*第十二話の後 その緑を纏いながら
クロウが自ら試作したクロウ・グリーンの出来に使用人たちは驚いた。
さらにその布を用いた用品が自分たちにも支給されると知り、さらに驚いた。
それらは予め配布を知っていたルーシーでさえも感嘆の声を上げるほどのものだった。
「ずいぶん上機嫌ね」
そのようにローズに言われたが、それも当然だ。
ルーシーは制服の一部にリボンか何か、色が取り入れられたら嬉しいと考えていた程度だ。しかし、実際にはリボンに似合うように、メイド服のデザインも変更された。服の色合いも、新しい緑が映えるように深緑色に変更されている。
これはローズからクロウへの提案だったそうだ。
いわく『クロウさまの恩名を冠するものに中途半端なことはできないではないですか!』ということらしい。
しかし上機嫌なのは使用人のみではない。
「そういうローズ様もとても楽しそうではありませんか」
ローズのほうも、今にも鼻歌を歌い出しそうなほど機嫌が良かった。
今は紅茶を飲みながら、リリーへの六着目となる衣装を作っている。
「当然よ。皆にクロウ様が慕われているのを見て、どうして喜ばずにいられましょうか」
この人は本当にクロウ様の至上主義なのだとルーシーは思う。
(でも、尊敬の気持ちなら私も負けない)
クロウのことをローズより知っているかと問われれば、間違いなく知識は少ない。
けれど、それでも慕う気持ちは強いのだ。
ルーシーにとってクロウの一番凄いと思うところは、人々に強い影響を与えるようなことをする際にほとんど特別な力を使っていないことである。
(クロウ様の魔法をもってすれば、きっとなんでもすぐにできてしまうのに……民に仕事を与え、その上で富と幸福な生活を与えようとしてくださるために、遠回りをなさっているのよね)
もちろん、はじめは人外の力で前城主を追い出した。兵の動きも止めたりした。
けれど、それは危害を加えるためではなかった。だからこそあのときの兵士も今は元気に過ごしているし、前城主も無傷で城を去っていった。
(あれは、たぶんクロウ様が人間に対する力加減をご存じでなかったからよね)
手加減するつもりが、予想以上に人間が魔力耐性を持っていなかったのだろう。それならば、納得もできる。
そして、少しだけそこに可愛らしさというか、お茶目さも感じてしまった。
もっとも、それをお茶目で済ませるのは少々ズレがあるのだが。そして、人間に仕事をさせるのはクロウが楽をしたいからだというだけなのだが。
「騎士団の制服も一新されましたけど、やはりネクタイが目を引いていますね。失礼ながら、広告塔としても効果が期待できそうです」
「ええ。でも、あれはそれだけの意味ではないわ」
「それはどういう……?」
「以前の毒の緑とは異なり安全であると、はっきり目に見える形で示す為よ」
その言葉を聞いてルーシーははっとした。
ルーシーの世代は噂の毒の緑という色を見たことがない。だから鮮やかな緑に対しては『素敵な色』『新しい色』と思う。
しかしスティーブンス世代になれば、あれは毒の色だと思う可能性もある。そしてそれが根拠のない噂となれば、面倒になる恐れもあっただろう。
「いかんせん短時間での商品化。毒性がないことは私も保証できるけれど、一般人に言っても疑問は残るでしょう。でも、騎士に着用させるくらいならすでに毒性くらいは調べられている……つまりは怪しいものだとは思わないでしょう」
「恥ずかしながら……私はそこまで思い至りませんでした」
クロウもそんなことは言っていなかった。
いや、会議の場では言っておらずともローズには言っていた可能性はあるがーーあえて言ってはいないと、ルーシーは思う。なんとなくだが、クロウが言うのであればあの場であり、後から参加者の一人だけに言うようなことはしないと思うのだ。
「ローズ様はクロウ様のことをよくお分かりなのですね」
まだ初めて出会ってから半年も経過しないようなルーシーとローズが同等にその考えを推し量ろうとするのは難しいことかもしれない。
けれどクロウを尊敬しているという気持ちだけであれば、ルーシーも負けない気持ちはある。だからこそ……。
