老人の注文 11
「ほらよ、爺さん。こいつが品物だ」
依頼の最終日。
朝から作っていたナイフは、予定通り、夕方には仕上げる事に成功した。
完成した依頼の品を、爺さんへと差し出す。
「うむ、確かに。では、これが代金じゃ」
受け取った爺さんは、代わりに、硬貨の入った革袋を二つ、俺の方へと寄越してくる。
「はいよ、確かに」
中身を確認した俺は、片方の袋だけを受け取り、もう一つの袋を、爺さんの手元へと送り返す。
「……どういうつもりじゃ?」
返された袋を手にした爺さんが、怪訝そうな顔で、こちらへと尋ねてくる。
「なに、ただの割引だよ。爺さんの孫娘とは、知らない仲でもないしな」
俺のその答えに対し、爺さんは、静かに目を細める。
「ほぅ、予定を変えたあたりから、もしやとは思っていたが……儂の事を知ったのじゃな?」
「ああ、爺さんの顔を知ってる奴がいてな。爺さん、有名なんだから、もう少し気を付けた方がいいぞ?」
おどけて話す俺とは対照的に、爺さんの表情は硬くなっていく。
眼差しの鋭さが増し、身体中から圧力が溢れ出してくる。
一緒に旅をした好々爺は、最早、その場には居なかった。
今、目の前に居るのは、国内最大の商会を作り出した、偉大なる老商人、ハンネス・ウィルベール、その人なのだ。
「成程な。じゃが、一つ分からん事がある。儂の事を知ったのだったら、普通はもっと吹っ掛けてくるもんじゃぞ?」
今までと、さして変わらない、穏やかな口調。
だが、その言葉に掛かる圧力は、確かに増していた。
(これが、この国一番の商会を仕切る、爺さんのもう一つの顔か)
気の弱い者だったら、委縮してしまう様な威圧感。
実際、スタンの後ろにいたセトナは、その身を硬くしている。
だが、スタンは、
「割引の理由はさっき話しただろう? 他に値段を変更する理由なんかないさ」
肩を竦め、普段と変わらぬ様子で、老人へと話し掛けていた。
そんなスタンの様子を、じっと見据えていたハンネスだったが、
「そうかそうか、お主にとって、儂はウィルベール商会の会長ではなく、あくまでアリカの祖父なんじゃな」
フッと表情を緩めると、愉快そうに笑いだす。
場を支配していた圧力は消え、その事に、セトナは安堵の息を吐き出す。
「分かった。代金の件については、お主の好意に甘えるとしよう」
スタンの行動に納得し、戻された代金を懐へと仕舞うハンネス。
「その代わり、困った事があったら、いつでも儂に相談すると良い。なに、孫と懇意にしてくれておる礼じゃ。それくらいのお節介は、させてもらうぞ?」
老人は、ニヤリと笑って宣言すると、そのまま店を後にするのだった。
「さて……」
注文の品は、無事に仕上がった。
あちらは問題ないだろう。
だが、
「セトナ、次の仕事に移るぞ」
やるべき事は、まだ終わっていないのだ。
(今夜は、長い夜になりそうだな……)
「ん~……やっと戻ってこれた~!」
町から離れて数日、アリカ達は所用を終え、ようやく町へと戻ってくる事が出来た。
馬車から降り、凝り固まった身体をほぐす様に、伸びをするアリカ。
(一休みしたら、早速スタンの所に行かないとね)
もちろん、セトナの件を忘れてはいなかった。
理由はどうあれ、若い男女を一緒の家になど、住まわせておける訳がない。
(そうよ、これは意地悪とかヤキモチとかじゃなく、常識的に当然の事よね)
心の中で、理論武装し、気合を入れる。
別に大して疲れてもいないし、今からスタンの店に突撃しても良いのでは? と、アリカが考え始めていると、
「お嬢様、お疲れの所、大変申し訳ありませんが、まだ一つだけ、お嬢様にやって頂きたい事がございまして……」
エバンスが恭しく頭を下げてくる。
