お嬢様の注文 4
(スタンのバカ、スタンのバカ、スタンのバカ!)
スタンの元から、駆け去ったアリカはエバンス達と共に、森の外へと向かっていた。
「いやはや、まったく無礼な男でしたね、あの野蛮人は」
隣りではユリウスが親しげに話しかけてくる。
「ですが、どうかご安心くださいアリカ嬢。私の妻となれば、あのような野蛮な男は二度と近づけさせませんので」
意気揚々と語るユリウス。できれば、ユリウスのような男を近付かせて欲しくはないのだが、流石に本人にそう言うのは、気がひけた。
「それにしても……何やら妙な臭いがする気が」
「え?」
一瞬、不思議に思ったが、先程の出来事を思い出し、納得した。
「それは私かもしれません。さっき、スタンに魔物除けの薬を掛けられたので」
「何と!? あの男はそんな事まで! まったく、これだから野蛮人は」
信じられないという表情で大袈裟に首を振るユリウス。
「アリカ嬢、どうかこれをお掛けください。私も愛用している香水です」
「あ、ありがとうございます」
そう言いつつ、アリカに香水を吹きかけるユリウス。その行為にはムッとしたが、今のアリカにはユリウスを怒るほどの元気はなかった。
「ふむ、これで良し。アリカ嬢はウィルベール家のご息女なのですから、身だしなみにはもっと気を付けていただかないと」
その言葉を聞き、アリカは陰鬱な気分になる。
やはり、この男も、自分の事をウィルベール家の娘としか見ていないのだ。
アリカは、ウィルベール家の娘として、幼い頃より大勢の人間に囲まれて生きてきた。
屋敷に仕える使用人。ウィルベール家と交流のある貴族。商会と取引を行う商人など。
そんな人々に囲まれ、ちやほやされ、幼少期を過ごしたアリカであったが、ある時、気が付いてしまった。
彼らは、アリカの事をウィルベール家の娘としか見ておらず、アリカ自身を見てくれてはいないのだと。
もちろん、すべての人間がそうであった訳ではない。だが、幼いアリカには、その事は分からなかった。
だから、アリカはウィルベール家とはあまり接点がない、魔術の世界へと進んだ。
幼い頃に見た魔術が、とても綺麗で、心に残っていたのも理由の一つだ。
だが、そこでもウィルベールの名がつき纏う。
魔術協会でも、アリカがウィルベール家の人間だと分かると、多くの人が、嫉妬と羨望の入り混じった目で見てきた。中には、あからさまに、すり寄ってくる人間も出てきた。親しい人間ですら、その態度を変える。
アリカは、もうウンザリしていた。
自分には、ウィルベール家の娘としか価値がない。
自分自身には、他に価値がないのだと、言われているように思えるのだ。
だからアリカは、自分がウィルベール家の人間である事は、極力言わないようにしていたのだ。
(そう言えば、スタンは私がウィルベール家の人間だと知っても、態度を変えなかったわね)
スタンは、ウィルベール家の人間だと知った後も、普段通りだった。
隠していた事に対しても、怒った様子はなかった。面倒だとは言われたけど……
(考えてみれば当然か。あいつは武器作り以外には興味がないものね)
地位も名誉も財産も、スタンは興味がないのだ。ウィルベールの名前を出したところで、大して動じるはずがない。
(もっと早く話せば良かったかなぁ)
今更考えても仕方がない事だったが、アリカは、考えずにはいられなかった。
もう少しで森の入り口へと着くという時に、周囲の空気が変わり始める。
「! お嬢様、お下がりください!」
最初に気が付いたのはエバンスだった。
次いで、メイドたちも各々、武器を構える。
「な、何?」
分からなかったのはアリカと、その隣りで浮かれていたユリウスだった。
だが、周囲から魔物の唸り声が上がると、その状況を把握する。
「囲まれているの!?」
「はい、それも、かなりの数でございます」
アリカの問いに、エバンスが厳しい表情で答える。
「何故これほどの魔物が……」
エバンスたちは気付かなかった。
魔物除けの薬というのは、魔物たちが忌避する臭いを発しており、それ1つで、既に完成している物である。しかし、そこに余分な香料が加わってしまえば、それは別の物になってしまう。
ユリウスは、魔物除けが掛かっているアリカに香水を掛けてしまった。
それによって変化した香りは、偶然にも、魔物たちを引き寄せる効力を発揮していたのだ。
エバンスとメイドたちは円陣を組み、アリカとユリウスを守りつつ、魔物の群れへと応戦する。
だが、
「ダメです! 数が多すぎます!」
小鬼の魔物を斬り倒したメイドが叫ぶ。
一体、一体は大した事はないが、数が多すぎた。おまけに視界の悪い森林の中だ。
魔物たちは次から次へと襲いかかり、次第にアリカ達を追いつめていく。
(こんな場所じゃ、強力な魔術が使えない!)
アリカは、エバンスたちに守られつつも、魔術を放つ。
だが、延焼の危険がある為、炎の魔術は使えず、水や風の魔術で応戦するが、樹木や岩が障害物となり、あまり効果はでなかった。
「ユリウス様! 私たちが食い止めます! どうかアリカお嬢様を連れて、お逃げください!」
一縷の望みを託して、エバンスは叫ぶ。
せめて、アリカだけでも、助けようと。
だが、
「むむむ無理に決まっているだろう!? こんな魔物の群れから逃げられるはずがない!」
いくら武芸の腕があろうと、実戦の経験がないユリウスは、完全に怯えており、使い物にならなかった。
そうこうしているうちにも、魔物の包囲は狭まり、皆が消耗していく。
懸命に、魔術を撃ち続けたアリカも、疲労により魔術に集中できなくなり始めた。
そしてついに、メイドの1人が、熊のような魔物の一撃を受け、体勢を崩してしまう。
弱った獲物を仕留めようと迫る、魔物の追撃。
「危ない!」
アリカは、咄嗟に魔物へと体当たりし、何とかその狙いを逸らす。
衝撃に驚き、怒り狂った魔物は、その狙いを、アリカへと変えた。
「お嬢様ぁ!!」
魔物の振りかぶった豪腕が、少女へ迫る。
だが、疲労困憊のアリカには、もう避ける事はできなかった。
(ここまでなのかな)
疲労のせいで、もう上手く頭が回らない。
(けど、結婚して、窮屈な生活になるよりはマシなのかも)
その様な暗い事を考えつつ、目を閉じるアリカ。
(そういえば、前にもこんな事があったなぁ)
思い出すのは、スタンと冒険した時の事だ。あの時も、同じように死にかけた。
(酷い事を言って、別れちゃったけど、私が死んだら、少しは悲しんでくれるかな?)
そんな事を思いつつ、最期の時に備えた。
(……ごめんね)
空気を裂く音が近付き、死を覚悟する。
しかし、いつまで待っても、衝撃がこない。
それを不審に思っていると、
「何を死にかけてるんだよ、お前は」
間近から、声が掛かった。
その声に驚き、目を開ける。
聞こえるはずがない声が聞こえた。
幻聴だと思った。
だが、開いた目には、はっきりと映っていた。
目の前に立つ、スタンの姿が。