守れよ、乙女
額を額で押さえられた。頭突きもできない。ジュリアは噛み付いてやろうかと思った。
「睨むなよ、怖ぇな。『フィナを助けて』とか言って泣き出すかと思ったのに」
「あなたが私の目の前から消え去って、フィナの無事が確実になるんだったら、いくらでも泣いてやるわよ」
シーズは鼻で笑った。
「色気のかけらもねえな」
「上等よ。私は軍人になりたいの。軍人に色気なんて、普通は必要ないわ」
「上官にもか?」
「あなたね! 軍をなんだと思ってるのよ」
「人間の集まり。それ以外の何ものでもねえだろ?」
それもそうだ。
でも、聞いていることと根本的に違う!
「あなた人間じゃないわ」
「褒め言葉だな」
唇が触れた。
背筋が寒くなるのと同時に、顔が一気に熱くなる。
「!!!」
「うっわ。ガッサガサだ。女なんだから顔の手入れくらいしろよ」
「余計なお世話よ! 出てけ! 人でなし!」
「うわー、こえー!」
ひらりとジュリアの右フック左アッパーを避け、一目散にドアへと駆けていく。
「拳骨で殴り掛かるなんて。もう少し女らしくしろよ。襲いがいがねえ」
「うるさい! 出てってよ!」
ぱたんと扉が閉まって、ジュリアはへたへたと床に座り込んだ。
「もう……。ボディーガードにクラウディオを連れてくるんだった……」
夕食のとき、まだ3人は帰ってきていなかった。雨は降り続いている。
ジュリアが卓につくと、シーズがさっきとは違う服を着てふらふらやってきた。
そうだ、ここの料理を作っているのはシーズなんだ。顔を合わせるのは嫌だったけれど、3食抜くのは健康に良くない。
「あんた、何食べる?」
厨房へ入ってから、シーズが大声で尋ねてくる。
「レモンパイ」
ジュリアは不機嫌な声で答えた。
「作り置きがねえよ、そんなもん」
「じゃあ夕飯はいらないわ」
「朝昼晩抜きか。過酷だな、明日の朝も三人はいないはずだぜ」
ジュリアは厨房の方を睨みつけた。
牽制しておかなければ。
「あなたは何を食べるの」
「俺? 野菜」
シーズは厨房から湯気の立つ皿を持ってきた。テーブルの上に置かれたのは、温野菜サラダ。ミモザ風にしてある。
「野菜があれば、あとはいらないさ」
「意外だわ。肉食だと思っていたのに」
「俺は欲深くないからな」
そう言って、にんじんをほおばった。
「嘘だわ。絶対になにかあるわよ」
「そう言うあんたは? 何を望む?」
「そうね、私を災いから守り抜いてほしいって願うわ。あんたみたいな男からもね」
シーズはジャガイモをつぶしながら、乾いた笑い声を上げた。
「悪魔が願いを叶えるって言っても、その願いなのか?」
「そうね。私を災いから守り抜くってのは、外せないわね。相当難しいはずだけれど」
ジュリアも野菜を自分のさらに取り分けた。
「俺が悪魔なら、あんたにこう対価を要求する。『他の男と寝るなよ』って」
「あなた、頭の中がおかしいんじゃない?」
「楽しんでるだけさ」
いい加減なシーズの言葉に、ジュリアはインゲンを刺したフォークを、皿の上に乱雑に置いた。あきれた。遊んでるんだわ、きっと。
表情が楽しそうだもの。
目が輝いているシーズは、フォークを指揮棒みたいに振り回した。
「ほら、歌劇フィーゴ公爵の1幕みたいだろ? 台詞を言い換えてみろよ。『お前の望みは何だ』」
「……『私を災いから守り抜くことだ』えーっと、『それがかなうならば何でもしよう』」
「『本当だな』」
「『本当さ』」
「『ならば、俺の言うことを聞くことだ』」
「『ひとつだけなら』」
「『ああ、ひとつだけ』」
「『わかった、ならば従おう』」
「『他の男と寝るべからず』」
「『ああ、いいだろう。私の願いが叶うならば、悪魔よ』……って、私男役じゃない。しかもフィーゴ公爵が男色家みたいだわ」
「それを狙ったんだけど」
ジュリアは肩を落とした。
「あなた、木の枝で頭打ったでしょう」
「さあね? 俺の食事は終わった。じゃーな」
「当分顔を見なくていいわ。おやすみなさい」
「鍵かけて寝ろよー」
バタン
ジュリアは独ぼっちの食卓で、湯気のおさまった温野菜サラダを黙々と食べた。雨はまだ止まない。
翌日の早朝、ジュリアは息苦しくて目が覚めた。寝返りを打ちながら、大きく息を吸う。重たいわね。なによ、この温かい……。
まさか。
昨日はちゃんと鍵をかけた……、その記憶がない。かけ忘れた!
冷や汗が吹き出る。
ジュリアはおそるおそる、後ろを振り返った。




