千年桜
ひらり。
ひらり。
風で散ってゆく桜の花びらを彼女は寂しそうに眺めていた。
「桜は、千年以上の時を生きる。桜と共に生きる我のような<桜の巫女>にとってヒトの生とは瞬きのように短い。我は・・・お前が死んでいくのが怖いのだ。与一・・・」
彼女はいつもそう言って泣いていた。
「大丈夫。君を一人にさせたりしない。何回でも生まれ変わって、俺は君に会いに行くよ」
「・・・ん」
久しぶりにこの夢を見た。
小学校生の頃から見続けている夢。春になると必ず見ていた夢だったが、成長と共に見る回数が減っていった。
黒く艶のある長い髪。透き通るような白い肌に綺麗な声。自分はは夢の中の彼女にだんだんと惹かれていった。学校の友人たちには「ロマンチスト過ぎて気持ち悪い」と言われたりもした。自分でも思ったりするのだが、それでも彼女が好きだった。
夢の中では「与一」と呼ばれ、彼女の小姓をしていた。それが何故だか遠い記憶のように感じる。だから、どこかに彼女が居るのではないかと思っている。
ただ、彼女の名前が全く思い出せない。思い出そうとするのに全くだめなのだ。そんなもどかしさを抱えながら支度をし、学校に向かった。
「姫様。新しいお友達ですよ」
年老いた命婦はそう言って小姓として連れて来た少年を少女の前に出す。
「ええと、与一です。よろしくお願いします」
「・・・・・・・・・・・・」
与一が挨拶をするも、少女は目も合わせず黙って絵巻物読み進める。
少女に与一を紹介する。そして人見知りですからうち解けるまで辛抱してくださいと与一に言い残し、命婦は出て行く。二人に沈黙した重い空気が流れる。
「名前は?」
「・・・・・・・・・」
「何、読んでるの?」
「・・・・・・・・・」
与一が懸命に話しかけるが、少女は黙々と絵巻物を読んでいる。その態度にムッとし、与一は少女の読んでいた絵巻物を取り上げた。
「あっ・・・」
声を上げぱっと与一の方を見る。
長い黒髪に隠れてよく分からなかったが、とても綺麗な顔立ちをしていた。見とれていた与一ははっと我に返り、目をそらす。
「ひ、人が質問してるのに無視は酷いよ」
「すまぬ・・・聞こえなかった」
よほど絵巻物に没頭していたらしい。自分に非があったことを少女は素直に詫びる。
「というか、お前は誰だ?」
「話聞いていなかったの?」
「うむ」
こくりと頷く少女にため息をつき、命婦の言った事を含めて自己紹介をする。
「・・・君の名前、教えてくれないかな?」
「まだ名乗っていなかったな。我は―――」
―――咲耶だ
「・・・おい!」
後ろから叩かれ声をかけられる。いつの間にか寝ていたようだ。見ていたのは彼女と出会った時の夢だった。
「そろそろ授業始まるぞ」
「あ、あぁ。ありがとう」
思い出した。彼女の名前を。
咲耶。
それに他のことも思い出した。今まで見た夢は本当にあったんだ。出会った頃、同い年だった二人は同じように成長していったがあるときから成長が止まり、与一が死ぬまで年をとることは無かった。
今、何処にいるのだろう。あれから千年は経っている。
<桜の巫女>。桜と共に何年も生きる。そして桜が枯れない限り死ぬことはできない。だからたくさんの「別れ」の悲しみを背負っている。
もう彼女を、咲耶を悲しませたくなくて、与一は約束をした。
今まで忘れていた。彼女は怒っているだろうか。それとも寂しくて泣いているのだろうか。
会いたい。
ただ、この街に何本もある桜の木から彼女の木を探すことは不可能に近い。
もどかしさがまた募る。何か方法はないのか。
まだ大切な何かを忘れている気がする。千年もの遠い記憶を必死に辿っていく。
「与一」
「どうしたの咲耶」
夜桜を見ながら、咲耶は後ろにいる与一に振り向かずに話しかける。
「約束の話だが…」
「うん。必ず会いに行くよ」
「もしも、未来のお前がこの事を忘れていたら…我はどうしたらいい?」
また我は一人になるのかと小さくつぶやき、涙が頬を伝い、月明りに光るのが見えた。
与一はそっと咲耶のそばに寄り、頭を撫でる。
「転生するには千年かかると聞いたことがあるけど、絶対に約束は忘れないよ」
「だとしても…っ」
「うん。俺のことだから、思い出すのに時間がかかるかもしれない。でも大丈夫だから」
不安でいっぱいの咲耶を自分の胸に抱き寄せる。
だいぶ落ち着いて、与一の胸から離れるとふと思いついたように微笑んだ。
「我の桜は特殊でな。名前が付いているのだ」
「名前?」
「そうだ。まだ誰にも、命婦にも教えたことが無い桜の名。お前が思い出し、その名を呼んだら私の元に来れるよう術をかけよう。名は、花王…」
「―――花王、紅千年桜」
そっと呟くと、教室の風景が剥がれ落ちるように消えて、桜吹雪が舞い散っていく。
吹雪がおさまると、そこには絨毯のように一面の桜の花びらが。そして一本の美しい桜。
「・・・与一?」
振り返ると、そこには夢の中でしか会えなかった咲耶がいた。黒く艶のある長い髪。透き通るような白い肌。全てがあの時のままだった。
「咲耶・・・」
名前を呼ぶと涙が彼女の頬をつたう。
「来るのが・・・遅い、ぞ・・・・・」
「ごめん。でも約束は果たせたよ」
『何回でも生まれ変わって、俺は君に会いに行くよ』
もう一度約束の言葉を言う。そして俺が生きている限り、ずっとそばにいると。
「与一・・・っ」
咲耶は走り寄り、その首に腕を回す。
人の命の一瞬を共に過ごすために。
そして俺は咲耶の体を抱きしめた
ひらり。
ひらり。
千年の時を超えた再会を喜ぶかのように桜の花びらが二人の周りを舞っていった。
部誌で載せた小説2作品目。
離れたとしてもまたきっとどこかで会える。そんな思いで書きました。