24.魔王、悪役令嬢にフラグを建てる
「……と、いう次第のようだが?」
指を鳴らして煙を霧散させる。そうやって、唖然とする人々を愉快そうに眺めてから、アリギュラはにやりと意地悪く笑った。
一方、すっかり青ざめた小柄の令嬢――ヘレナは、カタカタと震えながら尚も叫んだ。
「い、いかさまですわ! 私たちは、こんなことしていません! 私たちを貶めるために、聖女様が嘘の光景を再現したのですわ!」
「おい、娘。貴様、我が君に何を」
「いや、違う」
一瞬メリフェトスが気色ばむが、それに被せるようにして意外な方向から援護が入った。皆がそちらを見ると、いつの間にか輪の中に入って床を検分していた細身の男――王宮魔術師クリス・レイノルドが、小さく首を振った。
「今のは空間記録術。その空間に残る残滓から何があったかを再現する魔法だよ。それも最高位クラスの。魔法陣を調べたけど、一級の王宮魔術師が束になって半月以上かけるくらい完璧な術式だった。いまの再現に、間違いなんかあるわけないよ」
「そ、そんな、ちがっ……!」
「それと」
「きゃっ!」
尚も諦めが悪く足掻こうとするヘレナに、アリギュラが迫る。音もなく、宙に浮いたまま詰め寄られ、ヘレナとその取り巻きは腰を抜かしてその場に倒れこむ。そんな令嬢たちを冷たく見下ろし、アリギュラは歪んだ笑みを浮かべた。
「わらわが、そなたを貶めるために嘘の再現を流したと。おぬし、さっきそう言いおったな」
「そ、それは……」
「己惚れるなよ、小娘が」
びしゃああああん、と。アリギュラたちの頭上を一陣の閃光が駆け抜ける。悲鳴を上げるヘレナを無理やり上向かせて、アリギュラは赤い瞳に嗜虐的な色を浮かべた。
「一人では何もできず、底の浅い策しか練れない。粗末で矮小な貴様らに、なぜわらわが構わなければならぬ? 貴様らを始末したければ、わざわざ手間などかけぬ。この手で簡単にひねりつぶしてくれるわ」
「……あっ、ああっ」
「今だって、貴様らのつまらぬ告白に興味はない。わらわとしては、貴様にクリームではなく『覇王の鉄槌』を喰らわせてもなんら問題はなかった。……じゃが、おぬしらにはまだ、わが友の名誉を晴らすという役目が残っておるからな」
恐怖に震え上がり何も言えなくなってしまったヘレナたちから視線を逸らし、アリギュラはキャロラインを振り向く。きょとんと瞬きする悪役令嬢に微笑んでから、アリギュラは優雅に白い足を組み替えた。
「わらわは、キャロラインを気に入っておるのだ。あの者はわらわに真っ向から挑み、何度砕けようと諦めず立ち上がってきた。あの者の強さを、わらわは称賛する。――そんなわが友のため、すべて偽りなく証言すると誓うなら、貴様らに恩情をかけるのもやぶさかではないな?」
「誓います! 必ず、女神様に掛けて!」
限界を迎えたらしいヘレナたちが、悲鳴に近い声で叫ぶ。「ほーお?」とわざと焦らし、アリギュラは赤い瞳を細めて頬杖をついた。
「証言してくれるか。それは頼もしいのう」
「すべて真実をお話しします! ですから、命だけは……」
涙で顔をぐちゃぐちゃにし、命乞いをするヘレナとその取り巻きたち。それを、アリギュラはしばしつまらなそうに眺めていた。かと思えば、ふいに彼女はにこりと笑った。
「うむ、良かろう。交渉成立じゃ」
「せ、聖女様……!」
「じゃが」
歓喜にむせぼうとしたヘレナたちの声を、ホールの天井を駆け抜ける稲光の音が遮る。再び悲鳴を上げる三人の子悪党たちに、アリギュラは冷徹に告げた。
「わらわは常に貴様らを見ている。そのことを、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
まるで魂が抜けてしまったように放心し、動けなくなってしまったヘレナとその取り巻きたち。放置しておくわけにもいかないのでと、彼女らが別室に運ばれていったあと。
「しゃべった、しゃべった。一仕事終えたあとのケーキはうまいな!」
気分も晴れやかに、アリギュラはクリームのたっぷり乗ったケーキを頬張る。その横で、メリフェトスがやれやれと嘆息した。
「やりすぎです、我が君。聖女はあんなに、びかびかと室内で雷を落としたりしません」
「ちゃんと威力は静電気レベルにしておいたぞ? なにより早く場が収まったのだからよいではないか」
「しかし、あの収め方は、いささか魔王味がすぎるかと」
「魔王味もなにも、わらわは魔王じゃ。まごうことなき魔王じゃ」
……アリギュラとメリフェトス、ふたりの会話はキャロラインにまでは届かない。けれどもキャロラインは、アリギュラから目を離せずにいた。
(アリギュラ様、私を庇って……?)
