古城のシェフ
昼前に、フィナは馬車に乗って城を離れていった。シルヴィアとアンナはアルベルトと共に、フィナより先に城を離れている。本格的に一人になった。
「ゆっくり散歩ができるわ」
アンナとの散歩は、散歩というより追いかけっこだもの。
ジュリアは厨房へ向かった。おなかが減ったけれど、昼食の準備がしてあるとは聞いていない。やっと覚えた食堂へ入ると、その裏側にある厨房へ入った。
人影が一つ。
「誰かいるの?」
もしかしたら、あのおいしい食事を作っているシェフかしら。
「人がいないのに人影ができるかよ」
柱の向こうから出てきたのは、つなぎを着た青年だった。
「物の影が人に見えることだってあるわ」
「あっそー」
青年はクリンクリンの金髪で、青い瞳。肌はよく日に焼けていた。つなぎに泥がついているから、野良作業でもしていたんだと思う。ジュリアよりも背が低くて、いかにも生意気でいたずら好き、といった顔つきだ。
「あなたは誰?」
「あんたこそ誰だよ」
「私はこの城の滞在者よ」
「名前は」
「ジュリア。ジュリア・ドゥナ」
「ドゥナ? コルドの?」
コルドはリセーナから少し離れた所にある、中規模な都市だ。コルドにはドゥナ家の分家がある。
「いいえ、リセーナよ」
「へえ。リセーナか。行ってみたいね。リセーナってどんな感じだ?」
「良い場所よ。大きな港町で。さあ、私は答えたわよ。あなたは誰よ」
「俺? 俺に名前はないね」
青年は置いてあったリンゴを袖で拭き始めた。
「当ててみな。まー、他の奴にはシーズって呼ばれてる」
「ヒントはないの?」
「欲しかったら金貨一枚寄越すんだな」
シーズはリンゴにかじりついた。
「食材を勝手に食べて。あなたはここのシェフなの?」
「シェフ? まあな。ここであんたが食べた野菜は全部俺が作って料理にした」
「ケーキやサブレは?」
「俺が作った」
ジュリアは面食らった。こんな男の作る料理が、あんなに美味しいなんて。詐欺だ。
「あんたは何しにこの城に来たんだ?」
「おじい様の命令よ。この城を調査するって名目で、一ヶ月滞在しろって。嫌になるわ」
「何に嫌になるんだ」
「名目って所よ。調査するなら、しっかりとしたかったのに」
シーズが、食べかけのリンゴを窓の外へ放り投げた。
「あっ。何してるのよ、可哀想なリンゴ」
「あんた、こういうのを気にするやつなんだな」
「そうよ。誰だって野宿で食料がなくなるってことを体験すれば思うようになるわ」
にやっと、シーズが笑った。
「野宿? ドゥナ家のお嬢様がなんで野宿するんだ? もしかして、没落でもしたのか?」
「去年の夏と冬、軍関連の総合予備校で特別演習に参加したの。どっちも2週間の野宿があるのよ」
「なんだ」
シーズが面白くなさそうに、ハムとチーズを取り出した。
「あんた、クロックムッシュは好きか?」
「ええ、好きよ。作ってくれるの?」
「その代わりに、一曲弾いてもらおうと思ってね。シルヴィアのハープに合わせてヴァイオリン弾いてただろ?」
「交換条件ね。あなた、捻くれてるわ。明るく丁寧に、聞きたいって言われれば、断ったりはしないのに」
「そういうタチなんだよ」
と言うシーズの口調は楽しそうだった。