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【閑話】メリフェトスの秘密の苦難


 王都アルデールにある聖教会の総本山、ローナ聖堂。日々、王都のあらゆる身分の人々が礼拝に訪れるその地は、同時に、聖職者たちが住まう場所でもある。


 その一角、エルノア国の歴史や神話などが記された書物が多数納まる書庫にて。魔王アリギュラの腹心の部下――もとい、一級神官メリフェトスは、古びた書物のページをひとりめくっていた。


 神官の印である白い装束を身に纏い、広い書庫の中央にある閲覧スペースに腰かけるメリフェトス。青紫色の瞳で真剣に文字を追い、時折、さらりと零れる髪を耳にかけなおす姿は、妙に色っぽい。


そんな彼の姿に、居合わせた二人組の若い巫女が、書棚の影で頬を染めた。


「メリフェトス様、今日も麗しいわ……っ」


「何をお調べになっているのかしら。真剣な表情も、すごく素敵ね」


 女神が世界を書き換えたことにより、メリフェトスは周囲の人間から、以前よりこのローナ聖堂に務めていた神官として認識されている。そのため、突然現れて聖女のお世話係という大役を与えられているメリフェトスのことを、疑問に思う者は誰もいない。


 それどころか、攻略対象者として申し分のない完璧な美形としてこの世界に加えられた彼には、女性たちから熱烈な視線が向けられていた。


「…………はぁ」


 その時、メリフェトスが溜息を漏らした。モノクルの奥で一度視線を落とした彼は、物思いにふけるように窓の外に顔を向けた。


先ほどまでの、どこか近寄りがたい、気品に満ちたオーラとは異なる。どこか物憂げで、隙を感じさせる仕草に、見ていた巫女たちはズキュンと胸を打たれた。


「な、なななな、どうしたのかしら、メリフェトス様ってば」


「悩みがあるなら、私たちに相談してくださればいいのに……っ」


 憧れの上級神官の艶っぽい姿にもじもじとしつつ、といって声を掛ける勇気は出せない新米見習い巫女ふたり。


 ――そんな彼女らをよそに、メリフェトスはぼんやりと椅子に背を預ける。


(…………何も、頭にはいってこないな)


 窓の外をなんとなしに眺めつつ、メリフェトスは内心で鬱々とぼやく。


この世界についてより深く知るために書庫に来たが、すっかり時間を無駄にしてしまった。さっきから、ページをめくっては戻り、ページをめくっては戻りを繰り返している。こんなことでは、魔王軍一の知将の名が廃れてしまう。


 けれども、仕方がない。なぜならメリフェトスは今、強大な悩みを抱えている。


(ああ、くそっ!)


 がばりと頭を抱え、メリフェトスは背中を丸める。そして、煩悩を断ち切ろうとするかのように、ぐしゃぐしゃと己の髪をかきむしった。


(なんだって、我が君はあんなに可愛いんだ――――っ)


 ……それこそが、軍師メリフェトスを惑わせる悩みであった。






 我が君(アリギュラ様)が可愛すぎる。


 その想いに、メリフェトスはここ数日の間で急速に悩まされるようになったのである。


(いや、だって。我が君があんな反応をなさるなんて、さすがに反則すぎるだろう)


 誰に向けるでもない言い訳を並べながら、メリフェトスはこほんと咳ばらいをし、廊下を歩く。あのまま調べものをしても効率が悪いため、諦めてアリギュラのもとに戻ることにしたのだ。


 さて。メリフェトスが言うところの、アリギュラの『あんな反応』とは。


 言うまでもなくそれは、聖女の力を貸し与えるための儀式、――口付けの際の反応である。

 

 実のところ、「アリギュラ様はこっそり可愛い」と、以前から四天王の間では話題だった。


 『覇王の鉄槌()』を落としておきながら、自分で音と光にびっくりしてみたり。子猫に好かれるために、部下たちに隠れてこっそり猫の鳴きまねを練習してみたり。酒に酔った夢魔たちが()()()を話しだした途端、適当な理由をつけてそそくさと逃げ出してしまったり。


 戦場における、凛々しく、覇者としての風格漂う姿とはあまりに違う。側近たちしか知らない、ギャップ萌エピソードが盛りだくさんな魔王。それがアリギュラである。


 アリギュラが初心であることも、十分理解していたつもりだった。だからこそメリフェトスは、見ず知らずの、それも人間どもに彼女を触れさせるよりはと、自分が聖女のパートナーとなるようアリギュラを誘導したのだが。


(まさかキスひとつで、あそこまで初々しい反応をなさるとはな……)


