10.魔王、6人目の攻略対象者に戦慄する
「アリギュラ様! 我が君、アリギュラ様!」
聖教会、ローナ聖堂。
その中でも特に立派な部屋の扉を、必死の形相で叩くものがひとり。
聖女の世話係にして、光の剣の預かり手――そして、異世界アーク・ゴルドにおいては魔王アリギュラの腹心の部下であった知将、メリフェトスである。
詰襟の上からでもわかる鍛え上げられた体に、気品と生真面目さが窺える凛とした面差し。知的な青紫色の瞳も相まって、10人が見れば10人がほうと溜息を吐く美形だ。
そんな彼が、扉に縋り付いて叫ぶ姿はなかなかシュールである。
ぴくりとも開く気配のない扉に、メリフェトスはなおも訴える。
「我が君、話を聞いてください! 私に、弁明の機会を!」
「寄るな、ケダモノ! あっちへ行ってしまえ!」
扉の向こうから返ってくる、取り付く島もない言葉。
けんもほろろにあしらうのは、言うまでもなく、異世界から召喚されし聖女にして魔王アリギュラである。
毛布でも被って小さくなっているのだろうか。もごもごと若干聞き取りにくい声音で、アリギュラは強い意志を滲ませ答える。
「わらわは金輪際、おぬしと会わぬ。おぬしのようなケダモノとは、一切の縁を断ち切るのであるぞ!」
「これには海よりも深く山よりも高い、のっぴきならない事情があるのでございます! でなければこのメリフェトス、あのように無粋な流れで、恐れ多くも我が君の無垢な唇を奪うなど……」
「思い出させるな、この痴れ者がーーーー!」
ぴっしゃあああんと、もう何度目かわからない『覇王の鉄槌』が、メリフェトスの上に落ちる。
そんなドタバタ騒動が、幾度となく繰り返された後。
「お目通り叶いまして、ありがたき幸せにございます」
白い修道服のあちこちから、ぷすぷすと煙を上がる。焼け焦げだらけのぼろぼろの姿で、メリフェトスは床に手をつき、頭を垂れた。
腹心の部下が目の前で地に頭をつける傍ら、アリギュラは頭からすっぽり毛布にくるまっている。そのまま彼女は、ベッドの上でふいとそっぽを向いた。
「何を言われても許さぬ。わらわ、初めてであったのに」
「……ていうか、本当の本当に、一度も経験なかったのですか? あの色気で? あの貫禄で? 150年以上生きてきて、一度もキスしたことないというのはさすがに……」
「うるさい。おぬしのようなケダモノと一緒にするな!」
「ですが、アリギュラ様ですよ? 眼差しだけで男を虜にし、腰砕けにするとまで言わしめた我が君ですよ? いくらなんでも、我ら四天王も知らない火遊びのひとつやふたつ……」
「じゃかあしいわ! 無いものは無いんだから、仕方がなかろう!?!?」
プライドもずたずたに、アリギュラは怒って枕を投げつける。それを無駄に整った顔面で受け止めつつ、メリフェトスは「おうふ……」と絶句した。ほかの四天王と共に散々ネタにしてきたくせに、どこかで「さすがに一度くらいは経験あるだろ」と高を括っていたらしい。
(こいつ……! 子々孫々まで呪ってやる!)