どきどきと、胸の鼓動がわずかに早くなる。ぽーっと、キャロラインは惚けたようにアリギュラを見つめる。と、そのとき、「キャシー!」とジーク王子に呼びかけられた。
我に返って瞬きするキャロライン。けれどもすぐに、彼女は驚いて目を丸くすることになる。婚約者であるジーク王子が、深々と頭を下げたからだ。
「すまなかった。君に、なんと詫びたらいいか」
「じ、シーク様!? どうされたのですか? どうか、頭を上げて……」
「いや。私がこうしたいんだ」
婚約者といえ、公の場で王子が臣下に頭を下げる。そのことにキャロラインは慌てたが、ジーク王子は頑なだった。ようやく頭を上げた時、彼は申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「先程私は、ほんの少しだけ君を疑ってしまった。婚約者として君を信じ、誰よりも味方であるはずの私がだ。そのせいで、君を孤独にしてしまった。どう、君に詫びたらいいか……」
「ジーク様……」
わずかに息を呑み、キャロラインは王子を見つめる。ややあって、キャロラインは柔らかく微笑み、見事な縦ロールの髪を揺らして首を振った。
「聖女様をお相手に、私が意地になっていたのは事実ですわ。それがジーク様に伝わり、疑念を抱かせてしまったのでしょう」
「だが、」
「私も貴婦人として、まだまだ精進が足りない。そういうことですわ」
そう言って困ったように笑ったキャロラインの表情は、朗らかですっきりしたものだった。すると、ジーク王子が何やら声を詰まらせた。
きらきらとそつのない、いつもの完璧な王子様ではない。どこかソワソワと、年頃の青年らしく目を泳がせるジーク王子に、キャロラインは小首を傾げる。そうやって見守っていると、ふとジーク王子が小さく咳払いをした。
「そ、その。君に、はっきり言っておきたいことがあるんだ」
「? なんでしょう」
いつになく言い淀むジーク王子に、キャロラインはますます首を傾げる。……が、ひとつの可能性に思い当たり、すーっと顔が青ざめた。
(ま、まさか……。私との婚約を破棄し、聖女様と結婚すると言った内容では!?)
瞬時に血の気が引いたキャロラインは、淑女としての仮面をぽいと放り出した。耳を塞いだ彼女は、半泣きになってぶんぶんと首を振った。
「い、いいいいいやでございます! 私はこれ以上、聞きたくありません!!」
「待って、キャシー! 大事な話なんだ!」
「で、ででででも、ジーク様との婚約を破棄だなんて、私そんな……」
不意に、頬に柔らかなものが触れた。目を丸くしてそちらを見れば、ジーク王子のきらきらと輝く金髪と、閉じられた瞼を縁取る長いまつ毛が視界に飛び込んでくる。
ちゅっと、キャロラインの頬からジーク王子の唇が離れる。あまりのことにぽかんと放心するキャロラインに、ジーク王子は頬を染めて目を逸らした。
「君の頑張り屋なところを、好ましいと思っている」
「……?」
「負けず嫌いなところもいじらしいし、常に上を目指して向上心を忘れないところは尊敬している。そんな君が、僕のために嫉妬してしまうのも……そういう一面は、今日初めて知ったけど。正直、喜んでしまった僕がいた。君は、あまりそういうのを気にしないと思っていたから」
「……? ……???」
「たしかに僕は、アリギュラ様に惹かれた」
衝撃のあまり頭に何も入ってこなかったキャロラインだが、聖女の名が出たことで我に返った。びくりと怯えの色を滲ませる婚約者の頬を撫で、ジーク王子は困ったように微笑んだ。
「けどそれは、憧れとしてだ。聖女様の圧倒的な強さに対してというか、風格に対してというか……。とにかく、僕が君に抱く感情と、聖女様に向ける感情。それは全く違うものだと、君には知っていて欲しいんだ」