「私も、もっとクロウ様のお役に立てるよう邁進したいと思います」
足りない分があるのであれば、いまから補えるよう努めればいい。
いますぐに達成できずとも、少しずつ自分にできることも増えるはずだ。
そうなれば、きっと今よりもクロウの力になれるはずだとルーシーは思う。
「あなた、真面目な子ね。地味に無難に生きたいと考えていそうな人なのに」
「その評価は大きく外れてはいないと思います」
言葉だけ聞けば失礼なその発言に、ルーシーは小さく笑った。
実際、クロウに出会う前まではそのように生きていた。
そしてそのような生き方が悪いとは今も思っていない。根本的に、それが平穏な生き方だとは思っている。
けれど、今は仕えたいと思う人がいるのだ。役に立ちたいと思う主人に出会えたのだ。だからこそ、クロウの役に立てるだろうことには躊躇いはない。
だが、帰ってきたのは呆れたような声だった。
「謙遜はおよしなさい。控え目であることを女性の美徳だと考える地域もあるようだけれど、そんな控え目であればクロウ様は見向きもなさらなくてよ」
「……はい?」
謙遜をしているつもりもなくルーシーは事実だけを返事しているつもりだったのだが、想定外の言葉に目を白黒させた。
すると、今度はローズが優雅に首を傾げた。
「あら? あなた、クロウ様のことを男性としてお慕いしていないの?」
「だっ……そ、そんな恐れ多いです!」
想像だにしていなかった言葉にルーシーは思い切り叫んだ。
それは使用人が城主の副官に伝えるにはいささか大きすぎる声ではあったが、ローズもローズでそのような作法は気にしていない。
ただ、ひどく驚いた表情を浮かべていた。
「あんなに素敵な男性がすぐ近くにいるのに惹かれていないなんて……あなた、もしかして既婚? それとも婚約者か恋人がいるの?」
「そ、そそそんなことは一切ありませんが、クロウ様に対しては恐れ多すぎて全く考えたこともござません……!」
クロウのことを心から尊敬していても、自分はしょせん庶民である。
立派な城主に対して恋愛感情を持つという感覚が、そもそもルーシーには備わっていなかった。
(私の中のクロウ様への想いはすべて尊敬という意味での敬愛であるはず……! たしかにローズ様がいらっしゃった時、少しもやっとしたことはないわけじゃないけれど、それは以前からクロウ様のもとで働いていらっしゃったという事実に対する羨ましさがそうさせただけだし、クロウ様が盗られるって思ったわけじゃないはずだし……!)
しかしそんなことを考えながらも、一瞬だけ想像してしまったクロウの花婿姿があまりに好みのど真ん中であったことに対し、思わず赤面してしまった。
なんというものを想像してしまったのか。この想像をするのは今ではなく別の機会にするべきだった、と思わずにはいられなかった。
「ふうん? 恐れ多いというのは、クロウ様に釣り合わないということ?」
「もちろんそれもあります」
「おバカね、クロウ様は素敵すぎるのよ。その辺りの女がちょっと頑張ったくらいじゃ振り向いてもらえないの。障害くらい蹴り飛ばしていくくらいの女でなければ、気付いてすらもらえないのだから」
それは単に鈍感だからなのではないかとルーシーは思ったが、あえては言わなかった。加えて、たしかにローズなら障害を障害だと思わないだろうとも思った。
(だって、魔界にまでいけちゃった人なんだもんね……)
どうしたらそういう発想になるのか、そもそもそんなところが本当に存在しているのかルーシーは信じていなかったけれど、そんなことをずいぶん昔にやってのけた人には一般人の気持ちなどわからないのではとも思う。
しかしそんなことを考えているうちにルーシーも落ち着きが取り戻せた。
「ねぇ、あなたの想い人がクロウ様でないというのなら、あなたはどんな人が好みなの?」
「そ、そうですね……。私は、共にクロウ様を支えることができる方が理想です」
少なくとも、今は。
その言葉はややこしくなりそうだったので、飲み込んだ。
誰かと伴侶になるということはあまり考えたことはなかったが、今、はっきりと答えられるのはこの程度だ。
「ふうん?」
