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海 さぼり ある夏の日

作者: フォルテ

 七月の夏休み間近の日。僕は学校をさぼった。

 何でさぼったのか、わからない。面倒な宿題や授業があるわけでもない。ただ何となく学校に足が向かなかった。気が向かない。まさにこれだ。学校に向かう道すがら出席するかしまいか迷ったが、結局休むことにした。携帯電話をポケットから取り出し、学校に電話をかける。

「伊藤です。今日風邪ひいたので休みます」

 それだけ告げて、二、三、相手の言うことに相槌を打ち、電話を切る。電話切ったついでに携帯の電源も切っておく。何だか今日は一人になってみたい。

 さて、何をしようか。

 僕は考える。時間をつぶせるところに行きたい。家に帰る時間は普段通りにしなければいけない。そうでなければ怪しまれる。とはいっても映画館や美術館はだめだ。補導される恐れが高すぎる。こんな風にずる休みするのなら、私腹を持ってくればよかった。制服ではどこに行っても怪しまれる。

 ゲームセンター、ファミレス、本屋、喫茶店、色々と候補を頭に思い浮かべるが、どれもこれも駄目だ。平日真昼間に学生服を着ている奴が行けるところではない。いっぺんに補導されるだろう。

 あれこれ迷う。驚くほど選択肢が無い。僕は毎日それなりに自由に生きているつもりだったが、ちょっとまともな道から逸れるとその自由はなくなってしまう。人類の歴史が積み重なるごとに、社会はそれなりに発展しているはずなのに、未だに僕に与えられる自由はこの程度のものだ。などとちょっと大きい感じの感想を抱いてみる。

 いや、こんなことを考えていても仕方ない。もう電話はかけてしまったのだ。ルビコン川を渡ってしまったのだ。今からやっぱり体調治ったから学校行きました、は何となく嫌だ。だったら今日一日何とかしのげる場所を見つけなければいけない。

 しばらく考えたが、海に行くことにした。

 理由は二つ。一つ目はあまり目立たない場所だから。学校をさぼった高校生が行きそうにない場所だから。二つ目はここから海まで結構距離があること。歩く時間が長ければ長いほどそこにいなければいけない時間は短くなる。海を見るだけではそこまで時間をつぶせそうにないが、移動時間が長ければ帰る頃にはいい塩梅になるだろう。

 スマホの地図アプリを立ち上げ、海までのおおよその方角を調べる。学校とは逆方向。さて行くか。

 

 暑い。

 死ぬほど暑い。

 汗は額からこれでもかというほど出てくる。自分の体が濡れすぼった雑巾で、気温に絞られている感じ。自動販売機で買ったスポーツドリンクは既に七割を飲み干して、次の自動販売機でもう一本買わなきゃいけない。下手すると熱中症だ。

 ただこの暑さのおかげでトイレに行きたいと思うことはなかった。それだけはこの暑さに感謝しなければならない。何せ海に近づくにつれ、コンビニすら無くなっていくんだから。

 地図アプリを偶に起動し、方角が間違っていないか確認。今のところは問題ない。怖いのは冗談抜きに熱中症だけだ。学校を休んでいるはずなのに、郊外で、それも熱中症で倒れて救急車に搬送されていました、では話にならない。スポーツドリンクをのどに流し込みながら適度に休息を織り交ぜながら行くことに決める。とにかく今日学校をさぼったことがばれないようにしなければならない。極論を言うと、それ以外はどうでもいい。

 自動販売機がなかなか見えてこない。僕の住んでいる街はそこそこ都会のはずなのだがそれでも一度郊外に出るとこんなものだ。街中にある高層ビルなんぞ気配すらない。それはつまり日の光をさえぎってくれる遮蔽物がないということだ。

「暑い…」

 何度目になるかわからない独り言を言い、ひたすら僕は歩く。

 思えばこんなに長い時間、ほぼ無意味に歩くのは久しぶりだ。

 平日なら昼は学校、夜はネット。休日は基本家でずっと過ごす。考えてみればこれ以上ないほど不活発な生活である。

 クラスメイトが部活動やバイトに精を出している中、僕は一体何をしているのだろう。偶にそんなことを考える。自分でも今の生活は、無意味に時間を蕩尽しているようにしか思えない。

 歩いていると脳が普段とは違う活動をするのか、いつもなら浮かばないこんな考えも頭に浮かんでくる。これを思考がクリアになったととらえるべきなのか、それとも暑さと疲労が原因で少し鬱っぽくなっているととらえるべきなのか、ちょっと判断できない。

