弟子の注文 8
粉々になり、大地へと降り注ぐ魔物の甲羅。
その中には、魔物の背から投げ出された、エルの姿も混ざっていた。
魔物を倒す為に、全ての力を振り絞ったエルには、もう身体を動かす力は残っていない。
このままでは、地上へと叩きつけられるのを、待つだけだった。
しかし、疲れ果てたエルの心の中を占めていたのは、宙へと投げ出された事への恐怖ではなく、
(師匠、見ていてくれましたか)
スタンの言いつけを守れた事への、満足感だった。
疲労が、エルの身体を蝕んでいき、その意識を薄れさせてゆく。
地面が間近へと迫る中、エルは静かに目を閉じる。
直後に、自分の身へと起こる事を、覚悟しながら。
しかし、エルの身体を襲った衝撃は、柔らかなものだった。
冷たい大地へと投げ出されたはずなのに、その身体は、温もりに包まれていた。
疑問に思ったエルは、うっすらと目を開ける。
そこに映ったのは、尊敬する師匠の顔。
「よく頑張ったな、エル」
その温かな言葉に喜びを覚えつつ、エルは今度こそ、意識を手放した。
「エルは大丈夫なの? スタン」
エルを抱えて歩くスタンに対し、アリカが心配そうに声を掛ける。
「ああ、目立った傷はないし、疲れて眠っているだけだろう。念の為、あとでサラサに検査して貰う事にするさ」
そのサラサは、セトナと共に、エルの使っていた戦鎚を拾いに行っていた。
「凄い重さだな、これは……」
「……そうですね。エル様は、本当に凄いです」
四苦八苦しながらも、戦鎚を運ぶ二人。
スタンの前まで持って来た時には、へとへとになっていた。
「すまないな、二人とも」
「別に、大した事ではない」
スタンに答えつつも、セトナは呼吸を整える。
「エルは、よくこんな物を、軽々と振り回せるものだ」
「そうだな……。セトナ、一つ聞いてもいいか?」
エルが良く寝ているのを確認してから、スタンはセトナへと問い掛ける。
「お前は、エルの力が怖いと思うか?」
もちろんスタンは、セトナ達がエルの事を怖がっているとは、思っていない。
だが、魔物どころか、大地すら砕くエルの力を見た後の、彼女達の考えを、改めて聞いておきたかったのだ。
「なぜ、怖がる必要があるのだ?」
スタンの質問に、セトナは平然と答える。
怖がる理由など、何もないと言う様に。
「あの力は危険だとは思わないか? エルに殴られたら、あの魔物よりも酷い事になるぞ」
「エルが、意味もなく暴力を振るうとは思えないがな」
スタンの仮定を、セトナはバッサリと切り捨てる。
「それに、いくらエルの力が強いとはいえ、エルに負けるほど、私は弱くない」
エル程の力が無いセトナでも、人を傷つける事は出来る。
要は、力を持つ者の心構えの問題なのだ。
「そもそも、そんな事を言いだしたら、エルよりも、魔術を使うアリカの方が危険ではないか」
「ちょっと、セトナ!? 人の事を、危険人物扱いしないでよ!」
突然、話題に上げられたアリカは憤慨し、セトナへと詰め寄る。
「私のどこが危険だって言うのよ!」
「……この前、アリカがやった魔術の実験で、私の尻尾が、少し焦がされたのだが?」
「うっ!? それに関しては、私が悪かったわよ……けど、危険人物扱いは酷いわ!」
アリカとセトナが、スタンをそっちのけで、口喧嘩を始める。
(仲が良いのは結構な事なんだが、騒がしくするのは勘弁してくれ。エルの目が覚めるだろうが……)
そう思ったスタンは、オロオロしているサラサに目配せし、そっと、その場を離れて行く。
「あの……放っておいて良いのでしょうか」
スタンの後を付いてきたサラサが、心配そうに後ろを振り返る。
アリカとセトナの二人は、口論に夢中で、スタン達の行動には、気付いていない様だ。
「あの二人なら、問題ないだろう? それより、エルを休ませる場所を探したいんだが、手伝ってくれるか、サラサ?」
「……分かりました、スタン様」
「ご心配をお掛けして、申し訳ありませんでした」
暫くして、目を覚ましたエルは、皆へと頭を下げた。
「いや、無理をさせたのは俺なんだ。エルが謝る必要はないさ」
エルに頭を上げさせるスタン。
顔を上げたエルが見たのは、微笑みかけてくれる、皆の顔だった。
皆の温かな感情に触れ、エルも笑顔を見せる。
「ところで、スタン。これって、エルの試験だったんでしょ? 結果はどうなの?」
だが、次のアリカの言葉に、エルは笑顔のまま凍り付いてしまう。
固まってしまったエルに苦笑いしつつも、
「ああ、もちろん合格だ」
スタンは結果を口にする。
「エルがあれだけ頑張ったんだ。文句なんてあるはずがないさ」
「師匠……」
エルが魔物へと、再び挑んだ時点で、スタンは既に決めていた。
自分は師匠として未熟かもしれないが、そこは、弟子と共に頑張れば良い。
エルが困難に挑んだように、自分も、困難へと挑むのだ。
