7.魔王、異界の魔獣と手合わせする①
王都に魔獣の群れが押し寄せてきている。
知らせを受け、アリギュラはとりあえずジークに従い、その後を追いかけている。先程まで静かだった宗教寺院の中はいまや大混乱だ。聖職者たちはもちろん、街から避難してきた人々でごった返している。
人々の合間を縫いながら、アリギュラはすぐ後ろを歩くメリフェトスにこそりと問いかけた。
「説明しろ! 一体何が起きている?」
「どうやら『まほキス』のストーリーが進行したようです」
さりげなくアリギュラを人間どもの波から守りながら、メリフェトスはふむと頷いた。
「ここエルノア王国は現在、危機的状況にあるのです。その状況を打開するため、連中は聖女を召喚したわけでありまして」
「だーもう、勿体ぶらずに話せ! なんじゃ、危機的状況とは!?」
「封印されし魔王が復活したのです」
アリギュラは思わず足を止めた。主人を踏まないようにつんのめって踏みとどまるメリフェトスを振り返り、きらきらした瞳で見上げる。
「魔王!? この世界にも、魔王がいるのか?」
「はい、アリギュラ様。ええ、私も、本来であれば菓子折りのひとつでも持ってご挨拶に伺いたいところではありますが……」
「菓子などどうでもいいわ! ならば、都の外壁に押し寄せる魔獣というのは……」
「お察しの通りにございます。奴らは魔王軍配下の魔獣たちです。魔王サタンの望みは、人間どもを滅ぼすこと。『まほキス』においては、魔王サタンをパートナーと共に打ち破るのが、ストーリークリアの必達条件です」
「それを早く言わんか!!」
叫んだアリギュラに、行き交う人々も足を止めた。アリギュラが後ろにいないことに気づいたジークも、戻ってきて困惑したように眉根を寄せる。
「早く逃げないと。連中の狙いは君だ。ここで君を失うわけには……」
「魔王サタンを倒すのが、『まほキス』のヒロインの役割。そうじゃな? メリフェトス!」
「左様にこざいます。左様にございますが、我が君……。ああ、ダメだ。これはもう、聞いていらっしゃらない時の目だ」
言葉を呑み込み、メリフェトスが眉間を押さえて首を振る。事実、アリギュラは聞いていなかった。これっぽっちも聞いていなかった。
「み、見ろ! 聖女様が浮いていらっしゃる!」
「浮かんでる!?」
「聖女様が!?」
途端に騒がしくなる人々。喧騒をよそに、アリギュラは真っ赤な瞳を爛々と輝かせ、徐々に飛翔の準備を整えた。
(エルノア国とやらを、この世界の魔王から守るのが『まほキス』のクリア条件! ならば、人の子の手を借りるまでもない。キラキラその一の男も、キラキラそのニの男も、わらわには不要じゃ!)
「目をかっぴらいて見ておれ、メリフェトス!」
おもちゃを見つけた子供のような無邪気な笑みで、アリギュラはびしりとメリフェトスを指さす。そうやって、ジーク王子を筆頭に唖然とする人々を置き去りに、アリギュラは勢いよく跳躍した。
「アーク・ゴルドより召喚されし魔王アリギュラ! この世界の魔獣どもと、手合わせして参るぞ!!」
「アリギュラ様ぁぁああぁあああ!?!?」
メリフェトスの悲鳴が、ぐんぐんと遠ざかる。風を切り、アリギュラは意気揚々と飛翔し続ける。
やがて彼女の小さな体は、宗教寺院のもっとも高い塔を見下ろすまでに至った。
「ほお? エルノア国は、なかなかに立派な国のようじゃの」
眼下を見下ろし、アリギュラは感心する。
アリギュラを召喚した聖教会は城と隣接しており、王都のなかで最も高い高台の上に並んで建てられている。だから、この高さまで昇れば、王都全体を一望できるのだ。
街が広がるのは、教会から見て東方だ。煉瓦造りの家々がびっしり立ち並び、大きな屋敷や市場といったものも見られる。こんな状況でなければ人間たちが忙しなく行き交い、さぞや活気のある様子が見れただろう。
その反対側、西方は、海に面した断崖絶壁になっている。街が広がる東方には二重、三重からなる壁。西方には自然の壁。これらによってこの街は、防御力抜群な要塞都市となっているようだ。
「人間相手であれば、申し分ない。じゃが……」
振り返ることなく、アリギュラは魔法壁を展開する。目にも止まらぬ速さで何かが魔法壁にぶつかり、爆散した。
風になびく黒髪を軽く手で払ってから、アリギュラは意地悪く目を細める。
「魔獣相手に、どこまで保つかな」
紅い瞳が向けられるのは、街が広がるのとは反対、海側の空。自然の防壁であるはずのそこには、飛竜の大群が浮かぶ。
その中で最も大きな飛竜が、空気を切り裂くような叫び声をあげる。耳障りなその音色を聞きながら、アリギュラは魔王らしい、凶悪な笑みを浮かべたのだった。