竜の生贄の恋
昔々――その山には竜が住むと言われていた。
竜は山の周辺の村々の天候を操り時に実りを、時に凶作をと好きな様に操っていた。
村々の住人たちは竜の機嫌を良くしてもらうため、あるものを出していた。
村の中の一番の器量よし、そして乙女。
有り体に、生贄を出していたのだ。
その娘は率直に美しいと言いがたかった。細く骨と皮と言われてもあぁと納得してしまいそうな痩身で、髪も色艶が失せ所々に白髪混じっていた。
だが、容姿に反して娘はどこか幼子めいた感性の持ち主だった。爛漫として笑えば独特の愛嬌が魅力的である、といえば頷かざるをえないだろう。
「なぁ、たえ」
神輿に乗っている娘に若者が声をかけた。たえと呼ばれた娘は相槌を打って促す。
「お前、怖くないのか?」
「どうして? お嫁さんの行く宛がない、私を貰ってくれるという旦那様がいらっしゃるのよ」
私幸せよ、にこりと笑む。
若者、太郎はこの二十を越した醜女を好いていた。ただ、思いを打ち明けることは出来なかった。若者は村長の息子であり、婚約者もすでにいるのだった。
悲劇が起こる、太郎は思った。
「荒神様に粗相の無いよう、すべて任せるのじゃよ」
たえは御輿を担いだ村長に伏して頷き、その時を待った。
たえは自分が人身御供に使われているとは思わなかった。無知ゆえに不幸を認識できない。直感があるわけでもない、ただ妄信的に自分の旦那様を待ち望んだ。
ところが一刻ほど待っても未来の相手は現れない。
声をからして呼ぶことも出来ない。村長に戒められていたからだ。
そして、日が暮れようとしたところ、何か気配がする。
たえがあたりを見回すと狼がいる。一匹だけでもたえを食い散らかすのにも十分だというのに、徒党を組んで囲んでいた。
ひっ、声を漏らしてしまう。狼は怯んだたえの不意をついて襲いかかった。
飛びかかる狼にたえは目を伏せてしまう。
だが、痛みが脳髄を駆け巡ることはなかった。遅れているのか、と思えばそんなことはない。
意を決して目を見開いてみる。
胴が長い蛇のような体躯、四足は離れてあり、赤い瞳をもった幾つもの昔話にある竜のような存在がたえを守ったのだ。
狼達が怯むのが見える。
助かった、ということに気がついてたえは腰が抜けてしまった。
「あ、ありがとう、ございます」
と反射的に例を述べ、そして尋ねる。
「貴方が、私の旦那様ですか?」
「人の仔よ」
喉を震わし、空気を伝って言葉にしている、というふうはなく頭に直接響いてくる声だった。
「帰るがいい、汝の役目は能わない」
「そんなことを言わないでくださいまし、ちゃんとお世話しますから」
「我は汝を食わん、それ故に天候を操り人に利するなど迷信である」
「山の中だろうと料理はできます、はい。私の取り柄は美味しい料理を作れることです」
「噛み合わぬな」
「ご、ごめんなさい。そ、それに帰れなんて言われても私に帰る場所が無いです」
口減らしの意味もあるんです、たえは竜に向かって言う。
言葉を聞き竜は目を細める。人間の哀れさと残酷さを思ったのだろう。
「なんでもしますから、お傍において下さい」
たえが頼み込むと竜は好きしろと応じ、たえを背に乗せて飛び立った。
一週間もするとたえは山の生活に馴染んでいた。竜は食事を摂るということが滅多になく、料理のしがいがなかったが、何か作ると食べてくれた。感想はうまいうまいという生返事だったが、たえはそれでも嬉しかった。
山の中には食材が豊富で運の良いことに晴れも続いたこともあって散策には手間取らなかった。
ある時又狼に襲われることがあり、例によって竜に助けてもらったことがあった。
「これをやろう」
首から垂らすだろう飾り物だ。竜の言葉によると山の動物達から襲われないための首飾りだそうだ。
それからいい天気が続いた。それがいけなかった、いい天気が続くということは寒暖の差が激しいということだ。山中ではそれが顕著だろう。
たえは風邪を引いてしまった。
「人里へ、別の人里へと連れて行ってやろうか?」
竜は尋ねる。藁で編んだ寝所でたえは笑って断る。
「旦那様に迷惑と言われましたら、たえは死んでしまうだけです。私はそれほど世渡りが上手いわけでも丈夫なわけでもないです」
竜は瞬きし冗談を言っているのだ、と思った。
「あれほど山野を駆けずり回る汝が、不健康とは」
「愛しい方には尽くすのが、女という生き物です、旦那様」