せっかく意気込んでいたアリカだったが、そのせいで気勢が削がれてしまう。
「この町でやる事? 今度は何をやらせる気なの?」
「ついて来て頂ければ、お分かりになります」
まだやる事があるのかと、うんざりした目で、エバンスを見るアリカ。
そんなアリカの視線をものともせずに、エバンスは、アリカを先導する様に、歩き出す。
渋々とエバンスに付いて行くアリカと、それに黙ったまま付いて行くサラサ。
連れて行かれた先は、二人の予想外の場所だった。
「こちらで御座います」
「こちらでって……私の家じゃない」
アリカ達が連れて来られたのは、自分達の住んでいる家の前。
わざわざ連れてくる必要もなかったし、特段やる事など無かったはずだと、アリカは不思議に思う。
「どうぞお入り下さい、お嬢様。中でお待ちで御座います」
「待ってる? 誰が?」
エバンスは、アリカの質問に答えず、ただただ頭を下げている。
エバンスの発言に、更に困惑したアリカだったが、このままでは埒が明かない。
仕方なく、扉を開ける事にする。
そして、出発前と様変わりしていた家の中の様子に、アリカは呆気に取られてしまった。
家の中は、華やかで可愛らしい装飾で飾り付けられており、部屋の中央にあるテーブルの上には、所狭しと、御馳走が並べられていた。
「これって……」
「おお、アリカや。やっと戻って来たか」
驚き呆然としていたアリカへと、部屋の奥から声が掛かる。
「その声は……お爺様!?」
その声は、アリカにとっては聞き慣れた声ではあったが、本来であれば、こんな場所で聞こえるはずのない声だった。
奥から声を掛けてきたのは、アリカが予想していなかった人物。自分の祖父である、ハンネスだった。
家の中に居たハンネスに驚いたものの、我を取り戻したアリカは、祖父へと近寄り、声を掛ける。
「お爺様、どうして、ここに?」
「どうしても何も、孫の誕生日を祝いに来るのは、当たり前の事じゃろう?」
そんなアリカに対し、落ち着いた様子で、ハンネスは出迎える。
だが、その顔は、悪戯に成功した、子供の様な表情をしていた。
「お前は、貴族や商会の人間を集めた、大きなパーティーは嫌いじゃろう? じゃから、今回はささやかなパーティーにしようと思ってな」
「お爺様……」
「ほら、お前の為に用意したプレゼントじゃよ」
ハンネスの気遣いに感じ入っていたアリカに、老人は持っていた包みを渡す。
綺麗に包装された、そのプレゼントを、アリカは大事そうに両手で受け取る。
「ありがとう、お爺様! 早速開けてみてもいい?」
「おうおう、もちろんじゃよ」
ハンネスの許可を貰い、アリカが丁寧に包みを開けていく。
「わぁ、綺麗……」
中から出てきたのは、一本のナイフ。
鞘から柄に至るまで、その全身を白く輝かせ、所々に黄色い紋様を走らせたその身は、気品に溢れていた。
その中でも、一際、目を惹くのが、柄へと収められていた、蒼く、光り輝く、幸運結晶。
結晶は、明るく、柔らかな光を放っており、その名の通り、持つ者に、幸運を与えてくれる様な、暖かさを感じさせていた。
「この地方では、お守りとして重宝されておる物でな。気に入って貰えたのなら、何よりじゃよ」
孫娘の反応に、大いに満足するハンネス。
主が、苦労して結晶を手に入れた事を知る使用人達も、その顔を綻ばせる。
「大切にするわ、お爺様」
「うむうむ、さて、折角用意した料理じゃ。そろそろ味わおうじゃないか」
そう言って、テーブルへとアリカを促すハンネスだったが、
「ちょっと待って」
アリカは、その、祖父の誘いに、待ったをかける。
「これだけの料理、私だけじゃ食べられないから……知り合いを呼んでも良いかしら?」
「知り合い……と言うと、噂の、あの男の事かの?」