怒りと羞恥にぷるぷる震え、アリギュラはメリフェトスを睨む。そんな主に、メリフェトスは眉間を押さえて嘆息した。
「……それは、大変失礼をいたしました。我が君の恋愛経験値が幼児レベルであらせられるのは重々承知しておりましたが、一切ご経験がなかったとは……。私の認識が甘すぎたようです」
「えぐるな、いじめるな。どうせわらわは、恋愛経験ゼロの脳筋魔王だ」
「ですが、だとすれば尚更、私の行動は正しかったと言わざるを得ません」
いじける主人をまっすぐに見つめ、メリフェトスは断言する。いらっとしたアリギュラの頭上で、ばちりと電気の火花が散った。
「……おのれ、我が鉄槌を喰らい足りないと見えるな??」
「ま、『まほキス』には、聖女のパートナーとなりうる6人の男――攻略対象者が登場する。そのことは、覚えておいででしょうか」
いまにも怒りの雷を落としそうなアリギュラに、メリフェトスが慌てて続ける。
むっと、アリギュラは小さな唇を尖らせた。メリフェトスの所業は許し難いが、この世界の情報は欲しい。仕方なくアリギュラは一旦魔力を霧散させて、部下の言い分に耳を傾けることにした。
「ああ。たしか、王子のジークやら、その側近などがいるんだったな」
「左様にございます。王太子ジーク、近衛騎士アラン、王子の乳母兄弟で側近のルリアン。残りは第二王子や王宮魔術師など。先程の魔獣の襲撃は、そういった6人の攻略対象者のうち、どのルートに入るかの重要な分岐点だったのでございます」
聞き慣れない単語に、アリギュラは首を傾げた。
ルート。それは、分岐するパラレルワールドのようなものだという。どの攻略対象者をパートナーに選ぶか、それによって過程となる物語が大きく異なってくるらしい。
そのパートナー選びが、先程の襲撃の一幕の中にあったという。
「先程の襲撃、まほキスでは、聖女は攻略対象者のだれかひとりに助けを求め、一緒に魔獣を倒すイベントでした。そこで相手を光の剣の預かり手に任命することで、攻略ルートが決定されるのです」
「……は? つまり?」
「あのまま放っておけば、人間どもの誰かとアリギュラ様との恋愛ルートが、開かれてしまう恐れがあったわけです」
ぽかんと、アリギュラは呆けた。なるほど。つまりメリフェトスは、主に迫る恋愛フラグをへし折るために、あのような暴挙にでたということか。
けれどもすぐに、アリギュラはぶんぶんと首を振った。
「いやいやいやいや! わらわは、己ひとりの力で魔獣どもを追っ払ったではないか! 攻略対象者とやらの力を借りなかった時点で、恋愛フラグは折れていたのではないか?」
「違うのですよ、我が君。誰も選ばなかったら選ばなかったで、別のルートが開くのですよ。すべての攻略対象者が、あの時城や聖堂に集っていたわけではありませんから」
「じゃ、じゃが、誰も選んでないという意味では、今も同じじゃ……」
「選んだではありませんか。あの時、私を」
「……………は?」
「渡したでしょう。私に、光の剣を」
大きな目を、アリギュラはぱちくりとさせる。
――そういえば。
〝わらわはいらぬ。どうしても必要だというなら、おぬしが持っておれ〟
〝よろしいのですか。私が、聖女の剣の預かり主となっても〟
〝構うも何も、好きにせい。わらわには、ディルファングがあるからな〟
〝かしこまりました。アリギュラ様が、そうおっしゃるならば〟
魔獣を追い払った直後の会話が、脳裏に蘇る。言われてみれば、たしかにメリフェトスに聖剣を渡した。渡したというか、押し付けた。
アリギュラとしては深い意味はなかった。光の剣にはこれっぽっちも魅力を感じなかったし、いらないから適当にやっただけだ。
だが、たったいま聞かされたではないか。
聖女は、光の剣の預かり人を任命する。それによって、まほキスのルートが決定される、と。
さあぁぁっと、顔から血の気が引いていく。
攻略対象者は全部で6人。王太子。騎士。侍従。第二王子。魔術師。メリフェトスは、すでに5人の存在を明らかにしている。
では、あとひとりは誰だ。毎度適当に「など」といって誤魔化していた、最後の攻略対象者は。
まさか。もしかしたら。ひたひたと忍び寄る嫌な予感に、アリギュラは顔を引き攣らせた。
「め、メリフェトス? おぬし、まさか……?」
「そのまさかです、我が君」
動揺するアリギュラをまっすぐ見据え、メリフェトスは頷く。それから彼は胸に手を当て、はっきりと聞き間違えようもなく告げた。
「ここエルノア国における『私』は、聖女様の保護を任された一級神官。私がまほキスの、6人目の攻略対象者なのですよ」