人間の思考の内容なんてわずかな環境の差で驚くほど変わってくる。お腹がすいているときにストレスを受けると簡単に苛立ちを覚えるが、お腹がいっぱいで満腹中枢を刺激されているときに同じストレスを受けても中々そうはならない。本当に無数の要素要因が絡んで、気分というものは作られているのだろう。

つらつらとそんなことを考えていると、何で自分が今日学校を休んだのか気になってくる。何で今日に限ってこんなあほなことをしているのだろう。冷静に考えると何のメリットもないはずなのに。

本当に何も考えていなかったのかもしれない。そう考えたが、僕の脳は既に理由を勝手に考え始めている。何でなんだ。何で僕はこんな暑い中死ぬような思いで歩いているんだ。理由を突き止めるために様々なデータを頭の中に並べ始める。

あ、やばい。僕は自分が何か「記憶の都合の悪い部分」に手を伸ばしたことに気づく。

今まで学年で三十位以内には入っていたはずなのに、高校に入って順位がガクッと落ちたこと。

親からそのことに関して注意を受けていること。

その怒られている過程で、大好きな漫画やアニメを虚仮にされたこと。そしてそんなものに浸っているのはまるで人間失格だと言わんばかりの眼を向けられたこと。

親から勉強について怒られるのはずっと昔から続いてきたこと。そしてこれからも事あるごとに怒られ続けるのは確定的だということ。

こんな回想は、止めたかった。だが一度考え始めると、まるで底なし沼にはまったかのように次々と悪いことばかり思い出す。歩きながら僕は考え続ける。思い出し続ける。

だんだん速足になる。逃れたいと思った。わずらわしいものから。スピードを増していけば解放されるような気がした。歩く。もっと速く。そんでもって振りきれ。そんな気持ちで速度を増す。競歩とまではいかないが。


青。そして夏を象徴する入道雲。

鼻に届く潮の匂い。実はこの匂いは若干苦手だ。馴染みの少ないものだからだろうが、この匂いは嗅いでいると何か変な気持になる。

しばらく海を眺める。何とはなしに来た。来てしまった。来たばっかりなのに帰りのことを思うと憂鬱になる。腕時計を見ると、時刻は十一時。大体ここまで来るまでに三時間かかった計算になり、そしてその間消費したスポーツドリンクは二本である。体力も流石に限界に近い。帰る前にどこか適当なところで休まなければならない。果たして本当に帰れるのだろうか。

海を見ていると心が安らぐ、なんてことはなく僕は自分でもわかるぐらいに仏頂面をしている。ここに来たのは気まぐれで、特に何を期待したわけでもなかったが、それでもこんな非日常的なことをしているのだから何か特別な変化が起きてほしかった。

「海を見ていたら、小さい悩みなんてどうでもよくなるなんて嘘だよな」

 当たり前のことを呟く。そんな都合のいい話はないということだろう。

 砂浜が絶対熱いだろうから、体育座りすらできない。とりあえずどこか適当なところに座ってこの棒のような足を休めたいのだが。海を見るのは後回しにして休めるところを探すことにする。

 しばらく適当に歩きまわってベンチでもないか探したが、脚はとっくの昔に限界を迎えているのですぐに方針変更。スマホの地図アプリを起動し、周りに何かないか検索してみる。絶望的なまでに何もない。最寄りのコンビニを検索してみる。

「やっべ…」

 一番近いコンビニで十六キロ。十六キロ。じゅうろっきろ。ははは、ふざけてんのか。コンビニって何だよ。コンビニエンスって便利って意味じゃないのかよ。全然便利じゃねえよ。

 どこか、どこかないか。休めそうな場所。もう制服だから喫茶店には入らないなんてことは言っていられない。今の体力で休み無しで帰るのは苦行以外の何物でもない。

 だが当たり前だが喫茶店はコンビニ以上に便利でない。

 最寄りの喫茶店、二十キロ。

「さぁて、どうしたもんか」


 遮蔽物が無いところにずっといるのは危険だった。

 何の誇張でも冗談でもなく、危険だった。体力をがりがりに削られている今、直射日光を長時間浴びるだけで倒れるような気がした。僕はもういっそ適当に歩いてしまえ、と思いきって周囲を適当に歩きまわった。