「そ、それって」
とくん、と胸が跳ねる。視界が急速に、きらきらと輝きに満ちていくような錯覚がある。その輝きの中心で、大好きなジーク王子が照れ臭そうに微笑んだ。
そのときだった。
「よきよきじゃな! これで万事解決じゃ!」
不意に近くから響いた声に、キャロラインとジークは握り合わせていた手を慌てて解いた。声のした方をみれば、これでもかというほどにまにまとにやけた笑みを浮かべたアリギュラがいる。
遠慮もなく顔を覗き込む悪魔な聖女に、キャロラインは真っ赤になって抗議する。
「た、立ち聞きは人としてマナー違反だと思いますわ!」
「立ち聞きも何も、わらわの横でピンクい空気を出してきたのはおぬしらじゃろう。てっきり、わらわに見せつけてるのかと思ったぞ?」
そう言われると、ぐうの音もでない。返す言葉もないまま、羞恥に縮こまるキャロライン。けれどもアリギュラは、思いの外、優しい笑みを向けた。
「なんにせよ、おぬしの悩みもこれで解決。よかったな」
「アリギュラ様……」
「さて、メリフェトスがこのざまだからな。わらわはそろそろ戻るとするぞ。ではな、キャロライン。今宵はなかなか楽しめたぞ」
そう言って、ひらりと手を振ってアリギュラは背を向ける。そのまま、神官を伴って部屋に戻ろうとする背中を、キャロラインは思わず呼び止めた。
「先程はありがとうございました!!」
そう言って、勢いよく頭をさげる。そんなキャロラインの熱が伝わったのだろう。立ち去りかけていたアリギュラが足を止めた。
わずかに振り返り、赤い瞳がキャロラインを映す。そのまっすぐな眼差しに、キャロラインは戸惑い尋ねた。
「ですが、なぜ私にあそこまで……」
キャロラインの聖女への態度は、お世辞にもいいとは言えなかったはずだ。初対面では名乗りもせず逃げ出してしまったし、今日だって、自分ではうちに秘めていたつもりの敵対心を見破られる始末。加えて、アリギュラにとってキャロラインを助けることにこれといってメリットはない。
そう、疑問に思っていたのだが。
「なんじゃ。さっきも言っただろう。聞いてなかったのか?」
仕方ないなと言った様子で、アリギュラは苦笑する。腰に手を当てて本格的にこちらを向いた彼女は、ふっと笑みを漏らして告げた。
「好きだからじゃ、おぬしのことが」
「っ!」
「この世界に来て初めて、人間を好きだと思えた。だから、簡単に折れてくれるなよ。またわらわと遊んでくれ」
そう言って歯を見せて笑ったアリギュラは、聖女と呼ぶにはあまりに無邪気で、眩しかった。
さらりと黒髪をなびかせ、アリギュラは神官を連れて去っていく。その背中を見つめながら、キャロラインはとくとくと胸が鼓動を奏でるのを感じた。
「……ジーク様のお気持ち、しかと受け止めますわ」
しばしの沈黙の後。聖女が消えた人波を眺めたまま、キャロラインがそっと答える。その声には乙女の恥じらいが滲んでおり、ジーク王子の心を弾ませるには十分だった。
頬を染め、ジーク王子はそっとキャロラインの肩を抱こうとする。
「キャシー、じゃあ……」
「ですが!」
肩に手が触れようとする刹那、キャロラインがぱっと振り向く。薔薇やら百合やら様々な花を背負っていそうな恋する乙女の表情で、キャロラインは夢見るように小さな手を握り合わせた。
「私、別の方を好きになってしまったかもしれませんわ!!!!」
「は……?」
かちんと、ジーク王子がその場で固まる。新たな恋に胸をときめかせる婚約者と、人波の奥に去っていった黒髪の聖女。頭の中でようやくその二人が結びついた時、ジーク王子はひゅっと息を呑んだ。
「きゃ、キャシー!?!?」
異界の魔王vs悪役令嬢。奇妙なドリームマッチの締めは、哀れな王子の悲鳴なのであった。




