弟子の注文 6
「さて、ここらに居るはずだが……」
魔物を蹴散らし、湖のほとりへと来たスタンは、辺りを見回し、目当ての魔物を捜す。
目的の魔物は、すぐに見つける事が出来た。
遠くからでも一目で分かる、小山程の大きさの亀。
これが、スタンが捜していた魔物だった。
「大きいですね……」
大型の魔物を見慣れていないエルが、感嘆の声を上げる。
「エル、これがお前への試験だ。この魔物を倒してみろ」
「この魔物をですか……分かりました! やってみます、師匠!」
一瞬、戸惑ったエルだが、師匠の言いつけに、すぐに従う。
そんなエルを、微笑ましく思いつつも、スタンは心を鬼にする。
これから告げる言葉は、エルを傷つけるかもしれないからだ。
「戦う前に、一つだけ良いか」
「はい、何でしょうか、師匠」
師匠の言葉を聞き洩らさぬ様、耳を傾けるエルだったが、
「お前の全力を、俺に見せてくれ」
スタンの思わぬ言葉に、息を呑んでしまう。
「師匠、それは……」
「エル、お前が自分の力を隠したがっている事も、恐れている事も分かっている」
甘えを出さない様、自分の感情を抑えるスタン。
「だが、敢えて言わせてもらう。全力を出して戦え、エル。それが出来なければ、お前を弟子にする事は出来ない」
「師匠……」
「話はそれだけだ」
冷たい宣告に困惑するエルを残し、スタンは、他の少女達を連れ、後方へと下がって行く。
ただ一人残されたエルは、見送る事しか出来なかった……。
「一人で戦わせて良いのか? 危険ではないか?」
魔物から距離を取ったセトナは、スタンへと問い掛ける。
スタンの事を信頼はしているが、今回に関しては不安もあった。
「あの魔物の動きは遅い。エルなら避けられるはずだ」
もちろん、エルが危険になった時には、スタンは助けに入るつもりだ。
「しかし、お前の言葉で動揺している様だぞ。本当に大丈夫なのか?」
スタンの言葉に納得できず、セトナは尚もスタンへと食って掛かる。
それ程、エルの事が心配だったのだ。
「安心しろ、セトナ。エルを見捨てるつもりは無い。危険な時は、俺が身体を張ってでも助けてみせる」
「それはそれで、今度はお前が心配なのだが……」
スタンの言葉に、ため息をつくセトナ。
エルの身に関しては安心したが、今度は別の不安が出来てしまった。
「けど、あの魔物を倒すのは難しいんじゃない?」
そんなスタン達の会話に、アリカが入ってくる。
「だって、あの亀って……凄く硬いでしょ?」
「そうですね」
サラサも、首を縦に振り、アリカの言葉を肯定する。
「いくら力が強いとはいえ、魔術を使えないエル様が、あの魔物を倒すのは、難しいと思います」
「まぁ、そうだな」
サラサの言葉を、スタンも肯定する。
あの魔物の甲羅は、恐ろしく硬い事で有名だった。
魔術を使えるのならばともかく、剣や槍といった武器で、倒す事は難しいのだ。
スタン達が下がった後、エルは、気持ちを切り替え、魔物と対峙していた。
(今は、この魔物に集中しないと!)
だが、頭では分かっていても、心は、そうはいかなかった。
先程よりも、その動きは鈍く、精彩を欠いている。
そんなエルに対し、容赦なく迫る亀の魔物。
巨大な前脚を持ち上げ、獲物を叩き潰そうと狙いを定める。
だが、スタンの予想通り、魔物の攻撃は遅く、動きの鈍っているエルでも、なんとか避ける事は出来た。
「このぉ!!」
反撃に、戦鎚を振るうエル。
しかし、魔物は即座に足を引っ込め、甲羅の中へと収納してしまう。
ならばと、甲羅へと打ちかかるエルだったが、打撃力に優れた戦鎚でも、その甲殻を打ち破るのは、容易ではなかった。
「やはり、エルには荷が重かったのではないか?」
エルと魔物の戦いの様子に、やきもきするセトナ達。
「いくら力が強いと言っても、やっぱり、あの魔物を倒すのは無理よ。何であんな無茶な事を言ったの、スタン?」
「……別に、エルがあの魔物を倒せなくても、構わないさ」
アリカの質問に対し、驚くべき答えを返すスタン。
他の少女達も、戸惑った表情を浮かべる。
スタンは、そんな少女達に対し、自分の狙いを明かす。
「ただ、エルに全力を出させる、きっかけになればと思ってな」
「さっき、スタンがエルに言ってた事?」
「そうだ。アイツに、本気の力を出させる。その点で、あの魔物はうってつけだからな」
スタンに言われ、アリカ達は、改めて魔物を観察する。
防御力に秀でた強固な甲羅。その分、動作は遅く、脅威になる攻撃方法はない。
