*第九話の裏側 その建築家は驚いた
建築技師のイライジャは城主の使いから手紙というなの召集状を受け取ったとき『また金持ちの屋敷の改築か。しかも城からとなれば強制だろ、これは』と、ため息をこぼした。
最近城主が変わったらしいという噂は城下にも流れてきているが、城主が変わったからと言って自分の仕事はかわらない……そう、イライジャは思っていた。
だからこそ、呼ばれた本当の目的を聞いたときは驚いた。
「クロウ様のご意向で、市民の為の憩いの場を作ることになりました。あなたは、我が主が満足できるものを作れますか?」
その言葉を聞いたとき、イライジャは力強く即答した。
「必ずや。どうか、私にお任せください」
なにせ、その依頼はイライジャの夢の第一歩になりうるものだったのだから。
※※
イライジャが建築の道に進んだのは、この綺麗な王都で街の景観を損なうことなく、同時に人々がより暮らしやすい街並みを作りたいと夢見たからだ。
幼い頃は絵本で見たような世界を作る一因に自分もなりたいと願った。
そしてそれは成長していくにつれ大きな仕事をしたいと考えるようになり、公共事業への関わりを願うようになった。
(伝統ある街並みに関わるにしても、私人では限度がある。やはり、役人の立場で建築に関わることが一番大きな仕事ができるはずだ)
そんなことを考えていた彼は優秀な成績で学校を卒業し、技師としての華々しく第一歩を踏み出す……つもりだった。
しかし、現実は残酷だった。
確かにイライジャのもとには華やかな勧誘は多数届き、同窓生たちからは羨みや妬みが向けられた。
が、それらは彼が望む仕事ではなかった。
(どれもこれも富裕層向けの、邸宅か宿泊施設か娯楽施設かのようなものばっかりじゃないか!)
他には教会関係の仕事があったが、『名誉職に金は要らんだろう』というスタンスであるため、ろくに見ないまま勧誘文は捨てておいた。イライジャにも生活がある。名誉では食っていけないし、そもそも教会が好きではない。
(しかし公職の募集がひとつもないとは、一体どういうことなんだよ)
勧誘とまでいかずとも受験できるチャンスがほしい。大きな公共事業がしたい。そうイライジャは願うも、募集は本当に見つからない。
伝統ある街並みは確かに綺麗であるが、歴史的建造物や公共施設には補修が必要な箇所も多数ある。それなのになぜ? そう思ったイライジャは、はっと気がついた。
(昔から修繕が必要だと私が思っていたところを、専門家がいれば気づかなかったはずもない……?)
そのことに気づいたイライジャは、ここ数年の募集状況について調べてみた。
そしてわかったことは、少なくとも建築技術に関しては国一番の成績を誇るイライジャの母校にすら、数年単位で建築技師の募集は届いていないということだった。
(一般人の俺がはっきりわかるほどの街の綻びがどうしてそのままにされているのか。それは『そもそも直す気がない』という意向が含まれているからではないか……?)
ならば、新たな建築技師が求められていないことも説明ができてしまう。
(おいおい、これだけの建築技法を用いて作られた街なんてそうそうないはずだぞ! それなのに……補修する意思がないというのか!? こんな美しいものを放っておくなど正気なのか!?)
しかしそれはイライジャの脳内だけでのことなので、まだ真実はわからない。
きっと考えすぎだ、いくらなんでもそれはない、ここ十年程度で新人がいないのは、熟練の技師が揃っているからだ、だからそろそろ技術継承のためにも新たな人員が補充されるはずーーそう、イライジャは悶々と考えた。
ただ、考えるだけで真実には辿り着けなかった。
真実を見つけるだけの時間がイライジャには足りなかった。
なぜなら、イライジャは卒業後働かなければならない。自身の生活もあるし、無職では奨学金も返せない。
だからイライジャは諦めて貴族御用達の建築工房へと就職した。
ただし夢を諦めたのはあくまでもその時点でという話であり、チャンスがあればいつでも転職できる準備を整えておいた。
しかし一年、二年、三年とたっても全く状況に変化はなく十年が経過してしまった。
もともとやる気がある仕事ではないとはいえ、イライジャも給料分は働くくらいにはまじめな人間だ。そこにもともと優秀だと評価されていたことが加わり、名声は徐々に高まっていく。
目的の仕事でないことを除けば私生活も順調で、イライジャ自身も何一つ不自由のない暮らしに『悪くはない人生』だと次第に思うようになりはした。
ただ、諦めたとはいえ心の片隅に常に夢を諦めたという虚しさと無力感を感じてもいた。
そんな日常を過ごす中、城主が交代したとの噂が耳に入ってきた。
それからしばらくして、自分宛に城から手紙が送られてきても、どうせ模様替えか何かの仕事だろうくらいにしか思わなかった。
だが、いざ登城してみれば、なんと任されるのは公園の整備だというではないか。
説明する女性は年若く見えるが貫禄があり、イライジャは妙に緊張した。
