密で見ていた限り『いじめ』というような行動は屋敷内には見られなかったが、ルーシーがクロウの付き人をしているせいで他者との業務上の関わりはほとんど見れていない。
(魔界であれば基本的に殴り合って勝つことこそ正義であったが……そこにも例外はある。非戦闘員である回復術師を酷使し国力を削ぐ者には、堂々と我が制裁していたからな)
ならば、人間界の非戦闘員の揉め事も必要に応じて自身が立ち入ることもあるとクロウは考えている。
しかし、クロウの問いにルーシーはなぜか目を輝かせ始めた。
「困りごとなど、何一つございません。強いて言うのであれば、クロウ様に心穏やかに過ごしていただけるようお仕えさせていただいておりますが、不足があるのでは、ご不便を感じられることがあるのではと少々不安はございます。ですが、お仕えさせていただくこと自体は至極の喜びです。誤解いただくことがございませんよう、心よりお願い申し上げます」
「……そうか」
「然様にございます」
「…………そうか」
ルーシーの様子に嘘偽りは感じられない。
しかし、だからこそ何を考えているのか理解できない。
屋敷の者たちのことでもそうだが、このルーシーに関してはもはや何を言っているのか理解できる気がしなかった。
(気にするのはやめるか)
一体何を考えているのか図りかねながらも、ひとまず害はないだろう。
仮になにかが起こっても、この様子なら命が狙われるようなことはないはずだ。
ならばまずは昼寝への道を近づけるため、クロウは食堂へ進み始めた。