スタンの言う通り、エルの力を引き出すには、適した魔物かもしれない。
「問題は勝ち負けじゃない。エルが全力を出せるかどうかなんだ」
魔物と戦うエルを、スタンは厳しい表情で見守り続ける。
今のスタンには、それしか出来ないのだから……。
戦闘に慣れていないエルは、迷いもあり、体力の消耗が激しかった。
戦鎚を振るう腕が鈍り、足元も段々覚束なくなってゆく。
エルが、危機へと陥るのに、そう時間は掛からなかった。
「うわっ!?」
地面へと足を取られ、転倒してしまうエル。
倒れたエルを踏み潰そうと、魔物が追撃の構えを取る。
「炎よ、我が敵を打ち払え! 火炎球!」
しかし、後方から飛んできた炎と矢が、魔物へと襲い掛かり、その追撃を阻む。
その隙に、エルの下へと駆けつけたスタンは、エルを抱え、魔物から距離を取るのだった。
「すみません、師匠」
魔物から十分に距離を取った後、エルは、戦鎚を手放し、その場へと座りんでしまった。
「いや、良いんだ」
スタンも、近くへとしゃがみ込み、エルの様子を確認する。
エルは心身ともに疲れ果て、普段の明るさは見る影もない。
それでもスタンは、師匠として、エルに聞かねばならなかった。
「なぁ、エル。そんなに全力を出すのは恐いか?」
スタンの質問に、エルは、ピクリと肩を震わせる。
「師匠、ボクは……」
目を逸らし、何かを言おうとするエル。
スタンは、そんなエルの方へと腕を伸ばし、エルの頭へと、優しく、その手を乗せる。
「師匠?」
突然、頭を撫でられたエルは、スタンの方へと視線を戻す。
それを確認したスタンは、
「エル、火って便利だよな?」
「え?」
とりとめのないを事を、話し始める。
突然言われた事が理解できず、エルはポカンとするだけだった。
そんなエルに構わず、スタンは話しを続ける。
「鍛冶の時にも使うし、料理の時にだって必要になる。他にも、色々な所で役に立つ、便利なものだよな」
世間話の様に、軽い表情で話し続けるスタン。
「けどな、同時に、危険でもある。うかつに触れれば火傷をするし、ひとたび燃え上がれば、何もかも焼き尽くしてしまうしな」
スタンが何を伝えたいか分からないエルは、ただ頷く事しかできなかった。
「だけど、火はもう、人の生活からは切り離せないものだ。危険だからって遠ざける事はできない」
表情を改め、スタンは真剣な眼差しで、エルを見詰める。
「お前の力も同じだエル。その力は、お前から切り離す事は出来ない」
そのスタンの言葉に、エルは泣きそうな顔になる。
エルにとって、辛い事を言っているのは、スタンにも分かっていた。
だからこそ、スタンは厳しい表情で、エルへと語るのだ。
優しく教えるだけでは、人を導けない時もある。
時には、厳しくする事も必要だ。
それ故、スタンはエルへと厳しい試練を課した。
エルが恐れている事を取り除き、成長させる為に。
その結果、エルに嫌われる事になろうとも、スタンは構わなかった。
何故なら、スタンは師匠として、エルと真剣に向き合うと決めていたからだ。
「だから、向き合え、エル」
エルの頭から手を離し、スタンはゆっくりと立ち上がる。
「恐れるな。怯えるな。自分の力と向き合え、エル。俺は、その手助けをしてやる」
そして、座っているエルへと手を差し伸べる。
「師匠……師匠は、ボクの力が怖くないんですか?」
差し出された手を、不安気に見詰めるエル。
この手を掴んでも大丈夫なのかと、その瞳は聞いていた。
「バカな事を言うなよ」
そんなエルの不安を、スタンは軽く笑い飛ばす。
「どんな力があろうと、エルはエルだ。まだ短い付き合いだが、お前が良い奴だってのは分かっているさ」
その言葉と、その笑顔に魅かれ、エルは恐る恐る、自分の手を伸ばす。
「だから、怖がるなエル。俺がお前を怖がる事は無い。なんてったってお前は、俺の初めての、可愛い弟子だからな」
伸ばされた、その手を掴み、スタンはエルを立ち上がらせる。
繋がった手から伝わる、温かな想い。その想いが、エルに勇気を分け与える。
立ち上がり、スタンの顔を、正面から見詰め返すエル。
その表情に、もはや迷いはなかった。
エルの表情に満足したスタンは、足下へと落ちていた戦鎚を拾い、目の前の弟子へと託す。
「さぁ、行けエル。お前の力を見せてみろ」
「はい、師匠!」
戦鎚と共に、師匠の想いを受け取った弟子は、その想いと共に、魔物へと向かい、駆け出して行った。