「エル、お前は今日から、俺の正式な弟子だ。まぁ、俺も師匠としては未熟だが、お前が一人前になるまでは、しっかり面倒を見てやるさ」
「師匠……ありがとうございます!」
スタンの言葉に、嬉しそうに涙ぐむエル。
アリカ達は笑顔で、次々と、エルに祝いの言葉を掛けていく。
こうして、スタンとエルは、正式な師弟となったのだ。
「そうだ、サラサ。エルの身体の具合を見てやってくれないか。大きな怪我はしてないと思うが、念の為にな」
エルが落ち着いたのを見計らい、スタンはサラサへと、エルの検査を依頼する。
「分かりました、スタン様」
「師匠、別にそんな事しなくても、ボクは平気ですから……」
「いいや、ダメだエル。師匠の言う事はちゃんと聞くように」
検査を拒むエルを、スタンは強い口調で窘める。
「スタンだって、自分の傷とかには無頓着なくせに、よく言うわね」
「ああ、まったくだな」
呆れた様にアリカとセトナが呟くが、スタンは聞こえないふりをして、話を進める。
「じゃあ、サラサ。俺は向こうの木の陰に居るから、任せたぞ」
「お任せ下さい、スタン様」
エルの事をサラサに任せ、木の陰へと移動するスタン。
「何でスタンは、わざわざ向こうへ行くの?」
その様子に疑問を持ったアリカだったが、その答えは、すぐに明らかになった。
エルは、ツナギの前を開け、袖から腕を引き抜くと、脱いだ部分を腰の辺りまで下ろしていく。
露わになったエルの上半身を目にし、アリカは唖然としてしまう。
エルの胸元には、何重にも白い布が巻かれていた。
その布の下に、アリカにとって、信じられないものがあったのだ。
「エル……あなた、その胸は……」
「え? 胸ですか? ああ、作業の邪魔になるので、いつもサラシで抑えているんですけど」
抑えつける様に、きつくサラシが巻かれている、エルの胸。
服の上からでは分からなかったが、女性特有の膨らみが、そこにはあった。
「エル様、いけません。サラシで抑えつけていては、身体に良くないです」
混乱するアリカをよそに、サラサが冷静に指摘する。
「ちょっと待って、サラサ! 何で貴方は平然としてるの!?」
「何でと言われましても……」
驚き、慌てているアリカの様子に、サラサは、逆に首を傾げる。
「やっぱりそうか……アリカは、エルの事を男だと勘違いしていたんだな」
そこに居た、もう一人の少女。セトナも、エルの身体を見ても、驚きはしなかった。
「やっぱりって、セトナは知っていたの!?」
「ああ、匂いでな。男と女では、結構、匂いが違うものだ」
答えるセトナの尻尾を見て、アリカは思い出していた。
クルガ族の嗅覚が、普通の人間よりも、優れている事に。
「そ、んな…………そうだ、スタン! スタンはこの事を知っていたの!?」
スタンが木の陰へと移動した事を考えれば、自ずと答えは分かるはずなのだが、今のアリカには、それを考える余裕がなかった。
「ああ、知ってたぞ。ずっと一緒に店に居るんだ。知らない訳ないだろ?」
聞こえてくる声に、打ちひしがれるアリカ。
エルが女性だと気付いていなかったのは、自分だけだったのだ。
「アリカこそ、どうしてエルが男だと思っていたんだ?」
「だって、女性が鍛冶職人になるなんて、思わないじゃない!」
「確かに、この国では少ないかもしれないな。けど、まったく居ないと言う訳でもないんだぞ?」
スタンの言葉を聞き、頭を抱えるアリカ。
信じられない出来事のせいで、アリカの頭は、もはや暴走寸前だった。
「やっぱりダメよ、エル! スタンの弟子になるのはダメ!」
「そんな!? どうしてですか、アリカさん! ボクの事を応援してくれていたのに……」
勢いで飛び出したアリカの言葉に驚き、エルは泣きそうな顔になってしまう。
「それは……弟子になったら、スタンと一緒に暮らす事になるから……」
そのエルの表情を見て、少し冷静さを取り戻したアリカは、反対の理由を口にする。
しかし、その声は小さく、誰の耳にも届く事はなかった。
「どうしても……ダメですか?」
涙目で、懇願するエル。
その姿は、意地を張るアリカの心を折るには十分だった。
「う~……わかったわ。弟子になるのは良いわ。けど、一緒に暮らすのはダメよ!」
最大限の譲歩を提示するアリカ。
だが、
「そんなのダメですよ! 弟子は師匠と寝食を共にし、常にお世話をするものです!」
今度はエルが譲らなかった。
互いの意見をぶつけ合う、アリカとエル。
「あの、お二人とも……落ち着いて下さい。エル様、そんなに動いては、サラシが解けて……」
「エルが店に住むと言うのなら、私もあの店に戻って、問題無いと思うのだが?」
そこへ、サラサとセトナが加わり、更に場を混沌とさせる。
木の陰で様子を伺っていたスタンは、疲れた様に、木へと寄りかかると、
「また、騒がしい事になりそうだな……」
一人、ため息をつくのだった。
~弟子の注文・了~




