少女達の注文
太陽がうっすらと顔を出し始め、周囲を明るく照らし始める頃。
町はずれの草原にて、激しくぶつかりあう、二つの人影があった。
対峙する二つの人影。一つは、少女の形を、もう一つの影は、男の形をしていた。
少女の形をした人影が、男の方へと突進し、拳を次々と繰り出していく。
だが、対する男は、突き出される拳を巧みに捌き、身体に当てさせる事はなかった。
「このぉ!!」
業を煮やした少女は、勢い良く、脚を振りぬく。
渾身の力を込めた、必殺の蹴り。
当たれば只では済まない、その蹴りを、それでも男は冷静に対処する。
相手の脚へと軽く手を添え、少女の姿勢を崩す。
「あっ!?」
少女が、焦りの声を上げた時には、既に遅かった。
バランスを崩された上、残った軸足も払われ、地面へと倒れこむ。
決着が着いた事を確認した男は、構えを解き、少女へと声を掛ける。
「まだまだだな……エル」
「やっぱり、ボクじゃ敵いませんよ、師匠」
戦っていた人影は、つい最近、師弟となったばかりの、スタンとエルだった。
スタンは、エルに鍛冶の技術を教えると共に、強すぎる力の制御を覚えさせようとしていた。
その一環として、毎朝、こうして組み手をする事にしたのだ。
「俺は師匠だからな。そう簡単に、負ける訳にはいかないさ」
スタン、そう言いながらも、自分の腕をさする。
エルの攻撃は、その見た目に似合わず、とてつもない威力が秘められている。
上手く捌けてはいるが、少し間違えば、医者の所へと担ぎこまれる事になるのは、間違いないだろう。
スタンとて、気を抜く訳にはいかなかった。
「それより、エル。お前、その恰好はどうにかならないのか?」
仰向けに倒れているエルへと、視線を向けるスタン。
彼女は、普段来ているツナギの上半分を脱ぎ、腰へと巻きつけている状態だった。
「実はその……サラシを巻かない状態だと、胸がきつくて、前が閉まらないんです……」
上体を起こし、恥ずかしそうに身をよじり、頬を赤らめるエル。
サラサに助言を受けて以来、彼女は、胸にサラシを巻くのを止めていた。
代わりに身に着けているのは、黒のタンクトップ。
しかし、それでは胸を抑える事は出来ず、ツナギの中には収まりきらなかったのだ。
「まぁ、普段は良いけど、鍛冶をやる時は、袖くらいは通しておけよ」
「分かりました、師匠」
はにかみながら、答えを返すエル。
スタンは、そんなエルへと手を差し伸べ、彼女の身体を引き起こす。
「それじゃ、朝食にするか」
程よく身体を動かした二人は、訓練していた草原を後にし、他愛のない話をしながら、自分達の店へと戻っていくのだった。
太陽の光が差し込む室内には、多くの音が溢れていた。
鍋の中でグツグツと踊る魚介類。リズミカルに刻まれていく野菜。そして、鉄板の上で弾ける燻製肉。
それらの音を指揮をし、纏め上げているのは、サラサであった。
役目を終えた調理器具が、その音を鳴り止ませると、辺りには、香ばしい匂いが立ち込めてゆく。
その香りに、納得の表情を見せるサラサ。
そんな彼女へと、声が掛かる。
「おはよう、サラサ。今日も良い匂いね」
「おはようございます、アリカお嬢様」
厨房の入口から声を掛けたのは、アリカであった。
室内に漂う良い香りに、アリカは満足げに目を細める。
「もう少しで、出来上がりますので、少々お待ちください」
「分かったわ。じゃあ私は、食器を用意しておくわね」
ウィルベール家の令嬢であるアリカは、本来であれば、そんな事をやる必要はない。
本家に居た頃には大勢の従者がおり、この家にはサラサが居るのだから。
だが、本人はそんな事を気にせず、むしろ、楽しんでやっている。