ローズがルーシーの答えに満足したのかどうかルーシーには分からない。
ただ、ローズはあっさりと言葉を続けた。
「いずれにしてもクロウ様をこの地で支えさせていただくのであれば、あなたのような人も必要だもの。あなたがクロウ様のお役に立ちたいと考えているのであれば、私も嬉しいわ」
「あの、でも、私はそんな大したことはできませんが……」
期待されるのは嬉しいが、実力がないという自覚があるので重圧でもある。
自分なりに頑張ると決めたものの、本物の実力者を前にすれば『任せてください』とは言いづらい。そもそも、今の仕事以外に何をすればいいのかということがまだわかっていない段階なのだ。せめて、何をするか決めるまでは期待はされずにいたいと思う。
しかし、そんなことを考えていると珍しくローズは睨むような表情をルーシーに向けた。
「あの、ローズ様……?」
「私にはないものを、あなたもしっかりと持っているわ。誇り、そして自信を持ちなさい」
「え? それは、どういう?」
「一番は年齢よ」
「……はい?」
「言いたくはないけれど……私からは失われた若さよ」
外見年齢はそう変わらない、けれど実際は千歳ほど年上の女性からそう言われたときにどういう反応をすれば正解なのか、ルーシーにはわかりかねた。
「あの、ローズ様?」
「およしなさい。私も見た目は十分に若さを保っているし美しいという自覚はあるわ。だから慰めは結構。けれど、どうしても人間としての感性というのは魔界にいる間に失われてしまったのよ。若い人間の女性の感性もね。そもそも人としてこの世界に暮らしていたときの記憶が曖昧だし、覚えていても昔すぎて役立つか謎なのだけど」
「そ、それと私にどのような関係が……?」
ローズの妙な雰囲気を刺激しないようにしつつ、ルーシーは控え目に質問した。
ローズはひとつ軽めの深呼吸を挟んだあと、ルーシーをまっすぐに見た。
「クロウ様はここを老若男女構わずに過ごしやすい街をお作りになられたいのでしょう」
「はい」
「私には街をどうするために整備すれば良いか考える案はある。けれど、実際に人間にとっての『普通』や『当たり前』は私たちにはわからない。私がこの世界で暮らしていた時の街と今の街は違いすぎるし、今の若者の感性を学ぼうと思っても時間がかかる。その時間を無為に過ごすくらいなら、あなた達の感性を借りる必要はあるわ」
「そ、そうなのですね」
「それにあなたは温泉があると教えてくれたし」
「そ、そんな」
「クロウ様が紙面に記録されていること以外でこの土地を理解されるには、まだ時間が要るわ。とはいえ、それほど時間はかからないはずだけどーーそれでも時間がもったいないもの」
ルーシーも魔界の普通はわからない。
だから本当になんとなくではあるものの、意味は分かる気がする。
「しょ、精進します」
「私ができることならよかったけど……残念だけど、任せるわ。人間としての感覚を忘れていることをこれほど残念に思ったのは初めてよ」
そう残念そうに言うローズを見ながら、ルーシーは改めて自分にできることを考えた。
ローズやクロウのような特別な力はないけれど、そのローズが羨むようなことができるのだ。
「難しく考えなくてよくてよ。それと、クロウ様の前で遠慮は無用。提案に対する答えはクロウ様が判断なさる。私たちの段階で切り捨てるのは不必要な事柄よ」
「ですが、それではお手を煩わせるだけになるかと……」
「失礼な言葉をかけるけれど……あなた、クロウ様のお手を煩わせるほどの大きな案件を持ってこられると自信があるの?」
不思議そうにそう言われれば、たしかに言われたとおりのような気がしてきた。
けれど、ただただそれだけではおもしろくない。
「では、私はクロウ様が困ってしまうような、けれど実現したいと思うようなことをご提案できるようになりたいと思います」
それを聞いたローズは驚いて目を瞬かせていたが、やがて笑った。
「上等ね。私も負けないようにがんばらないと」
そのとき、遠くでくしゃみをしたクロウのことは二人とも気付かなかった。
そして単に騎士服は『覇気がなさすぎる』と変更しただけだということは、その後も誰も気付かなかった。