 しばらく歩いていると中々綺麗な建物に出くわした。どうも公民館と図書館が合体したようなところらしく、僕は見つけるとためらわずに中に入った。冷房の存在がこれほど有難かったことはない。思わず叫びたくなるぐらいの嬉しさがあふれ出てくる。

 職員がこちらを見てきたが僕はそれを無視した。正直ここで休まなかったら補導される、されない以前にくたばりかねない。図書館の椅子に座り一息つく。椅子が冷房の下にあるため体の中にあった熱気がどんどん冷えていく。

「いやー、何やってんだろうね…」

 自分で自分に問う。ホント何をしているのだろう。意味もなく歩いて、意味もなく海へ来て、そして体の疲労のままに名も知らぬ町の図書館にいる。いや、もうほんとわけわからん。何でこんなことしているのだろう。行動に一貫性が無さ過ぎる。

 どれだけ遠くに行っても色々なものから逃れられるわけでもない。わかっている。あと二年もすれば僕も受験だ。進路を決めなければいけない。それから二年もすると成人だ。恐らくその時になっても、大人になるということに何の自覚も自信もないのだろう。もう十六歳だからそのぐらいは分かる。

 嫌なことばかりだ。そんなのはぜいたくな悩みと言う人はいるかもしれないが、そんなことを言う奴は人間というものが何も分かっていないと思う。悩みなんてものは環境が恵まれているから無いというものでもないだろう。

 でもこんなことを考えていたところで、今日のような行動を毎日とるわけにはいかない。

 当たり前だ。一回、二回ならともかく回数が重なると流石にばれる。少なくとも明日は学校に行った方がいい。ああ、わずらわしい。

 しばらくじっと座っている。また回想が始まる。嫌なことばかり思い出す。顔つきが険しくなるのが自分でもわかる。回想は掘り尽くせるだけの過去を掘り尽くし、それも終わると僕の脳は十年後、二十年後の未来について考え始める。当然想像するのは碌でもない未来だ。


 図書館で三時間ほどたっぷり脚を休めてから外に出る。流石にそれ以上長くいる気にはなれなかった。真夏に冷房の効いている部屋から外に出るのは中々にきつい。

 この後どうするのか考える。家に帰る。海をもう一度見に行く。少し迷ってから海をもう一度見に行くことにした。まだ時間をつぶす必要性があったためだ。来た道を戻る。十分もすると潮の香りがまた鼻に届き始める。

 青い空、白い雲、そして海。少し体を休めたためか、今回はすんなり景観の良さが心に染みいってくる、やはり疲れが心から余裕をなくしていたのだろう。まだ少し鬱な気持ちが残っているが、先ほどよりはひどくない。休息は大事、当たり前のことを学ぶ。

 だが忘れてはいない。問題は何一つ解決していないということに。そう思うとこのそう快感も水を差されたような格好になる。

 帰宅が遅くなって怪しまれないよう、あと一時間もしないうちに家に帰らなければいけない。そして飯食って、風呂入って、寝て、明日の朝には学校に行かなければいけない。そんな日々がいくら嫌でも、これに従わなければいけない。眉間にしわが寄り始める。けっ、つまんね。僕の気持を端的に表現するとこんな感じだ。

 何でこんなことになったのか。自問自答してみるが、そもそも問いに意味が無さ過ぎる。皆、僕と似たようなものだ。くだらない日常を過ごして、疲れて、嫌気がさして、偶に僕のようにさぼることもあるだろう。つまらないことで、時には理不尽に怒られ、そうまでして生きて誰もがうらやむ栄光を手に入れられるわけでもなく、どんな楽しい思いをしても嫌なことはその内また襲いかかってきて、現実に嫌気がさしている人の方が多数派だろう。流石に高一ともなればそんなことは分かる。

 人生とはそういったものなのだろう。嫌々生きて、偶に自殺したくなるけど、でも決して死にたいわけでもなく、要するにどっちつかず。そしてその中で世俗にまみれていき、いつか「所詮こんなものだよ」と何もかもを受け入れてしまうのだろう。僕は今のところそこまでひどくはないが。

 つらつらとそんなことを考えながら海を見て、十分にその景色を堪能してから、僕は踵を返す。さあ、家に、現実に戻る時間だ。スマホの地図アプリを起動。帰り道を確認し、僕は歩きはじめる。きっとこれからも嫌なことはある。だが、今ここで自殺する気が無いのなら生きていき、立ち向かっていくしかない。悲しいことに。

 青い空も白い雲も好きなのに、気持ちは暗いまま、僕はかさかさした現実へと歩いていく。


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