*第十八話 本物の魔王様とは
近づいてくる足音から、クロウは相手が二足歩行が出来る者だと理解した。そしてその足音はそれなりに早い。
(……こちら側か)
クロウは手でライトに制止するように伝えた。そして中から『魔王』が出てきた瞬間足を出した。
直後、そこに軽い衝撃が走る。
「うっ、うわああああああっ!?」
それは野太い声だった。
その後、倒れて土埃が舞う。すでにローズはリリーを連れ退避していたので、被害者はいなかった。
ただ、大の字でうつ伏せに倒れた男がいるだけだ。背中には漆黒の翼があり、転んだ折りに抜けたらしい羽が数枚舞っている。
「……これが『魔王』だとはな」
クロウは額に手を当てて長い溜息をついた。間抜けにもほどがある。
(人間はおそらくこの周囲の空気にのまれて怯えていたのだろうが……これは酷い)
クロウは人をあまり連れずにやってきて正解だと思ってしまった。
元魔界の王としても、これを人間界の者たちに見せ、魔界をしょうもないものだと思われるのは嫌である。
もっとも怯えた人間に対して余裕ぶったふうに出てくれば、村人程度ならだませるかもしれないが。
「しかもよりによって、魔界の住人ではなく……堕天使か」
そのクロウの声に倒れた男からはカエルが潰れたような声を出した。
(我の魔力に当たったせいで動けないようだな)
ここに到着するまで気付かないほどの者であっても、多少なりとも魔力がある。
よく知る者の力ならともかく、余りに強い知らない魔力を察知できれば反射的に身体が竦むのだろう。
「勇者よ。これをこの縄で縛っておけ」
「は、はい」
あまりの登場に呆気にとられていたライトもクロウの声で弾かれたように動き出した。
一応ただの縄ではなく耐魔用のものだが、この様子だと本当にただの縄でも大丈夫だったのではないかと思う。
「これが……魔王ですか」
「お前が『魔王』と呼んでいた者だろうな」
「……私は、このような者に怯えていたのですか……?」
ライトが愕然とするのも無理はないだろう。
「失礼ながら……私からすればクロウ様の方がよほどお強く感じられます」
それは実際に元魔王なのだから当然である。
「勇者よ。我が片づけてもよいが、どうしたい?」
「いえ。ここまでご助力いただいているのに、私が何もしないままでは失礼に当たります。ここは、お任せください」
クロウの問いにライトはしっかりと答えた。その答えはクロウにとって満足いくものだった。
(楽ではなく筋を通すことを取るか。安心できる人材だな)
クロウのほうが強いと判断し、なおかつ相手がろくでもないと理解していても得体のしれない相手に油断しているわけではない。
そのような状況下でその判断を下したライトには将来性が見られただけでもここまで来た価値があると、一人満足に頷いた。
「おい。貴様が私たちを支配せんとしていた魔王か」
「ヒッ!!」
それは、それまで少々気弱に見える態度であった様子とは違っていた。
クロウから見てもしっかりと強い意志を持つ、一端の勇者に見える。
その様子を見たローズがクロウの背に近づきこっそりと伝える。
「あの勇者、見込みがありますね。きっと、無意識のうちにクロウ様の強さに反応していたのでしょうね」
「そうかもしれんな」
あの堕天使とライトであれば、ライトが負ける要素はない。
「あの者はおそらく、もし我の協力を得られずともこちらへ向かっていただろうな」
ただ相手が見えないからこそ、念入りに準備しようとしていただけだ。
ただ、なんにしても魔王が来たということは堕天使にとって想定外にもほどがあっただろうが。
そしてクロウ達が見ている前でライトは再度口を開く。
「黙らず答えよ!!」
「ま、ま、ま、魔王様の御名をお借りして楽をしようとしただけでございます」
完全に怯えた堕天使に、ライトは眉を寄せた。
本当に魔王を名乗っていた者なのかと疑問が湧いているのかもしれない。
それでも必要なことははっきりと言った。
「……まずはこの森を元に戻せ」
「は、はい。いますぐに……!!」
すると、あっという間に青空が広がった。
その様子にライトも一瞬気が逸れ掛けたようだが、怯える堕天使にはそれに気付くチャンスもなかった。
「なぜ、このようなことをした」
「わ、私はつまみ食いの責任を問われ、天界を追われました……。だ、堕天とともにまずは魔界に……向かいましたが……私の力では、生き抜くことが……気が大きくなり……」
「それで人間を食い物にしようと?」
「ちょ、ちょっと調子に乗ろうとしただけなのです!! 私は昔から底辺だと自覚しておりましたから、つい、あがめられる立場となると……」
「ふざけるな!!」
調子の良い堕天使の言葉にライトが怒るのも無理はない……と思った。
だが次の言葉はクロウの想定外のものだった。
「何もせずに崇められる者がいると思っているのか!? 人々はクロウ陛下のような方でなければ崇めるようなことはしない!」
「は……?」
「それを……私の妹にまで恐怖を抱かせたこと、どう詫びるつもりですか!?」
(いや、順番逆だろう)
確かに本当に妹が浚われたわけではないため順番が入れ替わったからかもしれないが、そこまで尊重されているのも頬が引きつる。
しかし堕天使はその勢いでさらに短い悲鳴を上げた。
「も、申し訳ございません……! ま、まさか本物の魔王様がこちらにいらっしゃるなど思わず……わ、私の浅はかさは今、強く認識しております!!」
その言葉に今度はライトの方が止まった。
「えっ……?」
「直属の部下どころか陛下自らお越しとは……」
「ま、待て。本物の魔王というのは……。クロウ陛下……?」
狼狽えながらも堕天使の言葉から、想定はしたらしいライトはクロウを見た。
しかし嘘など何も言っていないクロウは堂々としていた。
「聞きたいことがあるならいくらでも説明してやろう。まぁ、我はすでに魔王の地位は放棄している。だからこそ、魔界で何が起きようとも反応する気はない。だが、この世界で我の安住を阻害するならば、容赦する気はない」
もっとも現在の事象は自らの領内で起きたことではないのだが。
「この勇者にお前の対処は任せると言っている」
「勇者よ。お前が『魔王』を倒した証明は、この青空で証明できるだろう。この者の処罰は如何様にするつもりだ?」
「……あまり、考えておりませんでした」
まだクロウに対する戸惑いはあるものの、それを考えるのは後にしたのだろう。
ライトはクロウを見ながら、困ったように言葉を続けた。
「正直、この状態の男を切るのは弱いものいじめをするような気がして……」
元々の人の良さのせいだろうとクロウは感じた。敵対するならまだしも、完全に戦意のない相手を斬り伏せることは難しいのかもしれない。
「ならば、我に案があるが」
「それはどういう……?」
「これをお前が使役してもよいのではないか」
その言葉に、ライトも堕天使も目を丸くした。