最初の頃こそ、サラサも渋ったものの、今では、アリカのやりたいようにやらせているのだった。
機嫌良さそうに、器を並べていくアリカ。
そんなアリカを眺めながら、サラサも料理の仕上げへと入っていく。
料理が完成し、並べられた皿へと綺麗に盛り付けられた時、最後まで寝ていた人物が、やっとの事で顔を出してきた。
「おはよう、セトナ。やっと出てきたのね」
「ふぁ……おあよう、アリカ……」
アリカの挨拶に対し、セトナは欠伸混じりの答えを返す。
普段は凛々しく、少女達の中でもしっかりとしているセトナだったが、その実、だらしない所も多々あった。
寝起きの今も、寝ぼけまなこを擦りつつ、フラフラとテーブルへと近寄っていく。
「仕方ないわねぇ」
ここ数日で、その事を知っていたアリカは苦笑し、セトナが席へと着くのを、手助けする。
「それじゃあ、いただきましょうか」
サラサも席に着いた事を確認すると、三人は、和やかな雰囲気の中、朝食を食べ始めるのだった。
席へ座っても、ぼんやりとしていたセトナだったが、料理の香りがその鼻へと届くと、意識を覚醒させた様だ。
尻尾を左右へと大きく動かし、獣の様に、目の前の料理へと食らいついていく。
その様子を、微笑ましそうに眺めつつ、アリカも自分の料理へと口をつける。
「そういえば、エルはまたスタンの所?」
「はい、お嬢様。朝稽古をして、そのまま向こうで朝食を取るそうです」
「そうなのね。無理矢理この家に連れてきた私が言うのも何だけど、エルも大変よね……」
先日、エルがスタンの正式な弟子になった時、問題となったのが、エルの住む場所だった。
頑なに、スタンと一緒に居ると主張したエル。
断固反対するアリカ。
そして、あわよくば、自分もスタンの店へと戻ろうとしたセトナ。
三人の話し合いは混沌を極め、決着の着かぬまま、いつまでも続くかと思われたが、
「俺の店に、二人寝泊まりさせるのは厳しいな」
このスタンの一言により、状況は大きく変わった。
自分が戻る事が叶わないと知ったセトナが、アリカへと味方したのだ。
「師匠……」
「ま、諦めるんだな、エル」
敬愛する師匠からも諭され、遂にエルは、スタンの店を出る事になった。
そして、エルが住む事になったのは、セトナ同様、アリカの家。
「お爺様の、お節介のおかげで助かったわね」
アリカの祖父であり、ウィルベール商会会長のハンネスは、孫に不自由が無い様にと、大きめの屋敷をアリカの為に用意していた。
それ故、エルを受け入れる余裕が、アリカの家にはあったのだ。
「毎日、早くにスタンの所に行って、夕食を食べてから帰って来る……本当に寝に戻るだけよね、エルは」
「それが、職人というものですから」
「それはそうだけど……」
不満げに口を尖らせるアリカ。
同じ場所に寝泊まりするという、最大の懸念事項は防いだのだが、スタンとエルが、一日中、一緒に居ると思うと、少し胸がざわつくのだった。
「それでしたら、朝晩の食事を、こちらで取ってもらうというのは、いかがでしょうか? それなら、お嬢様とスタン様が、一緒に居られる時間も多くなりますし」
「な、何でスタンの話になっているのよ! 私は、エルがあまりこの家に居ないって事を話していたのに……」
「そうでしたか、申し訳ありません、お嬢様」
アリカに対し、頭を下げるサラサ。
だが、その口元は、楽しげに緩んでいた。
「もうっ!」
サラサに胸中を見透かされていることを悟ったアリカは、頬を膨らませ、そっぽを向いてしまう。
その様子を微笑ましく思いつつも、サラサはアリカの機嫌を直す為、彼女の好物のデザートを用意するのだった。