「私はクロウ様の副官を任じられておりますローズと申します。クロウ様のご意向で、市民の為の憩いの場を作ることになりました。あなたは、我が主が満足できるものを作れますか?」
小娘から言われたら腹が立つような言葉も、その貫禄からは当然のように聴こえてくる。そして腹が立たなかったからこそ、その内容を聞き取ることができた。
「失礼ながら……その話は本当ですか」
規模が小さいとはいえ、公共事業だ。
前城主が手をつけることすら嫌がっていたのではないかと思ってしまう行為を、今の城主は早速手をつけるというのかとイライジャは驚いた。
イライジャの言葉にローズは眉を寄せた。
「私はクロウ様にお仕えしている身だからこそあなたを呼びました。仕事でなければあなたに会う必要性はありません」
たしかにわざわざからかうために呼びつけたのであれば暇人すぎるだろう。
イライジャには目の前の女性がそこまで暇には見えなかった。
ローズは言葉を続ける。
「クロウ様は市民の憩いの場を作るために『足湯』をお作りになりたいと仰いました。ただ、憩いというのであれば足湯だけではなく、公園等の整備も必要でしょう」
「なるほど……足湯ですか」
聞いたことはあるが、なかなか珍しい発想の話だ。
「しかし、王都内につくるとなれば源泉が必要でしょう。そのようなものはないと思うのですが」
「なければ作れば良いのです。幸い悪くない位置にある未使用地で湯が出る場所の見当がつきました」
そのような場所は王都内にあるとはイライジャは考えづらかった。
王都は人口が増え、中央の土地の値段は高騰している。
そのような状況下で使われていないような場所といえば、一カ所しか心当たりがない。
(まさか地元の人間が不良の溜まり場と認識している場所ではないのか……? 夜な夜な不気味な声が聞こえてくることで有名な、あの)
その土地には不思議な噂もある。
それは多くの不良で有名であるのに、現に人影を見たという者は誰もいないということだ。いや、いる可能性がないというわけではない。ただ、誰も『声は聞いたことがあるけど見たことがない』というのだ。
だからこそ、人々は余計に気味が悪く誰も確かめたことがないのだがーー。
「……なにか疑問が?」
「失礼ですが、ローズ様はあの場の噂をお聞きになったことはありますか?」
「ああ、あの鬱蒼とした場所に似合う夜な夜な密集する人の声ですか」
「そうです」
怖いかどうかで、しかも迷信の類で仕事を受けるかどうかを決めるなどというつもりはイライジャにはない。ないが、ひっかかりはする。
たとえば立派なものを作ったとしても、不気味な声が聞こえる場所に人々が果たして近づくのか甚だ疑問だ。
「ああ、それなら倒しました。ただの亡霊です」
「たお……?」
「失礼、原因は解決しておきましたとの言い間違いです」
間違いと言われたが、そもそもイライジャにはよく聞こえていなかった。
だが、解決できているのなら問題はないのかもしれない。
ローズがもっとフレンドリーな雰囲気であればイライジャも原因を尋ねることができたのだが、今の冷たい雰囲気に踏み込んでいくだけの勇気がイライジャにはなかった。
相変わらずローズはイライジャに尋ねることなく、話を続ける。
「いずれにせよ、気味が悪い場所であるのなら作り替えれば良いのです。温泉の湯の用意は私が監督いたします。あなたは人々が心地よく使えるものを作ることに努めるのです」
ローズにそのような専門知識があるのかとイライジャは驚いた。
地中深いところを掘るだけの技術をどこで得たのか、検討もつかなかった。
ただ、当たり前のようにいうので出来ること自体は疑う必要もなかった。
ローズも質問を受け付けるような雰囲気ではなかった。
「ご用件は公園だけでよろしいか?」
「いえ。私はこの度クロウ様より直々に……そう、直々に道路整備の仕事を賜りました。直々に、です。ですがクロウ様のお考えが道路整備で止まるわけがありません。あなたと私が組む方がこれからの街の整備も進みやすくなるでしょう。すでに街の綻びも多く見つけています。クロウ様のお膝元でそのようなことを起こしてはなりません。ですので、そちらも対処します」
「それは……いえ、もしかして……それも私にお任せいただけるのですか」
「そうでなければ、わざわざこのような話はしません」
愛想というものがローズからは一切感じられないが、自分に与えられた仕事を完遂することへの熱意はイライジャにも十分感じ取れた。
「いずれにしても、私が求めるのはひとつだけです。クロウ様がお望みになる街をあなたはつくれますか?」
イライジャへの説明は、正直にいえばかなり不足している。
ただ、考えるより先に返事はしていた。
「必ずや」
少なくとも、イライジャは自分の夢とローズが話す城主の目的が同じだ。
ならば、他の誰にそれを渡すことができようか。
「どうか、私にお任せください」
指名を受けた分、必ず期待に応えてみせよう。
そう十年以上もの思いを込めて、イライジャは仕事に臨むことを決意した。