獣の注文 4
羽ばたきの音が大きくなってゆくと共に、動物のけたたましい鳴き声や、悲鳴が聞こえ始めてくる。
「誰か襲われているぞ! 急げ!」
併走するセトナは、声を上げると、全身に活力を入れ、さらにペースを上げてゆく。
流石は獣の力を宿すクルガ族だ。その身体能力は、極めて高い。
こちらも置いていかれないように速度を上げ、セトナへと追走する。
「いたぞ!」
グリフォンから逃げ惑う牛や馬などを避けながら進み、遂に魔物の姿を、その視界に捉えた。
魔物は悠々と空を飛び、獲物を追いつめているようだ。
その視線の先には、脚を怪我したのか、片足を引きずるようにして踠いている仔山羊と、それを守ろうとしているクルガ族の少年がいた。
「来るな! 来るなよぉ!!」
少年は泣きながら、必死になって矢を放つが、グリフォンに当たる事はなかった。
このままでは矢が尽きた時に、あの子の命運も尽きるだろう。
「私が奴の気を引く! お前は、その間にあの子の事を頼む!」
言うが早いか、セトナは背負っていた弓を構え、魔物に向けて矢を射かける。
突然の攻撃に驚いたグリフォンは、大きく翼をはためかせ、上空へと退避して行く。
魔物が離れたその隙に、俺は少年の下へと駆け寄り、少年と仔山羊を抱え、避難させる。
「いいか、ここに隠れているんだぞ」
少し離れた岩陰へと少年を押し込み、大人しくしているよう、念を押す。
少年が頷いたのを確認した後、元来た道へと駆け出して行く。
セトナがグリフォンと戦っているのだ。急がなければならない。
獲物を奪われたグリフォンは怒り狂い、その矛先を、セトナへと向けた。
地へと降りたち、セトナを引き裂こうと迫るグリフォン。
だが、セトナとて無抵抗ではない。
その高い身体能力で、魔物の攻撃を躱しては、弓矢でもって応戦する。
怒りに身を任せているせいか、グリフォンは、素早いセトナを捉えきれないようだ。
が、セトナの矢もまた、グリフォンの起こす強烈な風や、強靭な四肢に阻まれ、致命的な一撃を与える事が出来ないでいる。
このままでは、以前のように、矢が尽き、窮地に陥るのは時間の問題だった。
スタンが到着したのは、セトナの矢が尽きかける、その寸前だった。
駆けつける人影に気付いたセトナが声を上げる。
「よそ者! あの子は!?」
「安全な場所に隠したから、心配するな!」
スタンは答えを返しながら、腰に差していた短剣を引き抜き、構える。
魔物も新手の存在に気付いたようだ。
接近するスタンへと向きを変え、その前脚を振るう。
だが、怒りで我を忘れた攻撃など、スタンには怖くなかった。
身を沈めて攻撃を避け、逆に、その脚へと短剣を突き立て、斬り裂いて行く。
ギィィィィィィッ!?
激痛に驚き、仰け反るグリフォン。そこへ、セトナの矢が、すかさず追い打ちを掛ける。
矢は、グリフォンの顔へと飛翔し、魔物の片目を食い破った。
再び、魔物の叫びが、響き渡り、その巨体が激痛で硬直する。
「これでトドメだ!!」
矢を討ち尽くしたセトナは、山刀を手に駆け出し、グリフォンへと距離を詰めていく。
しかし、魔物の戦意は衰えてはいない。
嫌な予感がしたスタンは、すぐさま、セトナへと警告を飛ばす。
「焦るな! 止せ!」
だが、忠告も虚しく、セトナは既に、魔物へと山刀を突き立てんと、全身のバネを駆使し、飛び上がっていた。
その時、グリフォンの胸が大きく膨れ上がり、その咢から、灼熱の炎が溢れ出す。
(間に合うか!?)
スタンは、仲間を救わんと、即座に行動を開始する。
「風よ、我が意に従い、荒れ狂え! 風弾炸裂!!」
激しい火炎が、セトナの身を包もうとする直前、スタンが作り出した風弾が、業火へとその身をぶつけ、弾け飛ぶ。
「キャアアッ!?」
弾けた暴風は、分け隔てなく、周りの全てを吹き飛ばす。
魔物の吐き出した業火は、荒れ狂う風に散らされ、セトナの身は大地へと投げ出された。
魔物の炎に晒されたセトナは、死を覚悟していた。
『魔物は、手負いになるほど、凶暴さを増す。だから、仕留める時は、慎重にならねばならない』
クルガ族の先達から、そう教わっては、いたのだ。
なのに今、自分はトドメを焦り、魔物の逆襲にあってしまった。
(私は、戦士として未熟だった……)
目の前へと業火が迫り、今にもその身を焼き尽くさんとした時、
「風よ、我が意に従い、荒れ狂え! 風弾炸裂!」
目の前で、暴風の塊が弾け、その煽りを受ける。
(一体何が……!?)
突然の出来事で、訳が分からなかった。
風の塊が飛んでくる直前、あの男の声が聞こえた気もする。
(あの男が、何かしたのか?)
だが、考えている余裕はない。
炎は散らされ、丸焼きになる心配はなくなったが、このままでは大地へと叩きつけられてしまう。
身を硬くし、衝撃へと備える。
が、
「よっ……と、ギリギリセーフか」
すぐ近くから、あの男の声が聞こえ、身体が柔らかく受け止められたのだった。
「間に合って良かったぜ」
スタンは魔術によって吹き飛ばされたセトナの下へと、何とか滑りこみ、抱きとめる事に成功した。
幸いな事に、グリフォンの方もその場を離れ、空の彼方へと逃げて去ってゆく。
これ以上の戦闘は、危険だと判断したのだろう。
仕留められなかったのは残念だが、こちらにも犠牲は出ていない。今回はこれで良しとしよう。
「おい、大丈夫か?」
腕の中にいる、セトナへと声を掛ける。
「ああ、お前のおかげで助かった……そうだ! 魔物はどうした!」
呆然としていたセトナだが、すぐに状況を思い出し、腕から離れようと暴れ始める。
「安心しろ。奴なら逃げていったさ」
「そうか……それなら、大丈夫か……」
安心したセトナは力を抜き、そのまま俺へとしな垂れかかってきた。
だが次の瞬間、自分の体勢に気付いたのだろう、
「は、離せ! それにお前、また何処を触っている!?」
「ん? ああ、済まない。また尻尾に触っちまったか」
慌てふためくセトナを離し、起き上らせる。
セトナは立ち上がると、そっぽを向き、乱れた毛並みを整えるように、尻尾を撫でつけ始める。
「また尻尾に触られるとは……私の主人でもないのに……」
その長い尻尾を体の前へと持っていき、ブツブツと何か言いながら、毛先を整えるセトナ。
どうやら、怒らせてしまったようだ。その横顔は真っ赤に染まっていた。




