弟子の注文 7
スタンに送り出されたエルは、全速力で魔物へと向かって行く。
(疲れていたはずなのに……身体が軽いや)
身体の疲労は、確かにある。
だが、エルの気持ちは今、驚くほど軽くなっていた。
後ろでは、スタンが見守ってくれている。
その事が、エルの速度を、さらに加速させた。
魔物が前脚を上げ、近付く人間を押し潰そうと、襲い掛かる。
しかし、エルは構わずに、前へ前へと進んで行く。
「エル!?」
見守っていたアリカ達が、避けようとしないエルの姿に、悲鳴を上げる。
己が頭上へと影を落とす魔物の脚。エルは、それを見据え、足を踏ん張ると、
「でえぇい!!」
構えた戦鎚を振るい、魔物の脚を迎撃する。
迫りくる脅威へと、勢い良く激突する戦鎚。
互いの激突から生まれる、一瞬の均衡。
「うりゃあぁぁぁぁ!!」
しかし、戦鎚は止まらず、そのまま魔物の脚を弾き返した。
「嘘でしょ……」
エルの攻撃に、よろける魔物の姿を眺め、アリカは呆然と呟く。
一緒にいたセトナとサラサも、目の前の光景が信じられなかった。
「力が強いとは思っていたけど、あそこまでなんて……」
「ああ、エルはどれだけの怪力なんだ……」
エルは、先程とは違い、優勢に戦いを進めていた。
(これなら、いける!)
魔物の攻撃を躱し、時には打ち返し、徐々に魔物を追いつめてゆく。
(見ていて下さい、師匠!)
戦鎚を振り回しながら、エルは昔の事を思い出す。
力に気付いたきっかけは、些細な事だった。
それは、まだエルが幼く、両親が生きていた頃の事。
エルが、仲の良い友人達と遊んでいた時に、近所でも有名な、悪戯好きの少年が、からかってきたのだ。
悔しくて、悲しくて、幼いエルは、その子供の事を、全力で突き飛ばした。
小さな身体のエルでは、体格の良い少年に敵うはずがない。
見ていた周りの子供達は、誰もがそう思っていた。
だが、その予想に反し、突き飛ばされた少年は、勢い良く転がっていき、近くの民家へと激突していった。
その場に居た誰もが、息を呑んだ。
幸いな事に、少年の命に別状は無く、エルが罪に問われる事は無かった。
しかし、その話を聞いた大人達は、エルの力を恐れ、子供達から遠ざけようとしたのだ。
それでも、仲の良い友人は、親の目を盗み、エルに会いに来てくれた。
だが、エルが力の加減を誤り、失敗や事故を繰り替えす度に、一人、また一人と離れて行ってしまう。
力の事を知り、最後までエルの傍に居てくれたのは両親だけだった。
その両親も、既に他界し、この世には居ない。
力のせいで、エルの周りには、誰も居なくなってしまったのだ。
自分の力は、常人とは違う。
この力の事を知られれば、誰もが恐れ、自分から離れて行くと、エルはそう思っていた。
本当ならば、人里離れた場所で、誰にも関わらず、ひっそりと暮らした方が良いのかもしれない。
しかし、優しくしてくれた両親の店を、あの温かかった空間を、エルは取り戻したかった。
だから、自分の力を隠し、スタンへと弟子入りしたのだ。
恐れられぬよう、追い出されないよう、自分の力をひたすら隠そうとした。
だが、
(師匠は、ボクの事を怖がらなかった)
力の事を知っても、自分の事を弟子だと言ってくれた。
それは、まだスタンの下で、修行をしても良いという事。一緒に居ても良いという事だ。
ならば、弟子として、師匠の期待に応えなければならない。
再び迫った魔物の前脚を、エルは渾身の一振りで打ち返す。
もはや、力を抑える必要はないのだ。
エルの一撃を受けた魔物は、今まで以上の痛みを味わったのか、苦悶の咆哮を上げた後、頭と脚、露出していた全ての部分を収納し、甲羅の中へと立て籠った。
「まずいわね。いくらエルの力でも、甲羅の中に入られたら、手の出しようがないわ」
アリカの言葉に、セトナとサラサも首を縦に振る。
強固な甲羅に籠られてしまえば、魔術を使えないエルには、打つ手がない。
見ていた少女達は、皆、そう思っていた。
そんな彼女達の思いに構うことなく、エルは魔物へと近付き、一撃をみまう。
地響きをたて、振動する魔物の巨体。
しかし、魔物に効いている様子はなかった。
何事もなかった様に、甲羅へと籠もり続ける魔物。
効果が薄いと判断したエルは、少し考えた後、いきなり、魔物の身体へとしがみ付き、その巨体を駆け上がり始めた。
どうするつもりなのかと、アリカ達が見守る中、甲羅の頂点へと到達したエルは足を止める。
そして、戦鎚を大上段に構え、渾身の力と共に、足元へと振り下ろす。
甲羅と、戦鎚とがぶつかり合い、火花を散らせるが、甲羅を傷つけるには至らなかった。
その結果にめげる事なく、エルは戦鎚を振るう。
二度、三度。
振るう度に、さらに力を込め、魔物の巨体を揺るがしていく。
しつこい人間に苛立った魔物が、甲羅の中から、威嚇する様に唸り声を上げる。
だが、それでもエルは止まらない。ひたすら戦鎚を振り下ろす。
四度目、五度目。
甲羅を打つ度に、戦鎚を持つ腕にも衝撃が走ったが、エルは、歯を食いしばり、さらに力を込めていった。
そして、六度目の衝撃が、甲羅へと放たれた時。
ピシリッ、という小さな音と共に、魔物の甲羅へと小さな亀裂が走った。
思わぬ事態に驚いた魔物は、慌てて四肢を出し、暴れ出す。背中にいる脅威を振り落とす為に。
しかし、その行動は遅すぎた。
呼吸を整えたエルは、大きく息を吸い、戦鎚を振り上げる。
(師匠、見ていて下さい)
そして、己の想いと共に、
「これが、ボクの全力です!!」
魔物の背へと、振り下ろした。
辺りへと響く轟音。
己の全てを懸けたエルの一撃は、魔物だけでなく、その下の大地をも穿った。
陥没する大地へと、身を沈める巨大な魔物。
一瞬の後、何かが剥がれるような音と共に、甲羅へと亀裂が広がって行く。
そして、魔物が上げる断末魔と共に、恐るべき硬さを誇った甲羅は、粉々に砕け散っていくのであった。