*第六話の裏側 素敵無敵なお兄ちゃん
リリーは物心がついた時から教会で暮らしていたが、八歳になった今、教会のことは好きではなかった。
昔は奇跡の力で病気を治せば相手に喜ばれることを嬉しいと感じていた。
しかしリリーは教会の大人が思っているより耳が良く、観察力も低くはなかった。
だから謝礼としてたくさんの金貨をもらっている姿を見て、自分が大人たちの道具なのだと理解するまで大して時間はかからなかった。
そしてご褒美が欲しいとお願いしても、自分の願いが叶えられたことはない。
(もう、我慢できない!)
そう思ったリリーは秘密裏に教会の兵士たちの配置や死角などを調べ、脱走ルートを決定した。
そして当日はうまく逃げ切ったのだが、そこからが問題だった。
リリーは無一文だった。
普段自身で金を使わないリリーには金の価値や物価の感覚というものが備わっていなかった。
しかし金銭は働けば得られるものだ。だから働けばすぐにどうにかなると考えた。
だが……まず子供を雇用する者がほとんどいないことを思い知らされた。
子供たちがお小遣いを得ていたのも、親や知り合いからがほとんどだったということだ。
リリーは非常に狭い環境で暮らしていたため、そもそもそのようなことを理解できる場所がなかったのだ。
探せば見つかるかもしれないが、あまり目立ちながら探していると教会の人間に見つかるかもしれない。
けれどお金がなければ空腹で動けなくなりそうだ。
せっかく抜け出したのに戻ることになっては、厳重な監視が付いてしまう。
そうして困っていたとき、リリーに声をかけた大人たちがいた。
「お嬢ちゃん、お仕事を探してるのかい?」
「ずいぶんおなかを空かせているようだね」
「飯を用意しようか?」
それはリリーがどうしたらいいのかと思案していた悩みを一挙に解決へと導く言葉の連続だった。
その声に導かれたリリーは大人たちと共に古い建物へと向かい食事が提供されるのを待っていたのだが、その食事が提供されるより前にリリーはひどく綺麗で髪も服も目も真っ黒な青年に出会った。
そしてリリーはなぜかその青年と共に外に出て、好きな食事を買ってもらえることになった。
なお、このときリリーは自分が浚われていたことをまだ理解していなかった。だから建物にいた男たちがその綺麗な大人になぜ怒られていたのかまったくわからなかった。
ただ、それは余りにひどい空腹も原因で頭が回る余裕がなく観察力が低下していたためでもある。
綺麗な男性の名前はクロウといった。
クロウは少し珍しい喋り方をするものの、優しい青年だった。
それは好きなものをご馳走してくれると言ったことだけではなく、果実飴を譲ってもらったこともそうだが、行動自体がリリーを気遣っているとすぐにわかった。
まずクロウの歩幅であればリリーを置いていってしまってもおかしくないのに、自然と速度を合わしてくれる。空腹のリリーが屋台を見ながら歩く、クロウにとってかなり遅いと感じてしまっても不思議ではないはずなのに、だ。
そしてクロウが食べようとしたイカの丸焼きをリリーが希望すると、クロウはリリーは本当は別のものが食べたかったということをすぐに見抜いた。
それでもクロウと離れたくなかったリリーはイカの丸焼きにするといえば、自分が食べたいといっていたものを変更することまでしてくれた。
「我は胃袋はお前のものより立派だ」
クロウはそう言い、リリーが気を使わないよう配意までしてくれたのだ。
教会であれば聖女はかくあるべきといった具合で、絶対にリリーの意見など通らないというのに。
初めて食べたクレープは想像以上の、とんでもなく美味しい食べ物だった。
それはクロウに買ってもらったことも原因だったのかもしれない。
気遣ってくれるクロウになら何を言っても大丈夫だと思い、リリーは自分の境遇を正直に話した。文句や愚痴も込みで、だ。
ただ、そのときは状況をどうにかして欲しいと思い話したわけではない。
それでも口にしたのは、クロウなら頭ごなしの否定をせず話を聞いてもらえると思ったからだ。そしてリリーは話を聞いてもらえるということ自体がこんなにありがたいのだと、初めて気がついた。
最終的にリリーはクロウのもとで働けるようになった。
クロウはリリーに正当な対価を与えると誘いをかけたのだ。
リリーは驚いた。
追っ手で迷惑をかけることも頭をよぎったが、クロウが鼻で笑い飛ばし自分が城主であることを語ったことにより、リリーはクロウに仕えることを決意した。
そしてクロウに医学を学ぶ様指示を受けたことも、リリーにやる気を起こさせていた。
(リリー、絶対にすごいお医者さんになるんだ)
今すぐ役に立てるとは限らない。
むしろ、そんなに簡単な道のりではないと想像できる。
けれどこのとき初めてリリーは癒しの力以外にも期待を持たれた。
ならば、それに応えたいと強く願った。
他の選択肢が与えられても、これがいい。
(クロウお兄ちゃんが病気になったら、リリーが絶対治すの!)
そんな強い決意を持って城に向かう前、まだ胃袋に余裕があったクロウがイカの丸焼きを買っていた。じっと見ていると、頼んでもいないのにクロウは二本注文していた。
「……いるか? 食わぬなら我が二本食うが」
「食べる!」
そのイカの丸焼きは、先程食べたクレープと同じくらいリリーにとって特別な食べ物になった。
そしてその日は城でも満腹になるまで料理を食べた後、リリーは柔らかいベッドで朝まで熟睡した。
翌日、力が回復したリリーはクロウがただならぬ気配を纏っていることにようやく気付いた。
あれはこの世の人間のものではない。
この世界で『魔王』と語られているものよりも強いかもしれないとすら思えた。
けれど、リリーはちっとも怖いとは思えなかった。
いかんせん、リリーにとっては『優しいクロウお兄ちゃん』なのだ。
そのただならぬ気配もリリーから見れば『たくましいお兄ちゃんのオーラ』だとしか感じなくなってしまっていた。
教会の教えにある魔王の項目なんて全部嘘なんだと、リリーは思った。