126回目 下々からしてみれば 5
「とにかく、休みの度に俺を引っ張り回すな」
「まあまあ」
一日が無駄に終わっていく。
うんざりするタクヤと、気にもとめないアマネ。
そんな二人はバギーに乗ってそれぞれの家へと向かっていく。
まずはアマネを送り、それからタクヤは帰路につく。
自室に入ると半日ほどを無為に消費してしまった事を悔やんでいしまう。
「……あの野郎」
アマネへの怒りやら憤りやらやるせなさやら、様々な負の感情を抱く。
もういっそ、休日も戻ってこないで済まそうかと思う程に。
こうして、つまらない事(タクヤ主観による)で休日を潰してしまう。
辟易してしまうが、それもまだ良いことであろう。
余裕のある証しではあるのだから。
タクヤもアマネも気づいてないが、こんな事をしてられるのもまだ世の中が平穏だからである。
敵が襲いかかり、その対応に追われているにしてもだ。
本当に余裕が無ければ休日もあり得ない。
毎日休む間もなく働き、それでも現状を保てるかどうか。
あるいは保つ事すらも出来ない。
それが追い込まれた状況というものであろう。
そこまで至ってないそれだけまだマシというものだ。
今この瞬間にも増大してる敵という存在を考えれば。
状況は刻一刻と悪くなっていく一方だ。
対抗する為に各所が様々な活動を続けている。
それらがどれだけ効果があるのかも分からないままに。
しかし、まだ最悪には至ってない。
予想される敵戦力からするべき事を逆算し、打てる手を全てうっている。
効果があるのかどうかも分からないではいるが。
それがあるからこそ、タクヤもアマネも休日を得る事が出来ている。
まだ、本当に悲惨というほどの状況には至ってないのだ。
もっとも、この休日も善意や慈悲だけで与えられてるわけではない。
それらも有るにはあるが、それよりも考慮されてるのは一人一人の疲労である。
肉体のみならず、精神の方の疲労を消散させる。
これが求められていた。
こんなものが残ったままでは労働力になりはしない。
全員が最善を尽くせるように、出来る限りの休息をとらせていく。
そんな計算の上で与えられてるものだ。
理由としては最悪かもしれない。
だけども、とりあえず人々の事を考えてるのは間違いない。
そうした理性があり、それを実行出来る余裕があるだけ状況は良い方である。
本当の末期は、かつて日本が経験した第二次世界大戦の時のような悲惨なものにしかならないのだろうから。
そこまで行ってないという程度であるが、それでも状況は最悪ではなかった。
そのはずである。
そんな事知るはずもなく、考える事もなく。
そもそも考える為の情報すらなく、きっかけもない。
知らないどころか知る由もない。
事情を理解してるのは、事を知る一部の者達くらいだろう。
それを除いたその他大勢はどうしても状況を把握しきれない。
蚊帳の外になってしまうからだ。
それも悪意によってではない。
情報が必ずしも行き渡らないからだ。
加えて、情報を適切に判断する能力や技術・知識がない事も多い。
状況を知ったとしても、それが何を意味するのか正確に把握する事は希だろう。
愚かというわけではない。
必要なものがあまりにも足りてないだけだ。
だから分かりようがない。
予想や推測も困難なほどに。
そんな多くの者達と同じように、タクヤは自分の周囲の状態を嘆くだけである。
ある意味、幸せかもしれない。
とりまく状況全てを知ってるよりは。
より大きな不安や絶望を抱かなくて住むのだから。
専ら、タクヤの問題はいくつかの小さな事に絞られる。
休日を無駄に使ってしまったこと。
その休みをアマネに勝手に使われかねないこと。
休み明けに始まる仕事のこと。
ついでに、アマネにせっつかれた家族への連絡のこと。
それらをどうするか考え悩んで、面倒になって眠りにつく。
そんな事に終始できるのは、もしかしたら特権なのかもしれなかった。