「我は人間ではないが、女というものは人にあらざる者であろうと愛を感じられるものなのか?」
「料理おいしいと言ってくれるじゃないですか、それだけで私は頑張れます」
そうか、そう言うと竜は暫し待て、とつぶやく。
しばらくして寝所に白髪に瞳の紅い青年が現れた。
たえは問う。
「旦那様、ですか?」
「そうだ」
やった、たえは歓喜をこぼす。竜はどうして喜んだ、と問う。
「私をお嫁さんと認めてくださったじゃないですか?」
「……女に男は勝てんな」
ボソリとこぼすと竜は寝所に入った。
「交わりはしない、安心しろ」
「それは、女としては魅力がないと言われたようで悲しいです」
「種が違うのだ、仕方なかろう。汝を温める、竜肌で悪いがな」
ありがとうございます、たえは嬉しそうに声を上げて眠りについた。
一方村では日照りが続き田畑の稲や野菜が枯れそうだ、という声が上がっていた。
村の会議ではやはりたえでは器量が足りなかったのではないか、だが一番の器量よしは性格が悪い、等と勝手なことを言っていた。
太郎は会議を抜け出し山に向かった。
たえが死んだことを誰も悲しんでいない。あまつさえその死に価値がなかったと言い合うさまは同じ人間であると思いたくないほど醜悪だった。
考え事をしながら太郎はつい深くまで山に潜ってしまった。
帰ろう、と思った時には、遅かった。
巨熊がそこにいた。
不意に転んでしまう。不測の事態に混乱するところだろうが、太郎も山には慣れており慌てても仕方のないことを知っている。
ゆっくりと目を合わせ熊が去るのを待った。
均衡が崩れたのは女の声がしてからだった。
「あれ? 太郎さん?」
声は大きかった。だが、熊はその声に恐れをなしたのだろう走り去っていった。
「たえ? お前死んだんじゃ?」
「ひどいなぁ、太郎さん。私幸せなんだよ?」
愛嬌ある顔だ、村にいた頃にも見せていた笑顔だが、太郎には少し違うように見えた。
自分を認めてくれる存在とともにいる、その充実感から浮かべることのできる笑顔。
「荒神様は良い夫か?」
えぇ、笑う顔には想い人への愛情が見え隠れする。そこに太郎は暗い感情が少し浮かぶ。
立ち上がろう、として太郎は足を挫いてしまった。
「すまないが、肩を貸してくれないか?」
いいよ、たえは喜んで太郎を抱えた。
太郎はその暖かさに嫌な予感を感じた。
しかし、止められない、そして止めようと思えない。
竜、荒神はたえが帰ってこないことを心配した。山中であれば獣避けの加護をかけた首飾りがある。どこかで怪我をしていれば獣達が荒神に教えてくれる。
つまり山を降りたのだ、そこに気づき荒神はひとまず安心する。山の近くにある村に降りたのだろう、と。
だが、不安は募る。それほどまでに彼女は自分の生活に必要なものになっていたのか、と思い荒神は参ったな、とつぶやく。
ふと、気がつく。荒神は山に複数の人間が入り込んだ感覚を得る。更にたえの獣避けの首飾りの感覚もある。
「三行半を突きつけられる、か」
人間たちがたえを返せと言ってきたのなら、荒神は返すことに寂しさは覚えるものの、それが自然であると思い静かに覚悟した。
ちょうどたえと出会った所に人間たちがつくと荒神はその場所まで飛び立った。
場にまで向かいながら荒神は違和感を感じた。
人間たちが去らないのは、何か荒神に話しをするためだろう。そこはいい。
だが、なぜ女が二人いる?
一人はたえだ。首飾りはたえにだけ纏えない。
もう一人の女の意味、そこを考えると荒神の脳裏に嫌な未来が見えた。
「荒神様」
山の中では叫びは響かない。山彦が起こる山ではないので、竜に木々が人間の声を届けている。
人間の声が続く。
「この不貞者は誅しました」
荒神は言葉の意味がわからなかった。
誰が不貞を犯した、という問と、誰を■した、という問が浮かぶ。
「もう一度、嫁すことで、どうかお恵みを!」
そして荒神は再会を果たす。
再会が生きている間のみを指すのならば、荒神は二度とたえに会うことは出来なかったのだが。
昔々、村は水没した。梅雨に台風が重なり、川は氾濫し田畑という田畑は水浸しになり、人家も流されるという悲惨な目にあった。
昔々、村人たちは流浪の旅に出ることを強いられた。村人たちはこの不幸を荒神の怒りに触れたと思い、自分たちの犯した罪から目を背ける。
昔々、その山には竜がいた。
昔々、その山から竜が消えた。
消えた理由は語られざる、昔々のお話でした。