二人の旅人
旅の途中で、僕は一人の旅人に出会った。彼とは何故か話が弾み、僕と彼は座り込んで話をする事にした。
「あなたはこれからどこへ向かうのですか?」
彼は、いきなり僕にそう尋ねてきた。僕はこの言葉になんとなく違和感を感じた。
「今まで旅の中で出会った人達は決まって、まず『どこから来たのか』と聞いてきます。でもあなたは、『どこへ向かうのか』と聞きました。何か理由でもあるんですか?」
そう聞き返してみると、彼は笑いながらこう言った。
「旅の中では過去など意味がないのです。たとえあなたがどれだけ輝かしい、もしくは逆に、暗い過去を持っていようと、旅をしていれば関係ありません。大事なのは今、そして未来なのです。だから私は、あなたの行く先、未来の事こそ是非聞きたいのです。」
「なるほど、確かに理に適っていますね。でも、未来なんてそれこそ不確定なものです。今、僕が思っている未来と実際の未来は全く違うものかもしれません。それこそ聞いても意味がないのでは?」
僕がそう言うと、彼はなおも笑いながら言った。
「不確定でいいのです。私はあなたがどんな未来を目指しているのかを聞きたいだけですから。」
聞いてどうするのか、とは尋ねなかった。それこそ尋ねても意味がないからだ。それに、聞きたいと思うのは個人の勝手だ。ただ、なんとなく言い負かされたような気がして面白くない。だから、ささやかな抵抗としてこう言ってみた。
「あなたはどうなんですか?あなたの方こそどこへ向かっているんですか?」
僕が放った言葉は、彼にとっては完全に予想外だったらしく、言葉を詰まらせた。少し困っている様子であった。
「勿論、言いたくなければそれで構いませんよ。対価を要求してるんじゃなくて、単に言ってみただけですから。」
僕は、本気で彼を困らせようとしたわけではなかったので、慌てて付け足した。すると、彼はゆっくりと口を開いた。
「いえ……私が無粋でした。やはり私が先に言うべきですね。」
そんな事ないです、と言おうとしたが、彼は目で僕を制した。
「私に目標や目指す場所はありません……。」
「気の向くままの旅、ということですか?」
そう返すと、彼は「違う」と呟いた。
「続きを聞いても?」
僕がそう聞くと、彼は小さく頷いた。
「私の旅に目指す場所はありません。だからと言って、気の向くままなんて良いものでもありません。私には目的がないのです。だから、目的を見つけるために旅をしているのです。
誰しも一度は考えたことがあるでしょう。自分は何のために生きているのか、生きて何をしたいのか。あなたもあるのではないですか?たとえ答えが出なくても、人は生きていくことは出来ます。でも、私は違うのです。私は目的、何か生きるための指針がないと生きていけません。何もなしに生きていくことが出来ないのです。だから私は、出会った人達にこう聞いているのです。『あなたはどこへ向かうのか』と。そうして私は目的を探しているのです。」
僕にはその気持ちは完全には理解出来なかったが、彼の言いたいことはなんとなく分かった。
「そうでしたか……。よくわかりました。すみません、そこまで言わせてしまって……。」
「いえ、私の方こそ。自分の事を棚に上げて、ただ質問だけしてしまって……。」
僕は、無粋だったと反省した。別に、彼にここまで言わせるつもりはなかったのだ。まあ何はともあれ、僕の方も彼の問いに対してしっかりと答えなくちゃいけない。
「では、僕もあなたの問いに答えようと思います。でも僕の答えはきっと、あなたの参考にはならないと思いますが……。」
「構いませんよ。私もわかってはいるんです。こんな風に人に聞き続けていても意味などないと。」
僕は、もう彼の旅の理由に関しては口を挟むまいと思った。僕は、僕のことを彼に伝えよう。
「僕はこれから西の方へ行こうと思っています。でも、あなたが本当に聞きたいのはそういうことじゃなくて、僕が何のために旅をしているのか、そういうことですよね?」
「ええ、その通りです。」