全てを知っている癖に、ハンネスは意地悪そうに、孫娘へと問いかける。
「別に、アイツだけじゃないのよ? 他にもちゃんといるんだから」
「分かった、分かった。では、エバンスにでも呼ばせに……」
「いいえ、お爺様。私が呼びに行ってくるわ。行きましょう、サラサ」
「はい、お嬢様」
言うが早いか、外へと飛び出して行くアリカとサラサ。
その後姿を、老人達は、微笑ましそうに見送るのだった。
(ダメだ、眠い……)
爺さんが帰った後、俺とセトナは、ある物を作る為、二人で徹夜で作業をした。
別に、そこまで手の込んだ物を作っていたのではない。
だが、武器とは違い、慣れない物を作った為に、何度もやり直す破目になってしまった。
その為、予想以上に時間が掛かってしまい、やっとの思いで完成させた頃には、既に太陽が昇り始めていたのだ。
フラつきながらも店を開け、昼前までは、何とか乗り切った。
だが、連日の冒険の疲れもあり、身体は既に限界を迎えていた。
「おい、セトナ。すまないが……」
店の奥に居るはずの、セトナへと声を掛ける。
しかし、返って来るはずの返事はなかった。
「セトナ?」
不思議に思い、奥を覗く。
そこには、毛布へと包まり、幸せそうに眠っている、セトナの姿があった。
どうやら一足先に、夢の世界へと旅立ったらしい。
(俺も、後を追うとするか……)
どうせ、客など滅多に来ないのだ。
看板の表示を閉店へと変え、ソファへと、その身を沈める。
(そう言えば、後でアリカに届けないとな……)
今朝まで作っていた物が、頭の片隅へと浮かぶ。
今日に間に合わせる為に、徹夜してまで作ったのだ。届けなければ、昨夜の苦労が無駄になる。
(まぁ、今頃は爺さんと楽しんでいる事だろうし、その後でも良いか)
だが、それ以上は考える事が出来なかった。
襲ってくる睡魔へと、その身を任せ、俺の意識は、そのまま闇へと沈んでいった……。
「スタン~? 居る~? ……返事がないわねぇ」
スタン達が、夢の世界へと旅立ってから少しして、店の外から、賑やかな声が聞こえ始めた。
「表示が閉店になってるし、何処かへ出かけたのかしら?」
「ですが、お嬢様。扉は開いている様ですよ」
「あら、ホントだ。不用心ね」
扉が開いている事に気付いた少女達は、中へと入り、スタン達の姿を捜す。
「スタン? セトナ? 何処に……あら? これは?」
受付台へと近付いたアリカは、そこに置いてあった品物へと気付き、視線を向ける。
それは、スタンとセトナが、アリカの為に作ったプレゼント。
そうとも知らずに、アリカは、自分の為に作られたプレゼントを手に取る。
「へぇ、綺麗なペンダントね……けど、これに使われてるのって……」
スタンとセトナが作ったのは、小さく、少々不格好なペンダント。
だが、そのペンダントには、余った幸運結晶が鏤められており、鮮やかな光りを放っていた。
(さっき、お爺様に貰ったのと似ているけど、まさかね)
手にしていたペンダントを、受付台へと戻すアリカ。
その時、微かな音が、アリカの耳へと入ってくる。
そちらへと振り返って、見てみると、スタンがソファへと横になり、安らかな寝息を立てているのだった。
(もう、なにやってんだか)
日の高いうちから、寝こけているスタンに、呆れた思いをするアリカ。
だが、その穏やかな寝顔を見ているうちに、そんな思いも霧散してしまう。
(ホントに、しょうがないんだから)
スタンの傍へと屈み、その寝顔を眺めるアリカ。
(まぁ、たまにはこんな日があっても良いかもね)
幸せそうに、その寝顔を見詰め続ける少女。
そんな事は露知らず、スタンはそのまま、安らかに眠り続けるのであった。
~老人の注文・了~