75回目 間章/ここまでの経緯 4
様々な問題を抱える異世界であるが、悪い事ばかりでもない。
資源の確保や産業の拡大による経済効果は大きい。
また、一人当たりの所得の拡大もあって、意外な事に結婚が増えた。
これらには出会いや巡り合わせも必要であるが、やはり踏み切るにはそれなりの所得も必要である。
付き合ってるだけならともかく、その後の生活も考えるならある程度の稼ぎは必要だ。
その問題は異世界においては簡単に解決出来る。
その為、結婚も思った以上に増加していった。
更に増えたのが新生児である。
結婚はしても所得と見合わせて子供を見合わせるる必要がなくなった。
数人くらいは余裕で抱える事が出来るだけの収入は誰もが持っている。
加えていうならば、拡大した生産量がインフレを抑え、物価を下げていってもいる。
生活の負担そのものが減る事も合わせて、各世帯の手元に残る金は多い。
その分養育費に回す余裕も出てくる。
その結果、新地道における出生数はうなぎ登りに上がっていった。
一家族に三人四人は当たり前。
五人六人というのも珍しくはなくなっていく。
人口減少という問題に直面していた日本は、新地道においてはその問題を解消していった。
この増大していく人口が、足りない労働力という問題を解決していく事になる。
時間はかかるが、着実に問題は解決されていく。
成長して労働力になるまでは、可能な限り機械化・自動化された工場が生産性を支えていった。
それもまた、貴重な労働力を割く部分の減少に貢献していく。
どのみち、手間のかかる部分の機械化は必要であり、人の代わりをつとめてくれるならその方が良いのだし。
また、こうした若年層の増大と相反するかのように見える事も行われていた。
本土にいる定年退職者などの招集である。
何せ知識も経験もない新地道である。
様々な分野で経験者は求められていた。
即戦力としてではなく、教師として。
彼等の経験の全てが役立つわけではないが、何も無い所に必要な知識や技術を導入するには欠かせない。
そういった者達から実務的な経験、生活の智慧など教科書にのらないやり方などを学びもした。
また、手順書や説明書のない状況なので、これらの作成などでも必要とされた。
彼等の知識や経験を資料として残す必要もあった。
研究施設や大学などにおいては、実際に指導者として後進の育成にあたらせもした。
高度な専門知識や技術が必要な分野だけではない。
末端の作業現場などにおいても同じであった。
どんな分野でも、それこそ底辺と見られるような場所でも、そこに合わせたやり方というものがある。
それらを身につけてる経験者や熟練者はどこでも必要とされる。
手順ややり方、コツなどを持ってる者達が経験を伝授する事で、作業効率が上がる事はある。
それらが社会全体から無駄を取り除き余裕を作り出していく。
若年層を育てる為に、古くからの者達の経験を集める。
新地道の初期において、これらはあらゆる所で行われていった。
これにより様々な技術や知識が新地道に渡る事になった。
そして、育った若年層が本土で必要とされる労働力に充てられていった。
いまだに出生率の低下を回復する事が出来なかった本土では、新地道生まれの若年層は必要とされていた。
ただ、新地道の者達が本土に定着する事はなかなか無い。
給与水準の高い新地道に比べて、日本本土は低い場合がほとんどであった。
同じような業務に従事するなら、待遇の良い所の方が良いというのが人情である。
このため、本土に就職した者が新地道に戻ってくる事が多発した。
さすがにこれを見て本土の企業も、待遇を改善していく事になる。
それでも新地道に届かない場合がほとんどであったが。
それでも幾らかは本土側に残りはした。
給与を含めた労働環境と、税金や社会保障費を差し引いた手取りが低くてもだ。
モンスターの事を考えないで良いのと、遊ぶ場所などが揃ってる事を理由として。
給与なども見直しが進められてもいたので、生活そのものに困る事は無い。
言うなれば、本土に残るのは気楽さを求める者が多かった。
その他で本土にやってくるのは、新地道側からの林間学校や修学旅行などの学校行事。
あるいは観光などの遊びの場合が多くなった。
一応は日本領土であるにしても、異世界にある新地道にとって日本本土はそれだけ遠く離れた場所であった。
もはや他国と見なせるほどの。