「僕が旅をする目的、それは……」
僕は、ここで少しだけ間を空けてから言った。
「死ぬためです。」
「死ぬため……ですか?」
彼の困惑した表情を見て、僕は、してやったりという気持ちになり、思わず右手の親指を立てた。
「ええ、そうです。僕は死ぬために旅をしています。」
彼は、疑問を隠せない様子だった。
「続きを聞いても?」
「ええ、勿論です。」
彼の疑問ももっともだ。彼の方があれだけ話してくれたんだから、僕の方も詳しく言うつもりだ。
「僕は、この世界に失望したんです。理不尽で横暴なこの世界に。僕は今までに、人間の残虐さ、怠惰さ、傲慢さといった、汚い面ばかり見てきました。いや、見せつけられてきました。 だから僕は、もうこの世界で生きていたいと、存在していたいと思いません。それで自ら命を絶つのも僕の自由です。 でも、ただ死ぬのは嫌なんです。今まで醜い物ばかり見てきたんですから、最期くらい、せめて最期くらいは、凄く綺麗な物を見ながら死にたいんです。つまり、僕は死に場所を探しているんです。」
僕は言い終わると、彼の言葉を待った。彼が何と言うのか、少し楽しみだった。すると彼は、僕の予想とは違って、突然笑い出した。
「はっはっは。確かに私にとっては何の参考にもなりませんね。あなたに聞いた私は、てんで見当違いですね。
それにしても、あなたは本当に面白い人です。ことごとく私の度肝を抜いてくれます。こんなに楽しい会話は久しぶりですよ!」
「あなたの方こそ……。もうちょっと困ったような反応を期待したんだけどなあ。」
彼は微笑を浮かべるだけで、何も答えなかった。最初から何となくわかってはいたけど、彼はなかなかに変わった人物らしい。でもまあ、彼の言う通りで、彼と話しているのはなかなか楽しいことだった。
「それにしても奇妙なものですね。」
唐突に彼が言い出した。
「何がですか?」
「いえ、言わば『生きるために旅をする』私と『死ぬために旅をする』あなたとが、こうして楽しく話をしていることが凄く滑稽に思えてしまって……」
言われてみれば、確かにそうだ。ある意味全く正反対の二人が、こうして胸の内を打ち明けて、くだらないやりとりをして。なんとおかしなことだろう!色々と言いたいことはあったが、僕は「そうですね。」とだけ返して立ち上がった。
「もう行くのですか?」
「はい。焦っても仕方がないんですけど、どうしても足が前に進みたがるんです。」
「そうですか。では私ももう行くことにしましょう。こうして立ち止まってはいられませんから。」
そう言って、彼の方も立ち上がった。
「方向は真逆ですよね?」
「ええ、まあいずれにしろ共には歩めないでしょうがね。」
「全くです。」
そう言って歩き出そうとした時、彼が僕を呼び止めて、こういった。
「せいぜい頑張ってくださいね。」
僕はその言葉を怪訝に思った。せいぜい?どういう意味だろう。
「私は思うのですよ。あなたが本当に美しい物を目の当たりにした時、あなたは本当に死ねるのでしょうか?美しい物達をもっと見たくなってしまうのでは?そういう風にね。」
「…………。」
僕は唖然とした。彼がそんな事を言い出したからだけではない。彼の言った事が実際に起こりうると思ってしまったからである。
「未来なんて不確定なものなのでしょう?」
僕の言葉を使って彼が更に言う。何も言い返せないでいると、彼は右手の親指を立てながら「おあいこです。」と言って歩き出した。
「そちらこそせいぜい頑張ってくださいね。」
そうやって、負け惜しみのように絞り出すのが精一杯だった。
「ええ、せいぜい頑張りますよ。」
そう返されて、最後の負け惜しみはあっさりと受け流されてしまった。
なんだか、凄く負けたような気分になったが、僕の足は自然と動き始めた。立ち止まる気はさらさらない。
そして僕は西へ、彼は東へと向かって再び歩き始めた。
拙作ですが、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!
4/29 改行の仕方を変更