 瞼の裏に蘇った姿に、メリフェトスは思わず足を止め、くっと声を漏らした。


聖女のキスを交わすたび、アリギュラは顔を真っ赤にし、子猫のように毛を逆立てる。昨日なんかは、羞恥に潤んだ瞳を逸らしつつ「はやく、済ませてくれ……」などと呟くものだから、思わず真顔になった。あんな恥じ入り方は、完全に逆効果だ。男のハートに、これ以上火をつけてどうする。


その時のことを思い出し、メリフェトスはつい頬が緩んでしまいそうになる。そんな自分を戒めるため、メリフェトスは精一杯しかめ面を作った。


 さすがにキスくらいは経験があるだろう。そんな風に楽観的に考えていたのは、自分の落ち度だ。加えて、いちいち初々しい反応を返す主に翻弄される今の状況。


(アンデッド狩りがアンデッドになるどころの騒ぎじゃないぞ、この馬鹿メリフェトスが!!)


 内心叫びながら、メリフェトスは頭を抱えて天を仰いだ。


 奥手なアリギュラを怯えさせないため、そして「聖女の役目のため、致し方ない感」を出すために、なるべくキスは淡々と、機械的にするように心掛けている。けれども、そんな化けの皮が剥がされてしまうのも時間の問題だ。


 正直、めちゃくちゃ可愛い。可愛くて、もっともっと困らせたくなる。


 一瞬、頭に浮かんでしまった考えに、メリフェトスはかっと目を開く。直後、喝をいれるべく、メリフェトスは躊躇なく自分の頬を張った。


「!?!?」


 すれ違った別の神官が、ぎょっとした顔でメリフェトスを見る。そそくさと神官たちが逃げていくのをよそに、メリフェトスは壁に拳を突き立てて寄りかかった。


(落ち着け、落ち着くんだメリフェトス。相手は我が君だぞ。わが生涯をお捧げすると誓った、敬愛するアリギュラ様だぞ。それを俺は、いったい何を考えて……)


 眉間に皺をよせ、メリフェトスは衝撃でずれたモノクルの位置を直した。


 ……まあ、調子が狂うのも無理はない。アリギュラは現在、人間の娘に姿が変わっている。その姿形は魔王として君臨していたときというより、メリフェトスと出会って当初の幼い魔物だったときに近しい。その分、愛らしさが増し増しになっているのだ。


 だからといって、己の分をわきまえなければならないことに変わりはない。メリフェトスが攻略対象者としてアリギュラのパートナーに収まったのは、あくまで主をほかの攻略対象者から守るため。言うなれば、男避けのための仮初のパートナーである。


(……そうだぞ、メリフェトス。先の戦闘で、我が君の輝かしい勇姿を見たせいだろう。すでに何人かの攻略対象者が、アリギュラ様に関心を抱いている。我が君をお守りするために、俺が腑抜けていてどうする!)


 はあーっと。先ほどよりも大きく、メリフェトスは溜息を吐く。それから、まるで呪いをかけるときのようにぶつぶつと低い声で繰り返した。


「俺は仮初のパートナー。俺は仮初のパートナー。いいか。俺は仮初のぱーと……」


「あ、あのメリフェトス様?」


 その時、背後から別の神官に声を掛けられる。聖女に関する報せを運んでくる、伝令役の三級神官だ。仕方なく呟くのをやめて、メリフェトスは振り返る。


「……なー。俺は仮初の……なんだ?」


「あ、あの。夕刻の祈りの時間でして、その」


「ああ。そういうことか」


 眉をしかめて、メリフェトスは外に視線をやった。ローナ聖堂では朝と夕に一度ずつ、礼拝者のためのミサを開いている。そのミサに合わせて、聖女の力による癒しを求め、病める人々が大勢集まるのだ。


(また、聖女の力を借り受けするしかあるまいな)


 先ほどまで頭の大半を占めていた煩悩を瞬時に追い払い、メリフェトスは胸に手を当て頷いた。


「聖女様をお連れし、私もすぐにそちらに向かう。ミサが終わり次第、皆に聖女様の祝福を与えよう。そのつもりで、いつも通り場を整えておくように」


「かしこました!」


 頷き、伝令役は駆けていく。その背中を見送ってから、くるりとメリフェトスは踵を返した。


 ……キスを求めたら、今日はどんなお顔を見せてくださるだろうか。追い払ったはずの煩悩が再び忍び寄ってきて、メリフェトスは慌てて首を振った。


 これはもしかすると、試練の時かもしれないなと。


 メリフェトスはぼんやりと、そんなことを考えたのだった。


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